あの頃の自分を抱きしめる

「あなたはお姉ちゃんなんだから」
私の両親の口癖だった

おもちゃの取り合いになった時
ちょっとした言い争いから喧嘩に発展した時
少しだけ親に甘えたい時

「お姉ちゃんなんだから」
の一言で、私の小さな小さな欲求は全て遮られる

「お姉ちゃんなんだから」
は私にとって呪いの言葉だった

「お姉ちゃんなんだから」
の一言で、私は一家団欒から外れて皿を洗った
寝室で洗濯物をたたんだ
家事を終えて団欒に入っても
父の膝は弟の席
母の会話は弟だけのもの
テレビは弟が見たい番組だけを延々と流し続けた

「この子は、将来お母さんたちの面倒をみてくれるのだから」
免罪符のように、両親はそう口にした
その言葉で、私の怒りは強制終了させられた
弟は何もせずして全てを与えられていたのに、
私は正論で怒る権利すら与えられなかった

「大人が望む答えを言う」
少し成長した私は、そんな子どもになっていた
そうやって良い点数を取り
「良い」といわれる学校に入っても
「良い」といわれる会社に就職しても
「お姉ちゃんなんだから」それが当たり前だった

もう少し大人になった私は家を出た
大人が望む答えを感じ取っていた自分が大人になった
今度は周囲の声から正解を導かなければならない
試練も失敗もあったけれど
分かってくれる人も居た
長いつきあいになる友人も、甘やかしてくれる伴侶もできた
「自分は自分なんだ」
自分の生き方の舵を、やっと自分で握れたように思えた

それでも帰省を欠かさなかったのは
「お姉ちゃん」の呪いがかかっていたからだろうか

「面倒をみてくれる」筈だった弟は
まったく家に寄り付かなくなっていた

「私が行かなければ、親は寂しいお正月を過ごすかもしれない」
自分の中にある善意からなのか?
逃げるように家を出た罪悪感からか?
ただ単純に義務感からか?
それとも、そうしている間だけは親を独り占めできたから?
わからないけれど、孫の顔だけは見せていた

家を出て何十年経っただろう
すっかり老いて自分の先を不安がるようになった親は、いつかの言葉をまた吐いた

「お姉ちゃんなんだから」

そのとき
これまで息をひそめていた子どもの私が、久方ぶりに涙を流した
両親にとって、どこまでも私は
「お姉ちゃん」
という都合のよい存在でしかないらしい

けれど
私は初めて拒絶した
「あなたたちが望んだとおり、弟に面倒をみてもらってね」

与えられたもの以上の恩は返せない
「薄情者」と罵られても
私は自分の価値観を
今の家族を
実親以上によくしてくれた義親を
あの頃の自分を
全力で守ると決めた

両親が死んだ時
私は泣くだろうか
それとも
あの頃の私がようやく肩の荷を下ろしたと笑うだろうか

来年は帰省するかどうか きっとこの先1年迷うだろう
けれど、今はただ、あの頃の自分を抱きしめてあげたい

そんな事を考えた年の始まり

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