間違いを認めるのは負けじゃない、自分の気持ちを伝えることの葛藤

あーーむかつく。言ってやれ!

えいや、で言った言葉に後悔することが多々アリな人生。

そんな時、私はもう一人の私を登場させる事ができる。
もちろんその人が出て来れる様になったのは、30歳をいくつか越えてからなんだけど。


そのもう一人の私は、私に今の言葉なんで言ったの?と問いかけてくる。

私は、モゴモゴしながら言い訳めいた言葉を呟く。
相手が嫌なことを言ったから、相手がわかってくれないから。

もう一人の私は言う。
それはあなたの勝手な解釈だよね。本当に相手はその意味で言ったの?

私はまた、まあそれはそうかもしれないけど。と言い訳する。


もう一人の私は、相手が自分の思う通りの反応、対応をしてくれなかったからって苛立ってない?とさらに問いかけてくる。

私は、グググとなりながらも、先ほどの自分の振る舞いを振り返る。
自分のその時の体調に左右されていなかったか。勝手な思い込みがなかったか。相手の感情を勝手に解釈していなかったか。

そして思い当たる節が見つかった時、私はハッとする。


もう一人の私に問いかけ返す。もしかして私またやっちゃった?

返されるのは、やっちゃったんじゃない。そう言う時はどうするの?


素直に認める。
そして出来るなら、認めたことを相手に伝える。自己満にならない範囲で。

もう一人の私は言う。
やってみればいいじゃん。


心の中で、そんなことを繰り返している。
間違っていたのを認めるのは負けだと思っていた。

勿論、相手にその想いを相手に伝えたら、全くもってトンチンカンで墓穴を掘ることもあるのだけども、自分の想いを伝えないよりはマシでしょうと開き直っている。

自分のことを分かってほしい、察してほしいと思っていたけれど、伝えなければ伝わらないと理解できたのが大成長。

もう一人の自分を正論かましやがってとか、私の嫌な部分ばっかり見せてくると思う時もあるけど、そのままやり過ごす方が後々大変な事が分かってきたから、有り難くお言葉を頂戴することにしている。


相手に自分の気持ちを話すのは私にとってとても勇気がいること。言わなくてもいいことも人生いっぱいあったから、判断も難しいしね。

それでも自分が言った方がいいと思ったことは、伝えるようにしている。
出来るだけ時間を置かず、端的にを努めている。


同じ事を相手に求めないでね、ともう一人の私が耳に囁いてくる。


#私は私のここがすき

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