見出し画像

日本の「庭」とヨーロッパの「庭園」⑬

「フランス式庭園と日本庭園との比較論はしばしば目にしますが、このレポートでは、英国式庭園と日本式庭園との対比を試み、両者の自然への対し方、それを生み出した彼我の土壌の相違、志向性の相違を豊富な資料に丁寧にあたりつつ考察を試みています。」との評をいただいたレポート、いよいよ最終章「イギリスの風景式庭園」のはじまりです。

前回はこちら。

第4章 イギリスの風景式庭園

 18世紀初頭から、イギリスでは、大陸の幾何学的なものとは全く性質の異なった庭園が発達した。これは一般的に「風景式庭園」或いは「自然庭園」と呼ばれるもので、フランスをはじめヨーロッパ大陸諸国の庭園に影響を及ぼすのである。
 本章では、イギリスの風景式庭園を検討していくこととする。

第1節 成立の要因
 風景式庭園がイギリスから生まれたという事実の裏には、数々の土台があった。

 その要因として第一に挙げられるのは、地形である。イギリスの地形は全般的に単純で、土地の起伏も緩やかだが、狭い国土なりにまとまっている。そのため、庭園の景観にそのまま取り入れることが、比較的容易だったのである。

 また、イギリスでは大陸文化の影響は弱く、イギリス独自の形式を発展させやすかった、という点も大きく関わっている。他のヨーロッパ諸国は陸続きで、人間や文化の交流が盛んであった。そのため、庭園様式が一国内で熟成する前に、他の形式が混入することになる。その結果、地方ごとに多少の差異はあっても、基本的には、文化の進んでいる国に類似した庭園がヨーロッパ大陸全体に見られるのである。
 もっとも、イギリスの庭園にも、大陸諸国の影響がみられないわけではない。現に、16世紀に造営されたセオボールド宮などの庭園は、典型的なイタリア風ルネサンスの様式だったと伝えられている。
しかし、島国であるイギリスでは、概して他国の文化が流入してからそれをイギリス流に消化するまでの時間的余裕があったのである。

 イギリス人は、自然を愛好する民族である、といわれる。イタリアのルネサンス庭園から学び取っていた時期でさえも、あまり人工的な趣向を凝らしていない菜園などを、ルネサンス式の地割区画が施された中に設けていた。
 また、四方を水に囲まれたか樹林を、小舟で回遊しながら観賞するという庭園も、イタリアでは見られない自然に沿った形のものだといえよう。
 自然を愛好する心があってはじめて、自然の景観に倣って庭園をつくるという発想が生まれるのである。

 もともとイギリスには、イタリアやフランスに比肩するほどの庭園様式がなく、大陸で発達した様式をイギリスの伝統に沿って手直しすることで、風景式庭園が生まれた。イギリス人の伝統を堅持する気質ゆえに、自然を大切にするというイギリスの伝統に基づいた風景式庭園が、他のヨーロッパ諸国に誇るべきものとして、イギリス人の心に根づいたのだろう。

 風景式庭園の誕生にとって大きな原動力となったものは、田園趣味を賛美した当時の文壇であった。人々は、次第に自然に目を向けるようになり、「庭園は美しいほど自然に似る」(※①)、「自然は直線を嫌う」(※②)などの自然を礼賛する論文も発表された。このようにして、風景式庭園の発達が更に促進された。

画像1

※① アディスン『庭園の愉悦に関する論説』(1712年発表)中の表現。岡崎文琳『ヨーロッパの庭園』(昭和35年発行)創元社 165頁

※② ケント(1685-1748)の論述。岡崎文琳『ヨーロッパの庭園』(昭和35年発行)創元社 165頁


いいなと思ったら応援しよう!