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正直者だけが得をするなめらかな社会

僕は「なめらかな社会とその敵」という本が好きです。

先に断っておきますが、今回ここで使うなめらかな社会というのは、
情報の非対称性がなめらかになっていくという意味でのみ使っているので、
本で描かれているなめらかな社会の一面的な部分かなとは思います。

それでも、今少しずつ世の中がなめらかになっていると感じます。
そのなめらかな感覚を共有したくて文字にしました。

このなめらかさはどこから生まれているかと言うとやはりWebです。

インターネットが普及したことで情報を直接入手できるということ、
そしてインターネットを介して情報を発信できるということ、
さらにそれらの情報を交換することができるということによってです。

人は信じたいものを信じます。
だから情報がいくらあってもそれをどう解釈するかというのは、
よほど注意深く無い限りその人の価値観、物の見方に支配されています。

それでも、多数派は「だいたい」正しい選択肢を選ぶように、
インターネットによって情報が交換されればされるほど、
長い年月を経て自然淘汰されて最終的にその時価値あるものが残るのです。

正直に言ってこれまで正直者は損をすることも多かったはずです。
情報を正確に伝えたところで相手に価値があるとは限らなかったからです。

正直が良いのは相手に知識があり、判断力がある場合のみです。

しかし、実際は相手に完全な知識があるわけではないし、
判断もあいまいで気分によって変わることは普通です。
そして、これまでは知識を手に入れる事自体が難しかったのです。

例えば骨董品を売るときに、
「この壺はこういう点において本物と同じ特徴をもっているが、こういう点で全く新しいので本物と言えるかは判断できない」というよりも、
「この壺は貴重なもので価値がある」と言われたほうが欲しくなります。

判断するほうが知識と判断力をもっていないと、
権威のある人が自信を持って言ったらそれを飲み込むのが良かったのです。

しかし、今は手元のスマホで調べれば情報を入手できます。
本当のところはそうかわからないかどうかもわかります。
誰もがある程度正しい知識をすぐ調べられるということです。

そして、それが世界中で何億回も繰り返されることで、その情報はより、
正しいもの、正確な知識が生き残っていきます。

しかし、簡単に知識を持てるようなったから良いというわけでもない。
それを調べるのはやはり面倒くさいことだからです。

それに、知識があるだけでは意味がありません。
判断力がなければ自分にとってそれが価値あるものかわからないからです。

インターネットは知識を支援しますが、やはりコストはかかる。
そして、何よりその人の意思決定を支援するものではありません。

インターネットが直接的に意思決定を支援できるとしたら、
それは計算できる例えば経済合理的な意思決定の範囲に留まるのです。

正直なら共感する人たちが引き寄せられる

さて、じゃあ情報にどれだけ意味があるのでしょうか。
そして、その情報がなめらかに伝わる社会とやらはどうなるのでしょうか?

今ではインターネット上にあらゆる情報が書かれています。
例えば口コミは一つですが、基本的には口コミは悪いことが書かれます。

なぜなら人間は怒りを感じると主張を誰かに伝えたいと思う生き物です。
だから、良いことよりは悪いことがインターネットには書かれやすいです。

また、個人商店よりチェーン店や大きい会社のほうが書かれやすい
これはつまり、利用者との接点が多いほど書く人の割合も増えるからです。

これらは単純に心理社会学的に、統計学的にそういうものだからです。
だからこれをもって正しい情報なわけがありません。
口コミにインセンティブがある場合はなおさら恣意的な内容になります。

口コミは意味がない情報かと言うと一面を表している場合もあります。
口コミで書かれていたことが自分はそう思わないこともあります。
だから、口コミは一応読んでも実際に自分の感覚が大事です。

究極的に言えば、別に自分がどれだけムカついても、悪い評価をしても、
全員がそう思って、本当にそこに何一つ良いところがなければ、
経済的には立ち行かないですから、いつの間にか消えるからです。

結局自分にとってどうかということはインターネットではわからない。

それでも正直者だけが報われると思うのは、
まだインターネットなら対等な関係を作ることもできるからです。

それがマスコミなら一方的に書かれたことを読むしかありません。
落書きも一方的に書かれたら読んだ人はそれしか知りません。
結局の所多くの人に言ったもんがちでした。

しかし、インターネットならまだ言われた方も、
そのことを受け止めて謝罪や弁解ができるというところが画期的なのです。

言われっぱなしではなく背景の意図を説明したり改善策を提示することで、
逆に他の人から信用できると思われることもあるのです。

YouTubeによるいろんな専門家の情報発信も正直ならば、
むやみやたらに叩かれることは殆どないでしょう。

誰もが当たり前のように行っていた仕事が映像として可視化されると、
いい仕事なのかどうかは誰もが判断できるからです。
これからの時代はやはりインターネットを使って、
いかに自分たちの価値観やコミュニティに入ってもらえるかが大切です。

ここで、いくつか気になっているチャンネルをご紹介したいと思います。

例えば「京都はんなりチャンネル」さんは旧車の板金屋さんです。
https://www.youtube.com/channel/UCc-QmIRSECP8Nm-P5ycue8Q

板金に関するマニアックな知識を色々と教えてくれるのですが、
その丁寧な仕事やプロフェッショナル精神が伝わってくるチャンネルです

例えば普段車を傷つけて、ドアの板金に10万円と言われたら、
「高い!」と感じてしまいますよね。
しかしここを見ていると良い仕事には相応の対価が必要と再認識します。

「ホワイトベースチャンネル」は東村山の中古バイク屋さんです。
https://www.youtube.com/channel/UC0mhOaiTObQ9hsCIBQM7Hnw

バイクに関する知識を教えてくれる動画を上げています。
中古のバイク業は市場の縮小、現物状況把握が困難など難しい商売です。
(まさにレモン市場)

メーカーも直営販売店を展開するようになりバイク屋さんは減っています。そこでバイク屋さんが生き残るにはファンとなる顧客をひきつけ、
お店のポリシーに共感してもらって常連になることが大切だと感じます。

確かに常連客はどの商売に置いても大切な存在です。
しかし、中古バイクの場合さらに常連客を知っていることは一層重要です。

なぜなら、そこで購入する中古車は前オーナーがわかっているので、
お店もすぐに状態がわかり安心して整備と販売ができるからです。
買う方もそれを知っていたら信用して買うことができる。

つまり、小さいコミュニティの中で質の高い取引ができれば、
結果的に関わる人すべてが幸せになります。
情報の非対称性を限りなく減らし、なおかつ信用があるので、
万が一不都合があった場合でも納得できるという安心が、
そこで取引を行うインセンティブとなるのです。

本当にいい情報は間違いなくインターネット上に残るべきですし、
沢山の人の評価を受けて自然に生き残っていくでしょう。

そして、正直者の活動を多くの人が知ることで、
自然にそこには共感する人の重力が生まれていきます。
それに伴い少しずつなめらかに情報の非対称性はこわれていくはずです。

もちろん、それは誰にとっても正しいこと、良いこととは限りません。
あくまでその人にあう情報を探しやすいという意味での滑らかさです。

ゆくゆくはそれぞれが持つ価値観に従って、
小さなコミュニティがいくつもできてゆるく関わり合うでしょう。
そんな世界をインターネットを使ってより加速的に、
楽しくできたらいいなあと思うのです。

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