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【前編】『トルネコラーの宿』の住人となった話
『トルネコラーの宿』との出会い
私がトルネコ3を始めたのは高校生の頃であったが、前回の記事で書いたように、一度のめりこんだ後一旦は離れていた。
この時はプレステ2にどっぷりとハマっていた訳だが、『デビルメイクライ』の最狂難易度であるDante Must Dieモードを超やりこんでクリアしたり、『モンスターハンター』(オフラインであったが)をやりこんで片手剣の封龍剣を作り、リオレウスとリオレイアの同時討伐のクエストなどをしていた。
ネットはパソコンでいくらか出来る環境だったので、持っていたゲームの攻略サイトなどのネットサーフィンをたまにしていました。
そんな中でトルネコ3のことも検索していた訳だが、当時は個人で作っているような攻略サイトが多く、その中の1つに『ちーずけーきふぁくとりー』という密度の高かったファンサイトがあり、それは『トルネコラーの宿』の前身サイトということを後に知る。
『ベリアル派』というサイトもありましたね。
と、そうこうしているうちに、タイトルのお宿に足を踏み入れる日がやってくるのであった。。
衝撃の深み
『トルネコラーの宿』を知った時、既にそのサイトは賑わいを見せていた。今は攻略サイトのアーカイブとして見ることができるが、当時は各ダンジョンの『攻略方法』『小ネタ』『検証』等の記事に加え、『掲示板』での考察や質問スレッド、『チャットルーム』があり、毎日多くの住人が集っていた。
掲示板では、異世界の迷宮に限らず様々なダンジョンやアイテム、装備等の質問に誰かがコメントをし、チャットルームではトルネコ関係に限らず、自由に交流ができる場であった。
住人同士温かく交流をし、何かを達成した時にはコメントで讃えあったりで、モチベーションを高め合えるファンサイトだったと思う。
(しみじみと懐かしい思いです・・・)
当時『トルネコラーの宿』は女将(おかみ)と呼ばれる管理人がおり(お宿だけにシャレてますよね😊)、『ちーずけーきふぁくとりー』から継いでの管理人と聞いたことがあります。ナミさんという女将だったと思います。(間違っていたらスミマセン)
個性的な住人たち
お宿には多くのトルネコ3プレイヤーがおり、異世界の迷宮のトルネコが得意な人、ポポロが得意な人、不思議の宝物庫の発掘が好きな人、などなど三者三様のプレイスタイルで得意分野の色が出ていた。
この時私は何が得意ということもなかったが、サイトの雰囲気が好きでよく遊びに来ていました。
宿の住人はそれぞれハンドルネームを持っており、掲示板に書き込んだりチャットルームに入る時はその名前で、加えて色も決められたので、それぞれ自由に色を選んで設定してました。
ちなみに私は『リュカ』というHMで、色は薄紫色でした。
後に交流が深まっていった時に、チャットルームでオカキさんという方に、「ああリュカさん、名前がいい!」と言われたことを覚えています笑
また、それぞれ『履歴』も登録できるようになっていて、プレイ歴やクリア歴やスタイル、自己紹介などが書けるようになっていました。
掲示板では『宿帳』という書き込めるところがあり、特に多かったのが、【異世界】ダースゲットしました!というタイトル等で、異世界の迷宮について冒険記を書き、それにコメントをするスレッドでした。
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![](https://assets.st-note.com/img/1702391913067-0shglNtdMv.jpg?width=1200)
現在はこの『宿帳』は閲覧できないようですが、私は当時大量に印刷して読んでいたため、今でも持っているというワケです笑
親父、紙とインクをたくさん消費してごめん(´-ω-`)
今確認すると、約65枚(ほぼ両面印刷)およそ35記事の、冒険記などが手元にあります。2005年2月に印刷してますね。
また『質問帳』というのもあり、自由に質問ができる環境でした。
異世界の迷宮の、浮遊ゾーンやラットゾーンなどの開幕処理に関してアスキーアートのように配置を書き、行動のアドバイスをもらうという書き込みもよくありました。異世界に挑み、またそれを皆で応援するという、トルネコに対するモチベーションを感じたのを覚えてます。
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宿の開拓者たち
今でこそ攻略情報や内部データは詳細に入手できますが、各トルネコラーたちが、ペンギンコンボやスモグルコンボ、ホイミンの育成方法や、仲間モンスターの初期配置によっての行動順検証、不思議の宝物庫用の武器の印などなど、熱意を持って検証を重ね作り上げていってたようです。
全ての記事に提供者、執筆者の名前の記載がありますね。
後に編み出されたテクニックもたくさんありますが、その当時によくそんなこと思いつくなあ。。といった記事まであってとても面白い。
ちなみに、2004年11月の『【異世界】異世界ポポロのスモグル指南』という宿帳のスレッドの中で、ミックさん考案のスモグルコンボという一文があったので、ミックさんが初めにスモグルコンボというものを発信された可能性が高いですね。
※ミックさんは、異世界の迷宮の攻略記事や冒険記も多く書かれていて、かなり早い段階で異世界ポポロをクリアされていた猛者です。
私はミックさんの攻略記事を手書きで書き写していたこともあります笑
私リュカは何をしていたかというと・・・
お宿に入り浸りながら多くの冒険記を読んだりしてましたが、異世界の迷宮に挑めるようなレベルではありませんでした。
そんな中で始めてみたのが、不思議の宝物庫発掘。もともとレアアイテムを入手しに行ったりすることが好きだったので、装備を揃えたり白紙の巻物を生成する作業からやってみようという気持ちになった。
発掘勢も何名かいたので、いつの間にかモチベーションをもらっていたんだと思います。
そして初めての発掘冒険をした訳ですが、私はルーズリーフに結果を書いていたので見返してみると、初めてにして深層出店(※不思議の宝物庫の出店率は1%)を引いており、当時さぞかし興奮してたんじゃないかと思います笑
更に初めて『宿帳』を書き、「初めて発掘をしてレアものは出なかったけど、とても楽しかった。くじを引くような感覚がたまりません」
みたいなことを書いたのは覚えてる。
そして、わずか発掘3回目にして激レアであるシャドーの指輪をゲットし、更に更に4回目にしてワナぬけの指輪を連続ゲットし、また宿帳に報告したところ、そのディスク羨ましい!交換してほしいwとコメントを頂き、完全にハマることとなる。。
とはいえ、やはりかなり激レアなものなので、その後6回は成果ゼロが続いてましたね(当たり前)。
(ちなみに7回目で石像よけの指輪出土)
次回、お宿の衰退
そんな、トルネコラーたちにとってのアツく楽しい集会所も、衰退していくことになるワケです。。
それには色々と理由がありまして、私も全てを知っている訳ではないんですが、それは後編に書いてみたいと思います。
『トルネコラーの宿』の猛者たちも、何人か紹介できたらなあと思います。
当時のトルネコラーの宿にいらっしゃった方、まだどこかにいらっしゃるんだろうか・・・(一人は、今も活動されてる方を知ってますが)
ご覧頂きありがとうございました!