【後編】『トルネコラーの宿』盛者必衰の理
そこは皆の居場所だった
前回の投稿で『トルネコラーの宿』に出会ったお話を書きましたが、私も途中からどっぷりとハマっていったワケです。
この時は、お宿に集ってくる方々とチャットを楽しんだり、宿帳に書き込まれる冒険記を読んだりで楽しんでました。
ほぼ毎日、夕方から晩にかけてログインしていた。
その頃の私は、不思議の宝物庫での発掘を生業としていました。
またこの時、封印の洞くつでのベビーフォーク探索という遊び方も確立されていて、少なからず探索勢もおり、その当時に4本集めていた猛者もいました。
宿帳には、「4本目ゲットしました!次はストックを作りたいと思います」みたいな事を書いていて、当時は凄さがよく分かってませんでしたが
今思うとかなりのやりこみトルネコラーでしたね。。(;'∀')
今でこそエックスやyoutubeで、同じゲームを共有してのSNSを気軽に楽しむことができるけど、お宿はまさにそんな場だったと思います。
猛者たち
2004、2005年当時、ヘビーなトルネコラーも複数いまして、何名かご紹介したいと思います。
・スモグルコンボ考案者
『ミック』さん。異世界ポポロの攻略記事も書かれており、宿帳の冒険記によると、当時少なくとも異世界の迷宮をポポロで6回クリア済み。
(この6回目にして黄金のつるはしをゲットし、一旦は異世界ポポロ制覇とされたようです)
また『スモグルコンボ』の考案者とされており、将棋会でいうと『藤井システム』のような、当時革新的なものだったと思います。(例が合ってるかな?笑)
・ダースドラゴンを仲間にするまで、62匹狩った者
『オカキ』さん。敷き詰め有り無し含めて、ダースドラゴンを狩ること62体目にしてやっと口説き落としたという、執念の持ち主。
数十体倒してダメならどこかで心が折れてもおかしくないですよね・・・
相当の回数、ダースゾーンまで行かれたはずです。
また、ミックさん考案のスモグルコンボの愛用者の増加を狙い、【スモグルコンボ指南】の攻略記事を書かれた方。
この時は部屋でのスモコンであり、張り付く巻物の対策が課題となっていたようです。後に、爆発の指輪を使用し壁を拡張しての新たなスモグルコンボとして改善が加わっていったようですね。
・ポポロ異世界の迷宮攻略1、執筆者
『キッド』さん。冒険記も書かれている方ですが、『トルネコラーの宿』のポポロ異世界の攻略記事をまとめあげた方。当時の攻略スタイルとしては、ホイミンを仲間にし、ホイミンサンド、ヒョウマ、マドコン、オーメン使用などの、仲間多数で時間をかけ安定度を高めていく攻略法でした。
私もお宿スタイルの攻略法のおかげで、ポポロ異世界の初打開をできたワケです。
今改めて読んでも、各ゾーンごとにとても丁寧に書かれてて為になりますね。
※尚、今はホイミンやヒョウマを使用せずサクサクと進めていく攻略スタイルが多いようです。
・バリチャレ、ポポロ異世界クリア達成者
『ごんげ』さん。クリア後にチャレンジできる、【バリチャレ】での異世界ポポロ99階突破者。
バリチャレは一発アウトというプレッシャーはもちろんだが、何が一番難しいかというと、基本的にやり直しやループ作業ができない一発勝負ということ。
今でこそバリチャレでの異世界クリア者は多くいますが、それに当時挑んでみようとしたこと自体がスゲーなと思います。。
更に、この異世界クリアをした後に、続けてまぼろしの洞くつ(一撃くらったら終了のダンジョン)もバリチャレクリア達成されてました。
どっちかというと正直、それがガチヤベーです。。
・ランガー帝国建国者
『ATAYU』さん。当時の最上級プレイヤー。ランガー帝国とは、異世界の迷宮よりランガーを100体集めるというチャレンジ。
私が印刷した冒険記にはATAYU氏の記事は8つあり、その中ではクリア15回目、ランガー捕獲75体目が最新でしたが、最終的に100体は達成されていたと思います。
更に、天然ダースは6体捕獲、めふらん(あめふらし)持ち帰り、ラリアト育成による発掘もされてました。最後は異世界の限定6種持ち帰りチャレンジにも挑もうとされていたようです。攻略記事の執筆も多くされてました。
詳細は書きませんが、トルネコラーの宿以来で、ATAYU氏の名前を見かけたときはすぐ分かりましたし感激しました。
・その他
当時にダースドラゴンをゲットされていた方は少なくとも8人。
仲間になった時のダースのパスワードを載せる方が多かったです。画像のかわりとして面白いですよね。
また、当時に異世界の迷宮限定6種持ち帰りを達成された方もいました。
その時は証拠として一部の人(コメントをした人限定など)に動画をアップして見せ、私も見せてもらいました。
