1後ろ向き
なんだか、知人がノートを書き始めたそうだから、自分も何か書いてやろうかと思って、友人を2人、目の前にして、書くこともないのにこんな画面を居酒屋で開いている。
そう、書くことがないんだ。目的と手段、示すものと示されるもの、自分の興味が向くのは、その記号の方なのだ。何かを作る、自分の思考を発露する上で、気にするのは、多分その言わんとしていることより、そのモノそのものなんだ。
エモイズム。ポストモダン。記号?
音楽が好きだけれど、自分が惹かれるのは、詞の内容なり何なりよりも、アレンジとか、このソロのここが良い、みたいな「音」そのもの。特に、ボーカルなんてのは、詞の中身なんて一個も聞いちゃいない。ボーカルの言葉の発音、韻、リズム、そう言ったものも、「音」として認識している。歌詞の言葉を選ぼうとする時、意味内容より響きで選ぶ。まあ、その響きの基準も、感覚的なものなのだけれど。
かと言って、その自分の選んだ(?)ものが上手い、綺麗なものなのかといえばそうでもない。口は下手だ。かなり。
...
必死に言いたいことを探している。
ないわけじゃない。それを噛み砕いて、細分化して、また組み直していく作業をしている。その一番根底にあることは、寂しさと後ろ向きな何か。明日よりも昨日。自分がこうも後ろ向きな人間なのかと、再認識する。
この後ろ向きな思考はどこからくるのか。多分自分は自分に対する要求が高い。そして、それに毛ほども届いていない現状があって、そのギャップが嫌なんだろう。
ダメな自分、良い所のない自分。マイナスな自己イメージの積み重ねが思考のベースなのだ。上手くいえないけど、なんだか、人との関わり方、言葉の選び方、音楽、の基盤にそれがある。
ぷかぷかと温い関係性に浮かんで、ふよふよと過ごし、書いている言葉が示すのは「あの頃は良かった」ってこと。
寂しさの由来は??
んーわからない。多分自分は自分で自分の機嫌をとれるほど、強くない。自分ではない人間に寄りかかりたい。だけど、他人の存在があって欲しい反面、当の他人がそこにいたらいたで、天邪鬼になってその人を遠ざけようとしてしまう。
なんかもっと明日に希望を持ちたい。
多分、怖がりを越えて、とりあえずやってみるしかないんだなぁ。あーあ、やろ。