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"逃亡日記" 第33夜 センチメンタルな春の旅 -MOA美術館-

最近、”春だな”って思う日が続く。
帰りみち、梅の花が満開だったりすることに気づいたりする。

そんな時。まだ梅がほころび始めた頃に行った、小さな旅のことが記憶をよぎる。

…美しすぎるものを見ると、なんで人はかなしくなっちゃうのかな…?


今日はそんな話。


はじめての美術館へ



“梅の季節だけ公開される国宝があるんだよ”

そんな話を聞いて何気なく調べるてみると、MOA美術館のHPにヒットした。


熱海かぁ…遠いし行ったことないなぁ…って思ったけど、今年は”気になったら遠くても観に行こう”って決めてたので、行ってみた。


いつもと違う新幹線に乗り、熱海駅で降りて美術館直通のバスに乗る。文字で書くとたったこれだけのことなのに、はじめての場所に行くときはいつも緊張してしまう。

果敢に山道を登るバスは、京都ほどじゃないけど十分に混んでいて、いろんな国やいろんな年齢の人がわくわくした表情で乗っている。
狭い急坂を登っていくと、窓からちらりと海が見えた。

“海だ”

…海や星や月をみると、いつも、こどもみたいにうれしくなってしまう。

はじめての場所に向かう緊張が、ふっと軽くなった。



“梅”との対峙



エントランスをくぐると、長いながい(ちょっと不安になるくらい長い)エスカレーターでさらに上に昇っていく。

お天気が良かったので、庭園から展示室に入った。

庭園は、さえぎるものがない広い空と、あたたかな陽射しに照らされた彫刻たちと、どこまでも続くおだやかな海に彩られている。


…広いなぁ…人間って小さいな…って感じるくらいに広い。


展示室って書いたけど、3階建ての建物は、能舞台や茶室(…金の茶室って…色々アムビバレントだよね??)や、いろんなカフェまで入ってて複合文化施設である。


窓が広くて自然光が入り、空間の余白がここちいい。

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天井まで続く高い窓からやわらかな光が降り注ぐホールを抜けて、ほの暗い展示空間に入ると、いきなり銀色の光に心を打ち抜かれた。


深い墨黒の屏風、に、淡く浮かぶ色のない梅の花と海のように豊かにうねる水の流れ。

吸い込まれるように作品の前に立つと、そこから動けなくなってしまう。

凛とした淡い光に吸い込まれるように、ただ時間が溶けていく。

…とおいむかし、こんな黒い鏡のような川のほとりを歩いたことがあった…

そんな既視感におそわれる。


それは、杉本博司の『月下紅白梅図』だった。



銀箔?銀泥?この輝きは何?ってテクスチャを見たら、”プラチナプリント”

…写真…なの?!

気が遠くなるほどの作業工程とか、絵画と写真の違いってなに?とか、杉本博司について知らなさすぎる…とか、思考のぐるぐるが止まらない。

“国宝”を観に来たはずだけど。こんな風に心を掴まれるものに突然出会ってしまう。
(だからアート巡りはやめられないんだ)


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MOA美術館のおそろしいところは、教科書で見たようなもの(国宝とか重文とか…ここにあったのか!!みたいな)が、しれっと置いてあったり、すごい数の所蔵品があったりするんだけど。(1日では見られないなぁ)

藤の花の壺(色絵藤花文茶壺)の凛とした端正さは清々しいし、高村光雲の小さな仏像(妙音天像?)には魔力があるし、『紅白梅図屏風』のあでやかさと完璧な構図や技法には圧倒されて言葉を失う。


これだけの物量があると、古くても新しくても、大きなものも小さなものも、季節やその時の自分の気持ちで、じっくり対峙したい作品にきっと出会えるんだろうな。

鑑賞している人の多様さ(本当に多国籍で老若男女)を感じて、これって”アートのテーマパーク”だよなぁ…って思った。


カフェ


“MOA美術館には海の見えるカフェもある”

…そう聞いてはいたけれど。ここは。ちょっと。特別。


今でもHPみると切なくなるくらい、好きな場所だ。


視界いっぱいに広がる水平線なんて、人生で初めて見た。(関西育ちなので、海といえば瀬戸内海。瀬戸内海にはほとんど水平線がないんだ)

季節はまだ冬だったんだけど、海はすっかり春の色で”のたりのたり”と、まどろんでいる。ときどき、旅客船がのんびりと白い航跡を描いては消える。

いろんなかたちの雲が風の乗って通りすぎ、はるかとおい海と空の境界線は淡くとろけている。

そんな場所で、こっくり深い紅茶を飲みながら、甘くうつろう光をただ眺める。とてもとても豊かな時間だった。

でも。ここですごした愛しい時間は
もう私の記憶の中にしかないんだ。



かえりみち


うっとりな時間も、そろそろおしまい。

名残おしくて、バスではなくて、長くて急な階段をとことこ降りて駅に向かう。


視界から海が消えると、冬枯れの中にこっそりと梅がみえる。

細い道の近くに、家の数がだんだん増えていき、気づけばもう駅に着いていた。


おみやげを売る商店街は、昭和レトロで人があふれ、りっぱな干物を買ったり行列に並んだりお団子を食べたり、みんな忙しそうで楽しそう。


楽しければ、楽しいほど。かえりみちは少しさみしい。


熱海駅に着く頃には、すっかり日が傾いていた。


西へ向かう新幹線で、ずっと続くたそがれと、深くなっていく青い宵闇を眺めながら、ひとりおうちに帰る。

…そうか。これが"センチメンタル"ってやつなのか。

そんなことを思いながら。

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リル
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