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【エッセイ】#13 禍を転じて福と茄子

割引あり

 いやぁ。
 ここ最近、落ち込むことが多かったのですが、一方で拾う神もあるようで……。

 スピリチュアル的には『不運が重なっている場合、それは大きな運が訪れる前兆』というらしいです。まあ、私、あまりスピリチュアルは信じていませんがね。


 世の中とはこういう風にできているのでしょうか。
 そういえば、拙書「愚者」でも書いたことですが、人生が動き出すのは少しのきっかけと、行動力が引き金になっているように感じます。

 今回も新しいことに挑戦をしたり、圧倒的に行動したりと、傍から見たらおかしなことをしていたと思います(実際に、陰でバカにされていたことは、いろいろなところから聞いています)。

 でもね。

 やっぱ、ここまでしっかりとさまざまな挑戦をしてきてよかったよ。
 ようやく成果につながってきた感じがある。


 「粗削りだけど面白い」そんなありがたいお言葉をプロ作家が集まる場でいただけた。
 あ、私はそこにはいません。電文です。伝聞です。信頼している人からの話なのでマジだと思います。

 この言葉をいただけて嬉しかったのが、プロの方々に「着眼点は面白い」と言われたことだ。いや、いわれてないやろ。って、思った人。そうです。私の拡大解釈です。でも、いいんです。
 
 私の作品が「粗削り」なのは、当然。
 作家として活動をはじめて間もない。さらに、編集者さんが付いて、構成・添削してくれるわけでもない。

 そんな中で自ら作品のテーマを企画し、作品を執筆し、添削し、仕上げてきた。粗削りだとしても面白いといっていただけるとは、それだけで私は万感の想いに溢れる。

 プロが面白いと思ったということは、「着眼点がよい」「切り口がよい」「私の発想にはなかった」「よく考えたなぁ」などのコトバが裏に隠れていると思う。

 確かに私はポジティブシンキングモンスターなのかもしれない。
 ただ、2㎜だとしてもプロの心の中に私の作品の印象が残ったのであれば、これは私の中の可能性がかなり現実に近いレベルで存在しているということだと思っている。あ、このあたり、ポジティブに受け取っているかもしれませんが……。

 なによりも自らのライティングなどの能力を上げ、作品の粗を削っていけば、可能性は大いにあるとのコトバともとれる(おい。さすがにこれは拡大解釈しすぎだ)。
 だからこそ、今日も気合を入れて、覚悟を決めて書いていこうと思う。
 


 もう一つ、とんでも級のお仕事が舞い込んできた。

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