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"読んだ本のこと、書いとかないと忘れちゃうから" 5冊目 『わたしを離さないで』
前にも1度読んでるはずなのに。こんなに心の深いところに突き刺さると思わなかった。
誰もの心の奥にある『LOST CORNER』の存在に気づく小説。
もう一度この本を手に取るきっかけを作ってくれた米津玄師に感謝とリスペクトを。
そしてもしあなたが、米津玄師が好きで『LOST CORNER』(あの曲ができたエピソード含めて)が気になっているのなら、ぜひこの本を読んだ方がいい。
人生変わるくらいの時限爆弾が身体の中に埋め込まれる。
爆弾の名は、ノスタルジー。
【きっかけ】
米津玄師『LOST CORNER』(2024年8月リリース)。以上w
【記憶と記録・メモリーとノスタルジー】
物語は全て主人公キャシー・Hの記憶の形で描かれる。
寄宿学校での"保護"された期間、コテージでの社会に出る前の共同生活、介護者または提供者として1人で社会に出る期間。
社会人としてキャリアを転換する時に、ふと学生時代を振り返る…一見そんなふうに読める。
彼らは臓器移植のために作られたクローン生物で、"クローン体も教育すればアートを生み出せるくらい人間に育てられる"という社会実験のために生かされていた…というオチが明かされるまでは。
しかも、デザイナーズベイビーが人類の脅威になるのではないか?との世論から、クローン体の教育プロジェクトそのものが終わっていたことを告げられる。
(クローン体は臓器の保管庫として"飼われる"…のだろう。人間ではないのだから)
主人公が介護人を引退し、臓器の提供を始め、あと数年の人生を踏み出すことを暗示して物語は終わる。
もちろんこの話はフィクションではあるけれど、2006年当時には想定可能な未来だった。2025年でもお金のために臓器を売る人もいるし、ブタや人間以外の生物の臓器を人用に改良する研究は続いている。そろそろips細胞や3Dプリンタで臓器を作れるようになるらしいけど。
カズオ・イシグロは、『クララとお日さま』でも代用生命としてのヒューマノイドの物語を書いている。彼の中では人間も生物のひとつなんだろうと思う。
オチ(設定)はさておき、キャシー達はたぶん私物をほとんど持っていない。
(キャシーはスタンドランプのコレクションが4つばかりある)
提供者になれば、手術か検査のある病院と回復センターの往復で事足りるから。
介護人は提供者と人間の通訳的な存在だけど、きつい仕事なので引退して提供者になり(たぶん10年以内。30代になれるのかな)使命を終える。
モノを持てない彼らにとって"記憶"や"記録"が最大の持ち物になる。
それは強烈な"ノスタルジー"となって、読み手の心を引き裂きにくる。
キャシーのちよっとした記憶(寄宿学校でトミーがいじめられてたことや、気の強い友人ルースとのいさかいと仲直り)が、"あるある"であればあるほど、キャシーに感情移入すればするほど、自分は彼らを利用して傷つける加害者側だと思い知ることになる。
加害者なのに被害者の記憶に、ノスタルジーをかりたてられるんだよ。
どこまで残酷な構造なんだ。
もっとひどいことに、人間は人間同士でも"国"や"人種"ときには"信仰"…あぁもっと簡単なのは"性別"や"年齢"で、境界線を作って相手を攻撃したり支配したり排斥しようとするんだよ。アンドロイドとかクローン体とか関係なく。
…ってなことを、カズオ・イシグロはとてもやさしく(平易な)美しい言葉で描くのだ。
そしてこれらは、20年後も30年後も『古典』として読み継がれる。
ノーベル文学賞ってやっぱすごい。
【米民のためのチャプター】
ここから先は、米津玄師ファン(通称:米民🌾)への暑苦しい伝言だ。…いや、これ読んで米民になってくれたら泣いてよろこぶからよかったら読んで欲しい。
まず80ページくらい読んだあたりで、ノーフォークの話が出てくる。『LOST CORNER』リリース時に話題になった部分。
午後の眠たい時間のどーでもいい授業を思い出して欲しい。あんな感じで地理の授業で"ノーフォーク"という地名が出てくる。"どこへも行けないイギリスのロストコーナーです"…何それウケるんですけどー…クラスのみんなのヌルい反応。
そんなくだらない時間を共有したことが、人生の中で心の拠り所になる…ときもある。ひとつめの種が置かれる。
次に、寄宿学校を卒業してコテージでの共同生活中に、5人の友人たちで車を借りてノーフォークに小旅行にでる。
2組のカップルに主人公のキャシー。…え。なんか微妙なメンバー…。そして、これまたぐだぐだな旅行なんだけど、そこで寄宿学校時代に"失くした"カセットテープを、寄宿学校時代からの友人トミーとキャシーで探すのだ。
歌詞にもあるように、実際に米津さんと友人はノーフォークを訪れている。そこでギターを買ってすぐ失くしてしまうところと、そのシーンが重なる。片方は失くしたものを見つけ、片方は失くすのだけれど。そうやって記憶と共にモノはめぐる。
"生き続けることは、失うことだった"
このフレーズも、そっと小説の中に置かれている。
その頃には物語はずいぶんつらい方向に向かっているのだけれど。
最後に、"がらくた"
これは、そこここに散りばめられている。
ラストシーンは、がらくたとごみに彩られた強い風の吹く海辺。
この景色にたどりつくとき、この歌を知っている人と知らない人で、みえるものほんの少し違うと思う。ぜひ、たどり着いてほしい。見る価値がある景色だ。
がらくたじゃない人間なんていないし、これまでの全ては捨てられない。
夢も希望も不幸も苦悩もすべて まぁそれはそれで。
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