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すんなり終わらないエピソードトーク

母親になってから、息子を交えた場で話が1回ですんなり終わったことがない。

例えば実家に帰省しで父母私息子で食卓を囲んでいるとしよう。


そう言えば仕事でね、研修があってさ、前話した先輩がー、

息子
ねえねぇ、今保育園でダンス踊ってるんだよね!


そうだねえ、踊ってるって先生も言ってたもんね
(返答しながら、そう言えばこのダンスの可愛いエピソード教えてあげようと思ってたんだ!と父母に話を向ける)

ダンスでね、運動会の為にみんな踊ってるんだけど、先生が最後のポーズ、お母さんたちパシャパシャ撮るから、カッコよく決めようね、って話してるんだってえ。だから、意識してるみたいよ



そうなんだ、可愛いね。ダンスしてるんだね、あとで見せてよ!あ、ダンスといえば最近テレビで見たね、、
(ダンスから着想を得た母が別の話を持ってくる)

息子
ぼくぶどうすきー!
(関係ない話ぶっ込む係に就任)


ここから、ぶどうの話とぶどうで可愛かったエピソードを私が話し、母のテレビの話に戻し、私の最初に話したかった仕事の話に戻せるかは私次第。たまに戻らないで何を言いたかったか忘れてしまう。

エピソードが2個3個並行するのは当たり前なのだ。


これは息子が注目が欲しいのか、盛り上がってる中自分も話したいのか、自分本位の話を、私の話を遮って出すのが原因である。大体私の話の最中にこれは起きる。と言うことは、息子は母である私の気を引きたかったのか。

でもさらに大きな原因は、そんな突拍子もない発言も大事にしたいと言う私の気持ちなのかもしれない。
せっかく小さい体で主張しているのだから、ちゃんと発言は拾いたいし、話している内容をちゃんと聞いてますよと態度に現したいのだ。

お座なりに、うんうんそうだね、でさーと流すことは簡単なんだけど、したくないのだ。
だからふどうの話が終われば、自分の話に戻っても良かったのだけど、母の脇道に逸れたテレビでダンスを見た話に戻してしまう。

これは私がちゃんとあなたの話すことに興味ありますよ、大切に思っていますよ、という誠意の現れなのだと思う。


昔私の話を遮りまくって、最後まで話をさせてくれない人がいた。ものすごく悲しかったし、怒りを感じた。私を大切にしてくれていない、尊重してくれていないと強く感じたからだ。

そういう気持ちにさせたくないなあ、と思っているのが始まりだった。その人にはとことん、やめてくれと訴え、同じことを仕返し、今考えれば途方もない労力を使い私の気持ちを伝えた。

その結果、その人は話を聞いていても外に意識が向かってしまい、目に入った情報を話したくなってしまう思考の癖があると分かった。
私が悲しんでいることが分かったのか、今ではうっかり話を逸らしても、でさっきの話って何だっけ?と話を戻してくれるようになった。
感謝感謝。なかなか変えられない自分の癖を、少し意識してくれたと言うのはありがたいことである。
そしてやっぱりその一言があるだけで、尊重されているように感じた。私も彼の事をこれからも尊重したいと考えている。


あれ、と言うことは、息子が関係ないことをぶっ込む係なのは遺伝なのかもしれない。

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