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寝正月に勝るモノなし。
新年である。
泣き叫ぼうとも、地べたに額を擦り付け懇願しようとも、決して足を止めてくれない『時間』と呼ばれる堅物が、年明け早々に買い替えた日用品の如き見慣れた真新しさを醸している。
さすれば『万事なんとでもなる』との全能感が体の芯より湧き立ってくる。
今年に起きることは昨年から地続きのことばかりであるから昨年に抱えた頭は変わらず懐に抱き込んでいるけれども、である。
がしかし、やはりと言って良いかな、この全能感が仮初であるのは明白である。
なにせ寝て起きただけなのだ。
ただそれだけで全能になれるのであれば今頃世界は滅んでいる。
この全能感が現実を見るとたちまち霧散してしまうモノであることと、人が力の限り争い合う生き物であることは火を見るより明らかなのだ。
しからば持て余すに限る。目を逸らすに限る。
偽札も知らぬ存ぜぬでタンス貯金にしておけばしっかり勘定した金額分は心の余裕を与えてくれる。
新年早々に進んでこの全能感を手放すなぞの狂気の沙汰、好んで演じる理由もなかろう。
どうせ仕事が始まれば嫌でも己の身の程を知る事になるのだ。
年明けに、僅かばかりの間、儚い自分の幻影に酔いしれて罰が当たろうか。
そうして何をするのかと言うと何もしない。
あくまで全能感は『感』であって全能になったわけではないのであるから、何かしようとすると自惚れも終いになると知っている。
長い年始の休みを地に足つけて過ごすことになる。
つまり何かをするにはいい事なしの時分が新年の始まりであると言えるのである。
結局、日がな一日ダラダラするが、これほど全能感に溢れる怠け様は他には見れぬからして、正月こそ寝て過ごすべきであるに違いない。