
知ってください。本当のフィンランドを。
最初は息子でした。ADHDの疑いがあり検査で大学病院へ行ったところ、貴方たち家族は密接しすぎている。一度母親から離さないと正確な判断が出来ないと2週間入院させられ、その結果。母親が息子を洗脳している。父親の事で嘘を植え付け、そのせいで息子が父親を恨んでいて性格的にも怒りっぽく、学校でもうまく行かない。全部母親のせい。母親は危険。貴方は自分がやっていることがわかっているのか。精神科医にいってセラピスト付けてもらえと。何とも信じられないことを大学病院の医者に言われました。ちなみに息子はただ、父親と父親の元嫁にされたことを怒り混じりに話しただけなのに、父親がそんな事するわけがない。母親が嘘を言っててそれをこの子は信じきっていると。。。。こういう話し合いの場合、通訳を普通は呼ぶのですが呼ばづ、医者、看護師3人、ソーシャルワーカー3人、私一人。施設に移動する前に息子に合わせてもらえたけど、前に二人、後ろに二人立って常に私に、日本語、話すな。フィンランド語を話せと。まるで犯罪者扱い。
息子を取り戻す為に色んな所を頼っては裏切られ、何度も泣いて眠れない夜を過ごして一年過ぎた頃、話し合いでソーシャルワーカーが、息子さんに帰ってきて欲しいですか?私:当然です。じゃあ今からもう家帰ってもいいですよ。って。。はあ⁉️ 私の苦労と涙はなんだったんだ。私たち家族全員傷ついて、そんな家族の絆を直すために努力するのはあの人たちじゃなくて私たちで。そして半年後、今度は障害のある長女が突然、学校から施設に連れて行かれました。当初ちゃんとした理由は聞けず、家族の情報が足りないから家には帰せない。訴えたかったら訴えればいいと言われました。ソーシャルワーカー、何様なのか。。。それは木曜日に起きて、どうにかしたくても、ソーシャルワーカーの上司は仕事終わってる時間で、金曜日は休み。その次の週から、私たちは秋休みで家族旅行を計画していて、ホテル代も全部払っていたのですが、ソーシャルワーカーが、家族の情報が不十分なので娘は一緒に連れて行っては駄目です。だってさ。
こんな状況で旅行に行く気はなく、みんな泣いていて、鬱状態で、旅行はもちろんキャンセル。お金は一切帰ってきません。
公にはしてこなかったけど、長女は発達障害、知的障害があります。娘は簡単な計算ができるくらいで、学習レベルは小学2-3年生程度。コロナで自宅学習になった時に、一緒に徹底的に読み書きを練習してやっと読み書きできるようになりました。施設にいたところで誰にもちゃんと本当の気持ちを話したりできません。説明することが苦手で、単語が出てこない時は黙ったり、泣いたりします。数年前に起きた嫌だったことを突然思い出して、今起きたことのように突然泣きながら話したりします。何かをやり始めると終わるまでやらなきゃ気がすまないので、洗濯機の使い方を聞いてきたので教えたら、全て洗い終わるまで洗うので、家中洗濯物だらけです。もう干す場所がなくても洗います。片付け始めると下の子がまだ遊んでいるものまで片すので喧嘩になります。思春期もあって、太ることが嫌で(痩せてますが)、時に食べることを強く拒みますが、家ではちゃんと話を聞いてあげればちゃんと食べてくれます。
この子をちゃんと理解している人がどれだけいるでしょうか。
今まで一人、たくさん酷いことがあっても頑張ってきたけど、今回は本当に駄目だって思ったし、感じた。体も心もフィンランドにいたらもたないって。
これらのストレスで、不眠になりました。頭痛が常にあります。突然涙が出てきます。いつもイライラしているか無気力です。子宮ポリープから大量の出血があり、ナプキンでは吸収しきれないので恥ずかしかったけど、尿漏れパットを買う羽目になりました。そして先週の金曜日の朝、突然右耳が遠くなりました。聞こえるのはわずかです。怖くてその日の朝すぐ病院に行ったけど、中耳炎などの症状は見つからず、ストレスだろうと。。。仕事は好き。行きたい。でもこのままじゃ本当死んじゃうよってことで、医者も休みを取るようにと進めてきました。
泣きながら兄に電話したとき、帰っておいでって行っていってくれた。仕事も家も世話してやるから帰っておいでって。
これが私が5年後、日本に帰りたい理由です。なぜ今じゃなく、5年後なのかは、共同親権が終わるから。父親の許可が要らなくなるからです。
ただそれでも救いなのは、素晴らしい職場の仲間の支えと、優しく思いやりのある子供たちです。日本に帰りたい思いを留めてくれているのは、職場の仲間みんなと、フィンランド語学校時代からの友達、子供たちを支えてくれる私たち家族の大切な友達の存在です。
長い文ですが、読んでくれた方、ありがとう。