3なぎなた
中高の部活の話をしようと思う。首都圏の中流階級の家庭らしく、お受験をして、私立中高一貫校に進学した。今でも、学費を出してくれた親には感謝している。
そんな学校で、選んだ部活はなぎなた部だった。きっかけは、小学生のとき好きだった三国志。推し(?)だった関羽の使ってた武器がなぎなただった。あとは、物珍しかったから。入ってから知ったことだけど、県に部活であるのは3校だけ。そりゃあ誰も知らんわ。
そんなこんなで、入った部活には、日本の「伝統」が濃縮されたヘンな世界が広がっていた。
まず、男女比がおかしい。中高合わせて女子が4-50人に対して、男子は4人。高2が2人、中1が2人。世はやれ男尊女卑だのなんだの言われてるけれど、真逆の世界だ。当時のあの狭いけど大きい社会のシステム的には、圧倒的に女性優位な形をしてたと思う。男女共同参画社会基本法とかでどうにかした方が良いくらいには。ま、卒業する頃にはだいぶ、男子の権利も拡充されていたけど。
女子は部室棟の部室に荷物置いて着替えられるのに、俺らは体育館横の倉庫。そんなくらいはまだ良い。どこの部活かって、そうで着替えくらいはするだろう。
それよりも何よりも、男子は出られない大会、種目があった。県大会のレベルだとまあ、型で男女混合だったりで出られたりはしたけど、男子には基本、個人試合しか出られる種目がない。団体戦には出られないし。インターハイにはそもそも男子の枠がない。関東大会も、男子は正式じゃない、オープン種目。その直前の女子の団体戦の経過次第で、試合の条件が変わっちゃう。巻いたら試合時間も長くなるけど、押したら2分延長なし即判定。みたいな。
だからこそ?逆に?良くも悪くも、「男子は男子だからなぁ」みたいな空気もあった。それである程度好き勝手させてもらってた部分もある。
それに、当時の顧問の先生が、「男子のなぎなた」ってものにとても思い入れのある(?)方だったから、高校生だけ参加の合同練習とか、男子だけで遠征とか、連れて行っていただけた。とても感謝している。
あとは、タテ社会。
一個の年の差が(特に中学の間は)めちゃくちゃデカかった。先輩が仕事(床のモップがけやら、なんやら道場の準備とか)してたら、後輩は死ぬ気で奪いに行く。先輩が動いてるのに後輩がそれに気づいてないと、先輩に怒られる。先輩の顔色を常に伺う。廊下ですれ違ったら挨拶。気づかなかったら怒られる。
先輩だけじゃない。県の連盟の先生方には、それ以上に気を使う。先生方は、雲の上の存在。いうことは絶対。先生が右を向けつったら、大声ではいっ!つって右向く。
そして、臭え。
なぎなたは演技(=2人1組の型)と、試合(防具つけてお互いをぶっ叩く)と、があるんだけど、練習時間は大体防具の方が長い。全身運動だし、当然、汗もかく。ほんで、なぎなたの防具は、洗濯機にぶち込んで、洗うってことができねぇんだこれが。だから、汗かいてもそのまま。そんで、藍染でもともと染料くさいのに、凝縮された汗の臭いが混ざって、バァカほど臭くなる。剣道経験者なら共感してくれると思う。あれ、バカ臭えよな。
とまあ、そんな感じの世界だった。
多分、俺という人間の色々な部分が、ここの中で作られたと思う。
まず、卑屈なところと低い自己肯定感。
唯一の男子の同級生に、Aがいた。やつは、剣道上がりで、なぎなた が大好き。俺とは違って、すげえ研究熱心だし、努力もしていた。ちゃんと結果も残していた。中3の夏の全国大会、俺が一回戦でポカやらかして負けた相手を決勝でボコして優勝してた。高校でも、全国優勝を何回かとって、全国に名を轟かせていた。
今でこそ、ヤツがすんごい努力をして、なぎなたに向き合って、勝ち取ったものだってことがわかるけれど、当時の俺はガキだった。いまでもか笑
なんか、練習会とか、日々の練習で、褒められるのも、先生に名前を覚えてもらえるのも、ヤツばっかり。俺は奴の金魚の糞。
