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ボルタンスキーに導かれ

うっかり飛行機に遅刻した。
…いや。いくら慣れてきたとはいえ、うっかりはヤバいよなぁ(涙)

…疲れてるのかなぁ…まあ、今日はゆったりスケジュールだし…
と到着後、スマホの電源を入れたら楽しみにしていた写真展から「本日は特別イベント開催のため、一般の方は入場できません」のメッセージが!!
うう…残念だけど仕方ないから、空港でランチにしよう。

滑走路と海の見えるオープンカフェ。空の青と海の青ってこんなに色が違うんだ…。離陸する飛行機を眺めながら、サンドイッチを手に取ったまさにその時。職場から着信…。
「明後日のイベント案内のHP情報が間違っています!!」
なんだって!?…慌ててドリンクでサンドイッチを流し込んで、空港内のwi-fiにPCを接続する。単純なミスなので、その場で修正…。
ふぅ。何とかリカバリできた…けど。

今回の旅…何かにコントロールされてる…気がする…。
予定を組めば組むほど、何かに阻まれる。
鈍い私でも流石に気づく。
これは…何かに呼ばれてる。
でも何に呼ばれてるんだろう?

京都の神社仏閣を巡っているときに、時々感じる感覚。目的地に着くまでに、回り道を余儀なくされたり、目の前でバスや電車の扉が閉まったと思うと、するりと乗り換えができたり。心地よくたゆたえる時もあるけど、何かに呼ばれてる時はちょっと緊張する。

スマホを片手に感覚を研ぎ澄ます。
いくつかの美術展や気になる地名を検索しながらキーワードを探す。
…あ…これだ。
エスパス ルイ・ヴィトン
展示してるのは…ボルタンスキー!?

ボルタンスキーといえば、世界的人気のメディアアーティスト。
大規模な回顧展は、大阪でも東京でも絶大な人気だった。
…けど。
苦手なんだよなぁ…。

大阪会場で働いてた友人が、「なんか疲れるんですよ…光が独特で…」
と言ってたのを思い出す。ちょこっと見た作品の画像も、「死」のモチーフが濃厚で見に行く決心がつかなかった。

とはいえ…これだけ話題になるアーティストと同世代に生きてて、全く見ない!!…ってのも後悔しそうだし…次の約束の場所への通り道だし…。
よし。行ってみよう!!

ルイ・ヴィトンのスタイリッシュななビルは、思ったより駅の近くにあった。
「こんにちは。ボルタンスキーの作品を拝見できますか?」
LVMHの直営店にこんな形で入るとは、人生何が起こるかわからないよね。

小さなエレベーターから指定された階で降りると、
…なんだろう…心地よい音と香り…
それがボルタンスキーの「作品」だった。

向かい合わせの巨大なディスプレイ
それぞれの映像が呼応し、共鳴する。
間の床に敷き詰められた、土と干し草と小花。
湧き上がる言葉を、急いでメモに書き留めた。

《アニミタス(死せる母たち)2017年》
*死海のほとりに、作者の生まれた時刻の星座の形に配置された小枝たち
枝の先には小さな風鈴が風に揺れる。その様子を12時間記録した映像作品

人気のない岸辺にツクツクボウシの蝉しぐれ
(ここには蝉なんていないはずなのに?)
風を感じさせる穏やかな風鈴の音
土の匂い
草の香り
光のうつろいの中で浮かび上がる対岸の山並み
緩やかに弱まっていく黄昏の中で濃くなる風鈴の影
誰もが夕暮れに感じる心細さ
こんな時間、赤ちゃんがぐずり泣きたくなる気持ちがよくわかる

《アニミタス(ささやきの森)日本》2016年
*瀬戸内海の豊島の雑木林に吊るされた風鈴たちが揺れる様子を
11時間記録した映像作品

雑木林の中のむうっとした夏の空気
陽はすでに昼より夕暮れに近い
ここにしかいられない私
(迷い込んでケガをして動けないのか
それとも既に死んだ身体が放置されているのか
私の意識には区別がつけられない)
このまま夜が来たら…
草の匂いがしのびよる恐怖を静かに高めていく

どちらも静かで穏やかな映像なんだけど、見ている内にだんだんと足元から立ち上る「死」を感じてしまう。

私が尊敬するメディアアーティスト落合陽一さんの
「ボルタンスキーの作品には『湿度の高い死』が感じられる」という言葉が少し理解できた。落合さん曰く「現代の日本の『死』はドライでテンプレート』。ボルタンスキーはヨーロッパ生まれなのに、日本古来のじっとりとした「死」を醸している」
今回の作品では、(死せる母たち)は比較的ドライ。乾燥した空気の中で、遺骸も意識も細かなチリになって、風に散る感覚。
ただその真正面に置かれた(ささやきの森)は、単品で観るより湿度が高い。森特有の湿度と落ち葉の香りの中で遺骸が土に還るのを、意識だけがじっと見つめている感じ。
多分、江戸時代にはごく身近にあった感覚。(杉浦日向子の名作「百物語」を読むとよくわかる)

なるほど…これがボルタンスキーの世界観なのか。
苦手なものを一つ克服できた気がするけど、どうして世界中の人たちが今このクリエイターを支持するんだろう…?濃密な「死」を感じることで、「生」へのエネルギーを覚醒させるのか、漠然とした不安を投影して共感してるのか。
そして今日、私がここに呼ばれた理由は何だったのか。

小さなエレベーターで1階に降りると、そこはきらびやかな日常で、昼の光にほっとした。…夕方や夜に見なくて良かったな…あっという間に向こう側に連れてかれてるよ…。

何事もなかったように、私は駅に向かうけれど、
私の身体の中では、静かにでも確実に「死の影」が濃くなっている。







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