【エッセイ】#44 コトバが最後の切り札
昔好きなバンドがあった。
すでに解散してしまったロックバンドグループ。
BOOWYというグループで、氷室京介、布袋寅泰、松井常松、高橋ヒロなどで構成されていた伝説のロックバンドである。
そのBOOWYがまだ大きくなる前には「暴威」と名乗っていたのは、なかなかにコアなファンにしか知られていない。そんな「暴威」の時代にリリースした曲の一節に最近の私には刺さる。
その曲は「RAT」。
文字通りねずみという意味である。
この曲がリリースされたのは、今やから約40年前。いわゆる昭和バブルが破裂する寸前という時代背景である。
当時の旧態依然、昭和思想というものに染まりまくっていた社会にこのロックバンドは嚙みついたのだ。
バブルで適当な仕事をし、世間を調子よく、スルスルと生きていく社会人や若者に「お前たち、そんな生き方でいいのか?」という想いを乗せ、作成したと聞く。
歌詞の内容はネズミのように卑怯に、ずるがしこく、うまいことやって生き抜いていく主人公の社会に向かう際の思想や態度がけだるい調子でつづられているモノだ。
まさに生きること、自分自身の思考や行動に責任を持たず、だらだらと毎日を過ごし、調子よく世間を生きているのだ。これらをよりけだるく歌い上げることで、今の社会人や若い人たちを風刺しているものだ。
この生き方。昭和バブルが破裂することで完全に否定され、むしろ今ではパワハラといわれるほどの昭和体質の仕事方法が一般的となっていった。
ときは40年過ぎ元号は令和。
コロナ禍を乗り越えた社会ではこのように生き、仕事をする人たちが圧倒的多数を占める。あの当時、暴威が否定した「RAT」な生き方、仕事をする社会人や若者たちは、私の周り、そこかしこに存在する。
彼らが否定した社会が形成されている。だが、そういった生き方に自然と納得する、又は、気づきすらしない社会人や若者は、これから先、どのように生きていくのだろうか。
とても心配である。
でも、どうしてネズミって、卑怯、ずるがしこい、調子がいいなどのイメージがあるんだろう。可愛そうだよね。