やっと。
2022.11.2
先月のこと。
私は20数年ぶりに某アーティストのライブに行ってきた。
私が中学生の頃、夢中になった人たち。
でも、当時の私はただただ歌っている人がカッコイイとの理由だけで
彼らの音楽を聴いたり、彼らが出演する姿をテレビで見ていただけだった。
彼らのライブへ初めて行ったのは
中学1年生の夏。
忘れもしない。
その年の5月、やっと中学校生活に慣れ始めた頃。父が他界した。
"前より軽い症状だからすぐに退院できる"
そう思っていた。
家族もみんなそう思っていた。
でも違かった。
父の容態が急変したようだった。
"私はすぐに退院して家に帰ってくる"
そう思っていたから最後に会えるチャンスだったお見舞いには行かず、
中学でできた新しい友達と遊ぶことを優先した。
父と最後に話したのは1週間前のことだった。
悔しかった。
後悔もした。
とにかく悲しかった。
そうは言っても仕方がない。。
そしてその年の夏。
社会人になって間もない兄が、
彼らのライブのチケットを買ってくれた。
記憶が曖昧だが、
父が亡くなる半月ほど前に発売されたアルバムの中の曲が中心の野外ライブだった。
その時が人生初めてのライブ。
たくさんの人が
この数人を見るために集まっていた。
すごかった。楽しかった。
あの時行かせてくれてありがとう。
今ならわかる。
交通費を出してくれた母、
チケットを買ってくれた兄。
自分たちだって気持ちの整理がつかないままの
大変な状況だったはず。
それでも私に楽しみを与えてくれた。
素直に真正面からは言えないけれど感謝だ。
あの時は、その大変さがどれだけのものなのか
何となくわかる程度。
本当はわかっていなかったかもしれないな。。
それから数年、、
しばらくすると彼らの音楽は自然と聴かなくなった。
冒頭のライブがあることを知るまで
彼らがどんな状況にいたのか
詳しくは知らなかった。
でも彼らが数年ぶりに再始動すると知り、
また急に彼らに興味が湧いてきた。
何年も興味がなかったはずなのに
なぜだか嬉しかった。
そしてライブに行くことを決めた。
でも実は怖かった。
前述の通り、父が亡くなる半月前ほどに発売されたアルバムがある。
初めて行ったライブではそのアルバムの中の曲をたくさんやっていた。
その中の曲を聴く事が怖かった。
悲しみや不安が蘇ってくる気がして
何となく避けていたのだ。
だからライブに行きたい気持ちはあったけれど
同じくらい不安もあった。
当時は確かに悲しかったし、不安だった。
なんで…どうして…
父がいなくなりこの先どうなるのか…と。
だからなのか私は
その後もずっと死生観というものから敢えて目を逸してきた。
でも行くことにした。
彼らの再始動ライブの1曲目は
私が初めて行ったあの夏のライブの最後にやった曲だった。
まさか1曲目から聴くのが怖かったあのアルバムの中の曲と
あの時のライブの最後で聴いた曲が来るとは…。
曲の間奏中、歌い手が少しだけ話したあとに
力強く叫んだ
“ただいま”。
私は感動して涙が出た。
聴くのが怖かったあの曲が
あの時から大好きになった。
やっと、やっとこ聴けるようになった。
行くと決めて良かった。
自分でも不安の正体が何だったのかわからないけれどもしもこれをトラウマと言うのなら
この不安のトラウマは解消された気がする。
やったよ、お父さん!
今でも父は私たちを見守ってくれていると信じている。
だから私は目に見えるものがすべてだとは思っていない。
自分の考え方や行動次第で
今までとは違った見方ができるような出来事が起きるかもしれないのだ。
また1つ、学びとなった出来事だった。
見て見ぬふりをしない。
決断力。
ちなみに当時、歌い手がカッコイイからというだけの理由で
彼らの曲をただ聴いていただけだったけれど
今、彼らの歌詞を見てみると、とても刺さることを言っていることに気がついた。
そして今、中学の頃、私が彼らのファンであったことは
友人との間で黒歴史の1つとしてネタとなることもある。
しかし、20数年ぶりに
またその黒歴史が密かに始まってしまったことは
みんなには内緒であるw
※当記事は、他ブログより過去分をコピーして投稿しております。