日記本についての考察
以前は本を出版するハードルは高かった。そのため、日記が本になる場合、そのほとんどが著名人のものであった。
しかし、個人が気軽に本を出版できる時代になった事により、現在多種多様な日記本が世に出回っている。東京・下北沢にある「日記屋月日」という日記専門の本屋も存在するほどだ。
この日記大氾濫時代とも言える時代に私も日記本を作りたい!と思い、日記をブログに書き溜め本にしようとしていた。
しかし、あまりにもつまらなすぎて日記を書くのを辞めてしまった。飽き性故に在宅勤務で家に籠もってるだけの大して面白くもない日常を書き記しても、第二の私が「こんなの面白いか?」と悪魔の如く囁いてしまうのだ。
そこで面白い日記本を分類し、これなら出来そう!というものを探すことにした。
以前書いた日記の話と重複するかもしれないがご容赦願いたい。
1.そもそも日常がイレギュラーな出来事ばかりで面白いパターン
この日記は大体異国の旅行記が多い。日本に住んでいる我々からすると、異国の生活はイレギュラーでありそれだけで興味をそそる。このタイプの日記は割と商業出版されており、多数見つかるだろう。
また特異な体験をした日々を日記にするものもある。田巻秀敏「貨物船で太平洋を渡る」という自費出版の日記本がこのタイプの日記本だと有名であろう。余談だが、現在この本を手に入れるのはかなり難しくなってきているので、欲しい人はがんばってください……。自費出版本はどうしても数が少ないのですぐに売り切れてしまうのが難点である。
2.著者が有名なパターン
日記本の金字塔である武田百合子「富士日記」は正直著名な小説家武田泰淳の妻であるから注目されたのではないか? というのが私の持論である。確かに、死にかけの鳥を武田百合子がとどめを刺す描写は一級品であり、私の心の傷になるほどの表現であった。しかし、本書の記載の8割は日常のどうでもいいことであり、2割のパンチのある文章を探し当てる為にダラダラ読むようなものである。ある意味では日記本のハードルを下げてくれる本なので、日記本作りたい人にはこれを読んでほしいところはある。
このタイプの日記本も著者のネームバリューのお陰で売りやすいので商業出版されやすい印象である。
3.普通の日常を表現で魅せるパターン
書かれている事自体は普通のことだが表現が素晴らしく、そこが読み応えになっている日記本である。昨今の自費出版の日記本は大体このパターンである。このタイプの最高峰ではないか? と個人的に思ってしまった日記本が大崎清夏「試運転日記」(twilight)である。詩人である著者が書いた日記だが文章表現が巧みで素晴らしい。これを最初に読むと、あまりのレベルの高さに日記本作る気をなくすと思う。実際はこの本が群を抜いてレベルが高いだけであるが……。このクラスの日記本を読めるのは次はいつだろう? と思うほどに素晴らしかった。
4.頭の中をそのまま文章にして、脳内垂れ流すパターン
人間は他人の脳内が気になる生き物である。何気ない日々でも人間はそれぞれ違うことを考え生きている。阿久津隆「読書の日記」はそのパターンである。著者が(おそらく)翌日昨日のことを思い出しながらその時思ったことを垂れ流している。脳内を覗けるが、脳内は整理されていないところもあるので実は案外読みづらいところもあるのが難点である。阿久津隆フォロワーと言われている柿内正午さんは個人的には阿久津隆さんとは毛色が違い、柿内正午さんの日記は理路整然とした日記の皮を被った評論だと思っている。評論しか読まなかった私が、柿内正午「プルーストを読む生活」にハマって、自費出版の世界や独立系書店巡りにズブズブになったのも、この本が実質評論だからだろう。
大まかに上述のパターンで分けたが、自費出版本で出すとなると多くの人は3番目もしくは4番目のパターンになると思う。1のパターンで出せる人はごく少数であろうし、2のパターンであれば商業出版側から声がかかるだろうからだ。
実際に日記本を書くに当たっては4番目のパターンを意識して書くのが一番書きやすいのではないか? と思う。何故なら巧みな表現を書けるようになるには、ある程度文章を書く訓練が必要であるからだ。また、自分の思考回路を開示するのは実はハードルが高い。私は無意識に自分の内面の露出を嫌がるところがある(Twitterで好き勝手言っているように見えるが、あれはリアルの私ではなく外向き用の人格の「はちたそ」さんである)。
最初は日記論として書こうと思ったが、日記論を書くにはまだまだ日記本を読んでいないので、今回は自分用の思考の整理を兼ねた、日記本を自費出版する場合の方向性について検討した。
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