1年かけて3年半の恋愛の終わりを受け入れる準備ができた
今年の1月に、私は2年半+1年の遠距離を経て失恋した。大学1年から4年まで付き合った相手である。恋は今までもしたことがあったが、誰かを愛するというのは初めての経験だった気がする。
ほぼ1年が経とうとしている今、やっと立ち直る準備が出来た気がするので、自分は失恋から立ち直るための時間がかかりすぎているんじゃないか、他の人の失恋の話を聞いて自分は何か間違いを犯しているんじゃないかと思い悩む人と将来自分がまた失恋した時のためのメモとして残しておきたい。
・別れの経緯
要約すると遠距離でのすれ違い、これまでのコミュニケーションの問題が露呈した結果である(と今では思ってる)。ただ、別れる話が出たのが帰国1ヶ月前だったことと、別れることになったのが帰国後二日ぐらいだったということ、また別れる選択肢を提示してきたのはむこうだったものの最終的に2人が幸せじゃないなら一緒にいない方がいい、と言ったのは私だった、ということが相まって
①ただの状況的な問題だったんじゃないか
②私がもう少し頑張ればよかったんじゃないか
という別れへの疑いがずっと止まらなかった。
別れてから今まで
この1年は、自分への疑いと後悔と別れたことが本当に正しかったのか?という問いがぽこぽこ浮かんできては不安になる日々と、自分はこれで正しかった!!と感じる日々があった。別れた理由を自分なりに分析してみて、腑に落ちるものを見つけたとしても、日にちが経って些細なことから自分が構築した語りへの疑念が生まれて不安になったりする日々が続いた。
これまでの人生で、あまり思い悩んだことがなかった私にとって、常に頭の中に何か考えることがあって寝れなくなったりする状況は初めてで本当に苦しかった。今まで相手に言われたことを全部思い返して自分が何者かわからなくなったし何を基準に意思決定をすればいいのかわからなかった。自分の感情もどれが本物かわからない、そもそも愛とはとか考え始めて止まらなかった。
セラピーも通ったし、ヨガや瞑想も始めた。
1週間楽しい日々が続いても、それがずっと続くことはなく常にそれがいつ終わるのか、不安で仕方なかった。
いつまで経っても同じことで悩んでいることに、「長すぎじゃない?」とか、「後悔してるんじゃない?」という言葉をかけられてそれに不安をかき立てられたこともたくさんあった。この間、ジャッジすることなく私が置かれている状況を俯瞰して見てくれた友達とそうでない友達に分かれて、自分がどういう時にどういう友達に悩みを共有したいのかがクリアになったこともあった。
特に、自分が弱くなっている時、周囲の言葉に影響を受けやすい期間に、本当に私のことを考えてくれる人を選んで話すのは重要だと思う。これに気づいて、私も他人が悩んでいるときに自分の意見を説き伏せるのはやめたし、正誤で判断することもやめた。
とにかく、本当にたくさんの不安と恐怖、疑いと混乱に直面した。自分の決断に本当に自信が持てなくなっていたので何もかも不安だった。
今思えば、これらは自分の体験を「過去のもの」にすることへの抵抗から来ていたと思う。
他の人との出会いと混乱
このような状況下で、私は高校時代に一時期好きだった人と話し始めた。別れた後立ち直る前に他の人と関係を構築し始めるのは良くないというのが一般論で、私も本当にその通りだと思う。でも、当時の私にはそれがわからなかったし、起こってしまったことは仕方ないと思う。
その人と話すなかで、新しいコミュニケーションの方法を学んだ。以前の彼と私の関係では、コンフリクトが起きた時に「どちらが正しいか」というディベートに発展しがちでどちらかが折れる、という解決法しかなかった。しかし、その人からは相手の言動の背景を理解するという姿勢を学んだ。これがきっかけとなって、私はそれまでの自分の言動や元彼の言動をまた新しい視座で受け入れることができるようになっていった気がする。
向こうは私が置かれている状況(元彼が忘れられない、混乱する)を理解した上で一緒にいてくれたが、これに対する後ろめたさや早く立ち直らないとというプレッシャーを自分自身に課していたこともプロセスを遅らせる要因になったと思う。
立ち直る準備ができたきっかけ
きっかけは、数日前に同じように3年半付き合って別れた友人と話した時である。
失恋に関しては「どちらが悪かったか」という議論になりやすいが、彼女の「どちらも悪くなかった、自分が求めているものと相手が求めているものが今の時点では違った」という考え方にすごく共鳴して、こういうことだったんだと思った。
その次の日に、私はYoutubeの失恋動画で「本当に大好きでした」というコメントを見て初めて大泣きした。初めて自分がちゃんと人を愛していたということを認めることができた瞬間だった。
そうして、相手に言われたこと、別れから今までを全部俯瞰して全てを理解することができた。
多分、私が相手のことを当たり前の存在に思いすぎていたことが向こうは嫌だったんだと思う。でもその時私にはそれがわからなくて、理解するツールがなかった。だから、「思いやりを感じることができない」と言われても何をどうすればいいのかわからなかったし、以前にそういうことを聞いても「愛しているなら何を欲しているか理解してほしい」みたいなことを言われていたから聞くことができなかった。
何を求められているのかわからないなりに、向こうが苦しい思いをしていることはわかったから、相手が私と一緒にいて苦しくて、私はそれがわからなくて苦しいなら一緒にいるべきではないという結論に至ったんだってことを思い出した。
なんだ、私なりにちゃんと向き合ってたじゃんと思った。私がどうしようもなく自分勝手で相手の気持ちがわからなくてただ別れたわけじゃなかった。私は、相手のコミュニケーション方法で相手のニーズを理解することができなくて、向こうは私のコミュニケーション方法で私が相手のことを考えているということを理解できなかっただけで、両方とも頑張った結果が別れというだけだった。
これがわかった時に、一緒にいないという現実も受け入れられた。向こうが言っていたことがわからなかったことがわかった時には、向こうにも私にも大事に思ってくれる新しい人と一緒にいるってことは、私たちの道は交わることがなかったってだけだったんだなと思ったから。と同時に、すごくすごく悲しくなって、ひたすら泣いた。
でもこれが、私が立ち直るための必要としていた最後のステップだった気がする。
そしてこれを認めることへの抵抗が今までの不安と混乱を生んでいた原因だったとも思った。だから、今の私が幸せになって新しい人とちゃんと向き合うためには、たくさん泣いて悲しんで自分が本当に誰かを好きだったこと、そしてその人と一緒にいることはもう一生できないということを受け入れることが必要なんだと思った。そして、これを受け入れるまでに私は1年の時間を要した。