みんな嫌ひぢや、しやうがない。
ある青年が、書に耽らんと本屋に寄りました。
書棚に架けた梯子の上から、暮れ時の客や店員を見下ろし、呟きます。
「人生は一行のボオドレエルにも若かない」
芥川龍之介『或阿呆の一生』のあまりにも有名な一節です。
青年にとって、芸術は何にも侵されざる領域にある
絶対的な存在だったのでしょう。
日々の糧のために働く人も、知識欲という欲にかられた人も
青年には、いえ龍之介には、小さくみすぼらしいものに思えたのです。
まるで彼だけが、あせくせとした労働や
上昇志向にまみれた巷から生れたのではないと言うような
世界との距離の取り方———
俳句を趣味とした龍之介の作品に、目を惹く一句がありました。
一句の中に句読点を幾つもうち、
しかも幾何学的な図形ばかりを並べた前衛的な作です。
みごとな手腕に感嘆しつつも、人の気配を感じられません。
凧揚げをしている人々に関心がないのでしょう。
凧は本来春の季語なのですが、この空には〝凍て〟を感じます。
人を消した後に残る物質世界の美しさを詠みながら
自身の胸に空いた虚無感を、虚空に沿わせている。
そんな句でしょうか。
どこか人間全般に対する嫌悪を、芥川の小説には感じます。
『或阿呆の一生』ではそれが最高潮となり、読み進めるほど
「ああ、この人は世のすべてに反吐の出る思いなんだなあ」
と暗澹とせずにはいられません。
『杜子春』や『トロッコ』ですら、仕事として書いたと言ったら
言い過ぎでしょうか。
きっと彼の冴えすぎた頭では、世の醜さを
そして、それがどうにもならないのだという「真実」を
人一倍察知せずにはいられなかったのでしょう。
そんな生き様を反映してか、
彼の忌日を詠んだ俳句は、なかなか辛口です。
芸術の至高性なんて、ひょっとしたら
「パン!」と手を打った厠の反響ほどに、儚いのかもしれません。
『或阿呆の一生』を書き終えた芥川は、その原稿を
友人の久米正雄へ送ります。
「どうかこの原稿の中に僕の阿呆さ加減を笑ってくれ給え。」
と書き添えて。
彼にとって一番醜いものは、彼自身でした。
原稿を送っておよそ一と月後、終に芥川は服毒自殺を図ります。
その命日は7月24日。河童忌とも餓鬼忌とも呼ばれます。
毛虫焼き河童忌そらの暮れにごり 梨鱗
鉛筆の尖が餓鬼忌に刺せしもの