【エッセイ】#40 化粧は気合とともに
隠すということ。
心を、表面を、人格を。
生活において、人はさまざまなモノを隠している。
それは人間関係を保つため、又は自らを守るために隠すのだ。
自らを隠すことの一つとして、化粧がある。
化粧とはなんとも的を射た文字をあてたのだなあと今更ながらに感心する。「粧」して「化ける」と書く。
「粧」とは、「顔かたちを整える」「装いを整える」という意味がある。顔かたち、装いを整え、化けるとは、なんとも意味深だとは思わないだろうか?
太古より化粧は特殊な意味を持っていた。
強さの象徴などの権威性を示すものとして行われる化粧や入れ墨、呪術的な施しをするための化粧、降霊し神を体現するために施す化粧、さらには他者への威嚇として用いられることもあったという。
ここに共通するのは「自らとは違う自分」を演出しているということ。
まさに「化ける」「装う」といったものがぴったりだろう。
自らの弱い部分を化粧という一枚の層で覆い隠し、試練へと挑む。
そう思うと、化粧を施す時間というのは、自らを奮い立たせ、覚悟を決める戦いの前の神聖な儀式なのではないかとすら感じられる。
「男は敷居を跨げば七人の敵あり」と昔から言われている。
そのため、準備を怠るべからずと昔から戒められ、私もそうしてきた。
しかし、私たちはその準備をしっかりと行えているであろうか?
むしろ敷居を跨ぐ前にしっかりと準備をしているのは、女性の方なのではないかと、愛する人が化粧をしている姿を見て思う遅寝の朝。