【エッセイ】#37 面倒な性格が私をつくる
私はかなりの天邪鬼な性格をしている。
大概の内容に関して「本当か?」と思うことが圧倒的に多い。
幼い頃から自分の目で見なければ信じない。
自分で体験しないと信じない。
手で触れないと信じない。
とにかく他人の言葉は、相当信頼している人以外、基本、信じない。
あなたには、こんな考えはあるだろうか?
私は、自分でも結構面倒くさい性格をしていると思う。
だからこそ、その真偽や根拠を徹底的に調べる。そして、自らの知識として咀嚼してようやく安心する。改めていうがまったくに面倒くさい性格をしている。
先日、ある人と話をしているときに「博識」といわれた。正直、そういわれたことにすごく驚いた。私自身はまったくそのように思っていなかったからだ。
これまで知らないことや疑問があるとかなり気になり、いてもたってもいられなくなる。今の時代はいいモノで、インターネットを使えばすぐに知りたいことが知れるのだ。
まあ、情報の真偽はあるのだが。
一度学んだことは、忘れないように何かしらにメモをする。それはPCのメモ帳である場合もあるし、何かしらにアウトプットすることもある。
インプットした情報は、アウトプットすることで自らの脳への情報定着率が変わるという。意外にも私は幼い頃から自然とこれを切り返してきた、これが功を奏したのか、さまざまな分野に対しての知識が蓄積してきた。
日々、気になったことをすぐ調べ、理解し、知識として定着させる。これを習慣として行い続ける。
地味な作業であるが、知識を蓄積していくには最も有効、且つ近道なのではないかと私は思っている。
と、エラそうなことをいっているが、実は私もポンコツなのだ。
私は家族に「話をすると阿呆さがバレるから、話さない方がいい」とよく言われる。
そのため、音声で発信もしているなんて、死んでも明かすことはできない。
その理由は、地理・地名、歴史を知らないからだ。
学生の頃からこの2科目だけはどうしても苦手だった。
社会人となり、あまりの私の地理、歴史知らずに上司にチームから外れるよう命じられたこともあった。
そりゃあ、歴史的建造物修繕の打合せで、一人だけポカンとしている奴が居たら、私だって会議室からたたき出す。
そんなこともあって「最低限の知識がなければ、仕事さえさせてもらえない」ことに気が付いた私は小学生用の地図帳、教科書を読み込み、日本地図を叩き込んだ。その甲斐あって、今では人並みに地理や歴史の知識を得ることができた。
なんというか、好き嫌いはいけないね。
年齢に応じた知識や一般常識をしっかりとつけておかないと人としてすら扱われないことすらある。情報や知識はネットなどで調べれば誰でもわかる時代なのにね。
「ねえ、白叔父さん、群馬県に隣接する一番大きな県はな~んだ?」
今年5歳の甥っ子が聞いてくる。
この子はなぜか私にそっくりの顔をしている。
「え……、と、東京都……かな……」