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人魚の眠る家




Amazon prime視聴。映画の感想です。

以下ネタバレ含む感想文。勝手な考察も入る上にバカが考え考え書いています。注意。



何をもって “ 死 ” とするのか

扱うテーマは「脳死」。本作はプールで溺れ脳死となった瑞穂とその家族を中心に描かれていきます。これはこの作品に触れて初めて知ったのですが、日本では脳死判定は臓器移植を前提としたものである、んだそうです。脳死だと判断されながら生きている人は日本にはいない(ということだと思う、多分…)、脳死する=臓器移植に同意する(死)。それが15歳未満の子供の場合、本人の同意がなくとも親の判断で臓器移植をするかどうかが決められる。この辺り記憶を辿りながら書いているので違ったらごめんなさい…。

私はこれが凄く辛くて。自分の子供がそうなって、お医者さまに「どうしますか?」と聞かれたら薫子たちのように呆然としてしまう。だって臓器移植に同意するということは自分の意思で子供を殺すということだから。そんなことを決めなきゃいけない苦しさが本当に辛くて。覚悟を決めて最期の挨拶に行った先で少しでも “ 生 ” を感じたら、私も薫子のように言ってしまうんじゃないか。でも意識はもう無くて、ただ機械に生かされているだけの状態なのにそれは生きていると言えるのか。私には答えが出せませんでした。難しすぎる。


薫子と星野

星野の開発により瑞穂は筋肉が動かせるようになります。動かせると言ってもそれは誰かの手によって、機械によって動かされているだけ。でも、それでもそれは薫子にとって強い光だった。はじめは瑞穂の体の代謝を上げるためだとか、そういう身体能力の維持が目的だったのに、動かすという行為が徐々に “ 瑞穂が生きているという証明 ” にすり替わっていく。手を動かして返事ができるんだから、笑えるんだから、瑞穂は生きている。星野さんという第二の父のおかげで瑞穂は生きているんだと、そう緩やかに狂っていくのです。この狂気を素直に怖いと思えなかった。私も同じ立場だったらそうなる可能性があると思ってしまった。薫子を否定できなかった。

かなり薫子に感情移入しましたが、同じように狂っていった星野は分からなかった。理解はできるけど納得ができない、そんな感じ。

生か死かの二択に取り憑かれた薫子と同じように、当初の患者の為のという気持ちを忘れて自分の可能性を追求することだけしか見えなくなった星野。自分の欲望によって本当に大切なものが見えなくなった事こそ共通していますが、上手く言えないけど星野の方がやばい。薫子は心のどこかで自分と周囲の本心に気づいているような素振りがあったけど、星野にはない。本気で彼はあれが瑞穂を救っていると思っていたのではないか。怖い。


真緒

星野の恋人。かなり鍵となる人物だったと思う。

真緒は唯一の完全に外部の人間で、意識がないのに機械で動かされてある瑞穂を見て素直に不気味だと感じられた人。彼女はあの家はおかしいと、それに関わっている星野はおかしくなっていると、播磨家の異常に怯えていました。そして行動力の塊。まさか和昌に会いにいくとは思わなかった。「彼の仕事の話を聞きながら食べるご飯はとても美味しかった」「彼を返してください」これを聞いた和昌は心の変化が起こり、物語が転がり始めていく。真緒がいなかったら、早々に星野に愛想を尽かしていたら、播磨家も星野もまだ狂ったままだったかもしれない。大切なものを見失った星野と大切なものの為に動いた真緒、この先どうなるんだろうな。上手くいきますように。


夫婦

薫子は察してちゃん。離婚も本意ではないのでは?言わなくても気付いて動いて欲しい。家族を大切にして欲しい。和昌の「一度言ったらきかない」のセリフからも推測するに結構頑固者。女!!って感じ。

和昌は仕事人間。家族への関心もあまりなさそう。というより常に一歩引いていそう。俺が勝手に何かやったら妻に怒られそうだからやめておこう、みたいな。こういうお父さんいるよね。


生人

瑞穂の弟。一番かわいそうで辛かった…。

動かない姉にかかりっきりの母をどんな気持ちで見ていたんだろう。まだ一年生なのに周りにヒソヒソされて虐められるかもしれないという恐怖と一人戦っていた彼を思うと胸がギュッとなる。生人は今生きていて、薫子が瑞穂に求めているもの全てを持っているのに見てもらえない。動いて喋って成長しているのに。「明日学校でお姉ちゃんは生きてるって言う」こんなセリフを言わせるんじゃないよお……ほんと…。


若葉

瑞穂と生人の従姉妹。

辛かったね…ほんと。何年もそんなものを抱えていたなんて本気で辛かったと思う。自分のせいで瑞穂があんな風になった、だからおばちゃんの代わりにお世話するって、そんなに思い詰めてもうほんと…子供にやめてよ、大人がどうにかして彼女を救ってあげてよ…つらいよお…。


ちょっと落ち着きます。以下謎だなと思った箇所について。

 

人魚について

作中薫子が眠っている瑞穂に読み聞かせている。「そうして人魚姫は泡となって消えてしまいました」このセリフとタイトルから勝手に瑞穂と人魚を重ねていたけど違う気がしてきている。人魚と瑞穂の共通点は “ 何かしらの方法に頼らないと人の世界で生きていけない ” ことと、“ 存在が曖昧であること ” かな?と思いました。声と引き換えに足を手に入れなければ人の世界に行くことができない人魚と延命装置がなければ人の世界で生きられない瑞穂。空想上の生き物である人魚と生きているのか死んでいるのか分からない瑞穂。

でもどうだろう?本当にそうなの?私が深読みしすぎ?? でも家の屋根とかウロコっぽかったしなあ…とモヤモヤしてます。


冒頭とラストのシーン

ここすごく謎で。考えても考えてもスッキリしない。

冒頭、ボールを投げ入れて迷い込んだ少年は最後瑞穂の心臓を移植された少年…だと思うのでそう仮定して。移植後と迷い込んだ時とではあまり時間が経っていないように見えるんです。背格好も同じくらいだし。最後に彼が向かった空き地は恐らく瑞穂の家。空き地になったのは薫子たちが再出発したから=引っ越したから、かなと思ったんですけど、じゃあ最初の迷い込むシーンってなに??って。あのシーンだけ妙にお伽話っぽくて余計に気になる。あれは幻?そうだったらいいね、みたいなシーンなのか、それとも少年が心臓を悪くする前にたまたま瑞穂と会っていたんだよっていうシーンなのか。謎…気になる。



人魚の眠る家

皮肉にも瑞穂の死によって家族は家族らしくなりました。薫子は生人に向き合うように、和昌は家族を想うように、生人は両親からの愛を得ます。最後はどうなったのかな…結局離婚して家を壊したのか、それとも再出発するために家を移ったのか。なんにせよ、それがあの家族にとって前向きな選択ではあるだろうなあと思いました。そうだといいな。

私は死をどう受け止めているんだろう。肉体が朽ちた時なのか、忘れられた時なのか、心を失くした時なのか。もしその時が来たら私はどう折り合いをつけていくんだろう。狂って周りに迷惑をかけるかもしれない、後を追ってしまうかもしれない、案外受け入れられるのかも。色々考えたけど、今大切な人と生きている以上そのことを考えること自体が辛くて纏まりませんでした。また精神に負荷をかけるチョイスをしてしまった…後悔はしていない。

明るい!ハッピーな映画!とは絶対に言えないけど、観て良かった。思いっきり揺さぶられた。今日を明日を本当に大事にしていきたいなあ。いつか縁があれば原作も読んでみたい。ひとまず、おわり。
















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