俺だってチヤホヤされたい、褒められたい。それでも、仕方ない、上手いのはヤツなんだから。俺も俺でそれなりにやってきたつもりだったが、圧倒的になぎなたにかけている思い入れの強さが、薄っぺらかった。
大して上手くもない、結果もついてこないから、上手くなった実感もないし、楽しくない、惰性でとりあえずやってる、学校に行く理由がそれしかないから、とりあえず授業をひと通りテキトーに受けて、夕方、棒切れをぶん回しに行ってる。そんな感じだった。成功体験が少ないのだ。無論、自分が悪い。努力してないんだから。
それでも、なんだか、その中3の夏が過ぎたあたりから、なぎなたのコツみたいなのが掴めるようになってきて、そこからは楽しかった。ちゃんと一本が入るようになったし、褒められたり、「自分の強み」みたいなものもできた。単純に成長期で、筋力、体力が増えて、ただできることが増えたってのもあるかもしれない。けれど、高校に入ってからはそれなりに楽しかった。相変わらず、結果はそんなに残せなかったけど。
8人だけのトーナメント(うち6人は身内)の県大会は中3から高2まで、3年連続の準優勝。無論、優勝はAだ。2,3試合、後輩をぶっ叩いて決勝行って、Aにボコされる大会を何回もした。
関東大会では、1年の時は、2回戦で強い人と当たって、その人に負けて、その人にYが決勝で勝ったんだったかな?半年前と全く似たような結果で、多分大会後はむすーぅっとしてたけれど、高2の時は3位、引退試合の3年の時は準優勝だった。これも、決勝の相手はAだった。
この関東大会3位と準優勝は自分でもそれなりに誇らしい結果だけど、全国大会では賞を取ったことがないのがコンプレックスだ。だから、関東大会は、「それなりに」誇らしいのであって、全然胸は張れない。ま、誇らないと、他の出てた人たちに失礼だしね笑
年齢の感覚と上下関係への敏感さ(?)も、ここで形作られたと思う。大学の友人たちからしたら意外かもしれないが、俺は案外年齢や先輩後輩の立場を気にする。一応、初対面の年上には下手に出るし、後輩に初っ端からタメ口聞かれたら、なんも言わなくても心の中でムッとする。まあ、仲良くなっちまったら、礼儀もクソもへったくれもないんだけどね。
大学での目上の皆様がたに対する態度はこの反動と言いますか、中高ではこういうのがガチガチな環境にいたから、大学は真逆を行ってみようとか思ってるのが言動に出てるものと理解してくだされ。
ほんでもやっぱ根っこにはこれが染み付いてるよね。ちょこちょこ思う。特にこれ思う瞬間は、初対面で、年齢も多分下だけどわかんないみたいな状況で、ゴリゴリタメ口きかれたとき。心の中で「ああん?テメなんだオラ?」って心の中でめちゃくちゃ軽ぅ〜く思って、それを押し沈める。その瞬間に、ああ、俺もなぎなた人なんだなぁ、と、少し笑みが溢れる。
あとは、なんとなく、人生において、やることなすこと、全部苦行だと思うマインドセットもなぎなたから来てるような気がするんだよな。要らない真面目さ加減というか。
なんつーか、ものごとを純粋に楽しくできる人間がすごいと思う。俺なんかは、なにごとも、その道を求め、歩まないと気が済まないというか、全てを「やりたいこと」よりも「やらないといけないこと」ってふうに考えてしまう。うーん、伝わるように言語化できない。もし、機会があれば、これについては別でまた、書きながら、咀嚼していこうと思う。
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なぎなた、という武道そのものについて語っておかねばなるまい。あとは、その精神論に関する持論も少々。次回にでも。一年前にOB訪問した折に書いたnoteの下書きを発掘したからそれに手を加えてアップしようかな。
就活を始めて3日、キャリアアドバイザーとの面談で、現状を説明して苦笑いされた日の夜。また、過去の話をしているな笑
明日のことをもっと書けるようになりたい。