【エッセイ】#24 人生は結局、楽しんだもの勝ちと思うようになったこと
正直、このように思えるようになったのは、本当に最近だ。これまでの人生で私は、多くのことに悩み、欲求を持ち、人生をどうにかしたいと思っていた。
例えば、
・仕事で成功したい
・なにかしらで有名になりたい
・お金持ちになりたい
・日本から飛び出したい
・自由に暮らしたい
・好きなことだけをしたい
などなど、これらの欲求って多くの人も同じだと思う。
これらを「いつか」叶えるために、仕事に、お金稼ぎに、さまざまな情報収集とその実行に周りがあきれるほどにチカラを注いでいた。
あ、今回はスピリチュアルな感じの内容に聞こえるかもしれませんが、全然そんなことはないので、身構えないで大丈夫。私はスピリチュアルな事象を信じていますが、今回の記事では取り上げません。
さて、「人生を楽しもう」と思ったきっかけの一つ目は、「仕事をめちゃやったから見えたこと」だ。
ギャンブル漬けになる前の私には、極度のワーカーホリックになっている時代がありました。
休日をすべて返上し、毎日終電で帰る日々。仕事に明け暮れ、ただひたすらに働いていた。ろくに食事もせず、PCに向かい仕事をこなしていく。足元には当時発売したばかりのレッドブルの缶が積みあがっている状態。
当時は、チームメンバーが体調を崩し、休職をしていたため、その分の仕事も私がガリガリとまるで音を立てるように仕事をこなす毎日を過ごしていた。
なぜ、そこまで仕事をしていたのか?
立ち上げたばかり仕事で成果を上げ、認めてもらいたかったから。
その分の昇給・給料が欲しかったから。
三十代前半の私は「ツライのは今だけ。頑張った分だけ、未来は明るくなる」と信じ、がむしゃらに働いていた。今思えば、まったく阿呆だったなあと思う。
当時を振り返ってみると相当家族には負担を強いていた。中学校受験に向け準備をする娘と小学校に入学したばかりの息子。フルタイムの仕事をしながら、そんな子供たちをフォローしていた妻からは総スカン。しかし、彼らも「ツライのは今だけ」と私が仕事に向かうことに対して、その怒りをグッと飲み込んでいる状態だったそうな。
本当に家族そろって、闇に向かってひたすら歩いている状態だったと思う。
この仕事に全力でコミットした期間は約七年続いた。娘はいつの間にか高校生に、息子は中学生になっている。なんだか、ワープしたような感覚に陥ったのを覚えている。私一人が家族の会話に入れず、勝手に疎外感を感じる毎日。でも、これって自業自得だったんだよね。
じゃあ、いったいなにが残ったのか?
・事業としては小さな成果
・月々一万円の給料アップ
・それなりの積立投資資産
・立ち上げた事業の廃止
・健康的ではない、約15キロの減量
・会社への不信感・絶望感
・労働をし、対価を得ることへの疑問
・家族からの不信感
プラスとしてはあまりに小さく、マイナスとしては大きすぎるものだけが残った。
この頃から世の中の「当たり前」と呼ばれるものに疑問を強く抱くように私はなった。
幼い頃から耳に多く入ってきていた、
「将来のために頑張る」
「いつか成功する」
「ツライのは今だけ。明るい未来がきっと待っている」
そんなコトバを素直に信じられなくなっていた。
社会に不信感を持ってしまった私は家族と一緒に過ごすことも避けるようになってしまった。ここまで負担をかけていたにも関わらず、思い描いていたような結果や未来を提供することができなかったからだ。
休日は朝からギャンブルに浸るようになる。仕事のストレスから、家族からも逃げるために。何も考えず、ただひと時の興奮に一喜一憂する。そんな自堕落な生活から復活するのは、過去記事のお話。よかったら読んでくれると嬉しいです。
2つ目のきっかけは「祖父の死」だ。
私は、すごいじいちゃん子。幼い頃からじいちゃんは私のことを可愛がり、いつも一緒に遊んでくれた。一方で礼儀や作法にとても厳しい人だった。
私が年齢を経るとその「教育」は徐々に実を得たものとなり、その重みも増していった。じいちゃんは当然、自分の会社を私に任せようと思っていたらしく、ありとあらゆることを私に伝えた。
私もそれに応えるようにしっかりと学び、吸収し、成長していった。一族を守るために会社を立ち上げ、運営を高齢になっても続けていたじいちゃん。私は心から尊敬し、「そうあるべき姿」になるよう努力をしてきた。
そんなじいちゃんも最後の刻を迎えることとなる。
じいちゃんの最後のコトバは、
「なんもかんも全部やる。好きに生きなさい」
「かくある姿」になるために努力をしてきた私は空っぽになってしまった。
「好きに生きる」とは、なんだ?
今まで生きてきたのはいったい、なんのためだったのか?
じいちゃんの最後のコトバに混乱し、私はなにも手につかなくなった。
このあたりのお話は、こちらの本でご紹介していますので、よかったら手に取ってもらえると嬉しいです。
ぽっかりと空いてしまった私は、生きることを真剣に考えることになる。
答えの出ない中で、日々を過ごしていた。
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