すげーな。。と驚いたものです(;'∀')
また、不思議の宝物庫発掘の検証企画として、とても多くの方々が情報提供者として参加したりもしてましたね。
各々の楽しみ方、交流
先ほどの猛者たち以外にも多くのベテランがいましたが、異世界クリアやダースドラゴンゲットに限らず、ランガーや石人形をゲットしての報告や、ミステリドールをゲットしての報告なども多くありました。
私はミステリドールすら仲間にできる気がしなかったので、いいなあ。。と羨ましく思っていたものです笑
チャットルームではトルネコ関係に限らず色々な話のできる場でしたが、一部ではリアルに集まって麻雀をされたりもしていたようです。
トルネコラーの宿開催の、パスワードを利用したモンスター闘技場大会もありました。禁止モンスターはいたものの、参加者はガチドープして、まどうしLv.99などがいました。
私はそのうちの5体のパスワードを、自分のメモリーカードに登録だけしてました笑
毎日のようにログインしていると、同じようによくログインしてくる常連もいて仲良くなったりで、一層楽しい場所となっていきました。
そんな『トルネコラーの宿』も、徐々に陰りというか人が離れていくことになっていくワケです。。
お宿が閉鎖へと向かっていった理由
同時期の人気ゲームの発売
ドラゴンクエスト8
ドラクエ8の発売は2004年11月27日で、トルネコラーの宿の全盛期中の発売であり、トルネコからドラクエへと移った人も一時いました。かくいう私も、ドラクエ8にハマってた一人でした。
しかし、これは一時的に人が減ったかもしれませんが大きな理由にはなってなかったと思います。
実際、仲間にしたうごくせきぞうの名前を、「ドラクエ8から取ってアポロンと名付けました。少なくともいしぞうよりは強そうです」という冒険記を書いてた方もいました。
女将(管理者)の隠居
正直これが一番大きかったと思います。
いつのタイミングの時だったかは覚えてませんが、女将が、管理者を退きますという報告をしたのははっきりと覚えてます。
その一因として(推測も含みます)、トルネコラーの宿はスレッドやチャットルームはアットホームだったものの、挨拶などお互いへの礼儀のある雰囲気でした。(それだけコミュニティは皆で大事にされてました)
その中で、挨拶代わりに「どろ~ん、○○です」という(何かのゲームのキャラの出現挨拶?)、キャラ付けとまでではないですが個性的な人もいたんですが、とある日にその方に対し、その挨拶はどうかという話が出てきたワケです。
結局、女将からその方に対し指摘をされたようですが、話は温和に収まらなかったようで(そのキャラがダメならもう来ないようにします、となったのか)、その後、女将が責任を取るかのように表に出なくなりました。
あくまでその時の空気感に対する推測ですが、その雰囲気をよしとして見過ごしていたという、女将の責任感のケジメだったかもしれません。
その後
その流れがあった時の詳細は知らなかったのですが(何人かはその話に入っていたと思われます)、女将は裏方として管理者を続けていたか、他の方が継いだかで、その後しばらくは運営が続いていたと思います。
その時の私は、なんとも複雑な気持ちでした。。
続編ゲームの発売情報
その名は『ドラゴンクエスト 少年ヤンガスと不思議のダンジョン』
発売は2006年4月20日。
トルネコラーの宿の宿帳にも、情報が出た時点で少年ヤンガスについてのスレッドが立ったりしてました。しかし、その時にはアクティブさはほぼ失っていたような気がします。トルネコ3からヤンガスへ、という気持ちの移り変わりの空気感もあったかもしれません。
私自身も、ログインの頻度はかなり減っていたと思います。
宿帳やチャットルームがいつまであったかは、正直よく覚えてません。。
今トルネコラーの宿のアーカイブページを見てみると、2006年4月16日更新終了となってます。
私も発売とほぼ同時期に少年ヤンガスを買い遊んでましたが、
一方その頃『トルネコラーの宿』は、まるで続編が出るのを見届けるかのように、閉鎖となったのでした。。
ま と め
以上、私が宿に出会ってから閉鎖まで2年くらいの間ではありましたが、とても楽しい場に混じることができたという良い思い出でした。
もちろん懐古の情も含んでますが、トルネコ3という共通のゲームに対してみんなで楽しく盛り上がれたという、長いようで短い期間でした。
今はエックスやDiscord、youtubeなどで交流することができますが、繋がりの場が同じようにできればいいなと思っています。
同じゲームが好きという繋がり、素敵じゃないですか!
~糸冬~