大韓航空機に乗ってソウル・インチョン空港に降り立つとなんだか懐かしいような、まるで夏休みの夕方に暮れ行く夕空を見上げたような気持ちに襲われる。何故だろう? きっと韓国の人々が我々日本人に近く、それでいて小さい頃の近所のお兄さんや遠縁のおじさんを思い出させるからだろうと思う。海外にいると何故だかそんな風に周りを見てしまうものだ。韓国ソウルのビジネスマンは皆おしゃれだ。一度スーツ姿で飛行機に乗り込む三人組の三十代ビジネスマンと隣の席になったことがあった。三人ともストライプの細身のスーツを着て、それぞれ違ってはいたがポケットフラップの形が変わっていた。ダブルカフになったスーツを着ている人もいた。そして皆シャツの襟に飾りのようなものを付けていた。日本やイタリアでは見たことがないが、きっと韓国での流行なのだろう。ちょっとはっきりしたおしゃれではあったが、清潔感に溢れ、ビジネスマンの第一印象としては素晴らしかったが、靴がもったりしていた。三人ともボリュームのある大きく四角いつま先を持ったゴム底の靴だったのはまだ許せるとしても、手入れが行き届いていなかった。きっと履き捨てるつもりで履いているのだろう。少し前まで東京においてもよく見かける光景ではあったが。
また、ソウルの男性ファッション誌編集者から取材をうけたこともある。ソウルから取材申込みがあり、東京の有名店を十店舗ほど取材して回るとのことだった。彼らは日本の男性ファッション誌をハングル語に翻訳させて毎月熟読していた。イタリアやフランスのファッション誌以上に熱心に。世界中のファッション発信都市を見てきた彼らは言う。東京のファッションほど洗練されていて刺激に満ちたものはないと。感性が近いのだ。
日本とは最も近い国、韓国。距離的に近いだけでなく歴史上のかかわりも相当深い。第二次世界大戦のころには数々の非道な行いがあったようだが、歴史の教科書ではほとんど何も学んでいない。私は高校では日本史を選択し、九年間も日本の歴史を勉強しながらも、この件では韓国の人に指摘される一方で情けない限りだ。大学受験では四つの大学で日本史科目を受験したが、そういった問題に関する出題はなかったし、過去の受験問題にもなかった。よく言われるように、人は為した行いに関しては自分の都合で忘れ、生き易いように記憶を作りかえるが、為された行いに関しては絶対に忘れないということだろうか? 文科省は「解釈の違いだ」と言うかもしれない。いろいろな言い方がある。ただ、インターネットがこれだけ普及し、グローバル化が一時も休まずに進行する中、(日本が眠っている間ヨーロッパは起きていて、その後アメリカが起きだして日本が目覚める。)解釈の違いだけで済まされるだろうか?
日本に拉致被害者の悲劇があるように、在日韓国人や満州引揚げの際の韓国人にも悲劇がある。そして戦争のどさくさが絡んでるだけ、韓国のそれのほうが圧倒的に数が多い。幼い頃から在日韓国人はまわりにたくさんいたのだろうが、それは意識されずにやり過ごされてきた。皆、日本名を名乗っていたし、一緒に海外旅行をして出国受付が違うなんて経験もなかった。朝鮮人学校は近くにあったが交流はなかった。私の両親が、生活レベルで公平、公正な人間関係を心がける偏見の少ない人間だったことも影響しているのだろう。実際に母の一番の親友のひとりは在日韓国人だったが、私の前ではそんなことは一言も言わなかった。もちろんその人は日本語しかしゃべれないし、韓国なんて行ったことがなかったらしいから、私にとっては普通の近所のおばさんのひとりだ。それが良かったのかどうかはわからない。きっと差別問題における永遠のテーマだ。
大学に入学して初めて在日韓国人問題を知った。まわりの同級生たちも多感な時期だったし、自ら声高に問題を提起する人もいたし、実は私もなんだ、といって生い立ちを語り始める人もいた。聞いてみると、日本政府側も問題を抱えていたし、在日韓国人の側も別の問題を抱えていた。両者がもつれ合った糸くずのような状態でひとつの織物を織る算段をしているような構図だ。ある人は問題解決は全員が知ることから始まると言っていたし、またある人はそっとしておいて欲しいと言った。多くの差別問題が大多数の無関心によって拡大されていることは理解できる。でもそれを小学生や中学生の子供に教育していくことには、とても違和感を感じる。
中学生のときのことだ。二年生全員で部落差別問題に関する映画を見終わったあと、上下ジャージ姿にビニールのサンダルを履いた国語教師が一人の生徒を指して質問した。
「感想を言ってみろ。」
私もその指された生徒もそんな問題があることをそのとき初めて知ったところだった。その生徒は何と言って良いのか迷いながらも、「可哀想だと思いました。」と答えた。
するとその国語教師は、何も言わずにその生徒の前まで歩いていって無言で張り手を見舞わせた。
何が起こったのか訳もわからず、ただびっくりして頬を押さえる生徒を残したまま、国語教師はやはり無言で教壇にゆっくりと歩いて戻った後こう言った。
「可哀想だと思うことが差別の始まりなんだ!」
一体何と答えればよかったのだろうか? 我々生徒は怒りに震えた拳を机の下に隠しながら国語教師をにらんだ。何故か竹刀を片手に持ったその国語教師は、もっと日本語を勉強しておくべきだったのだ。そして竹刀や張り手に頼らずに、生徒に日本語という言葉の効力と意味を教えるべきだった。更に言えば、感想を聞くのはナンセンスだ。そんなこともわからない未熟な人間が差別問題を解決すべく教育をすることなんて不可能だ。
先日、在日韓国人の友人に子供が生まれた。子供は日本国籍らしい。どちらにしても宝物のような存在に変わりはない。それは我々日本人と韓国人にとっての未来そのものなのだから。いつの時代、そしてどんな問題があろうと、結局我々人間の本質は変わらない。自分が幸せになるために生き、未来を明るいものにすること以外にはない。何もない。
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