22日間の挑戦
割った卵からは、熱したフライパンに卵を溶き入れた3秒後のような、そんな状態のものが出てきた。
コツンと庭のコンクリートで割れ目を入れた途端に、卵の中身が少しでてきた。
なんともいえないニオイがしたようで、お姉ちゃん(9歳)は、のけぞる。
弟(7歳)によると、「茶色いニオイ」らしい。ニオイと見た目が想定外であったのか、コツンとしてから、弟は勢いがなくなった。それでも、なんとか殻を割り終えた。
この卵、22日間、息子が主となって温め続けたものだ。
「有精卵は、温めるとヒヨコが出てくるかもしれない」と聞いて、やってみた。
卵をもらった帰り道、車の中で卵をお腹に乗せていた息子。車に揺られている内に寝てしまい、卵は転がり、割れるところであった。
家に帰って卵をチェック、割れていない。
あらためて調べてみると、卵は温めはじめて21日目付近に孵化するとのこと。36~38℃を保ち、6時間に1度は卵の向きを変え(転卵)、湿度も必要と書かれている。
姉弟と3人で相談し、文鳥を雛から育てる時に使った10×20センチ程の薄いパネルヒーターを温度維持に使うことにする。
プラスチックの虫かごにヒーターを敷き、その上に新聞紙と、プチプチ(梱包材)を細かくちぎって入れた。そして卵をそうっと置く。保湿のため水を入れたプリンの容器も置く。最後に卵の上には、ちぎった残りのプチプチを折り畳んで乗せ、卵を温める日々が始まった。フリースクールに行っている時間、転卵は私が協力することになり、「タマゴ孵化作戦」がはじまった。
「(孵化器を使わず人の手で孵化させることは)ぜったい無理だから」と話す卵の贈り主に「ぜったいとは限らない」と息子は言い返して温めた卵。
22日の間には、それなりに紆余曲折があり、難関のひとつは、関西のおばあちゃんの家へ行くときだった。電気が使えない所では、ヒーターのかわりにカイロを敷いてホンワカ温かい状態を保った。
孵化について調べるなか、「ライトで卵を照らすと卵の内部が光に透けて見える」と知り、14日目あたりに試してみる。
ライトをあてると、生卵は卵全体が均一に明るく照らされるのに対し、14日間温めた卵は、光を通さない暗い部分があり、3人で「なんやろなぁ、ちがうなぁ」と生卵と交合に何度も照らした。
息子だけでなく、お姉ちゃんや私も、なんとなく卵が気になり、思い出したときには、手のひらに乗せて、温かさを確認したり、向きをかえたりした。
息子は生まれてからのこともシュミレーションしていたようで、せっせと段ボールで「ヒヨコの遊び場」をつくったり、餌をヒナの嘴の間に入れてやるストローを用意したりしていた。
ここまできて言いにくいが話さないといけないことがある。
実は卵を温め一週間が経つ頃、いちど完全に卵が常温になってしまったことがあった。
お姉ちゃんが「冷たくなってるっ」と気がつき、ヒーターのコードを辿ると、コンセントが抜かれていたのだ。そしてその代わりに、デジカメの充電器が差し込んであった。息子に伝えると、眉はハの字に下がり「しまった」の表情。すぐに卵を触る。なにかと写真を撮る習慣がある息子がコンセントを差し替えたようだ。急いでいて、うっかり差し替えたままにしていたのだろう。
話をきくと、差し替えてから3時間ほど経っていて、手のひらの温度より冷たくなっていた。三人で顔を見合わせ、そこで「タマゴ孵化作戦」は終了するかと思った。しかし息子はヒーターのコンセントを差し直し、温め再開。「ヒヨコがかえる(予定)日まではやる(温める)」という。
その後、関西帰省のカイロ保温を経て、22日間温め、ひっくり返した。
卵を割って中を見た日から暫く経って、姉弟にどんな思いで卵をひっくり返し続けたのかきいてみた。お姉ちゃんは「あつい、つめたい、しんでる」弟は「キセキがねー、あるかなって」と話した。
私としては、ヒヨコが生まれるかどうかよりも、3人がそれぞれ「今日も触ってる」ことに意識がむいていた。そしてたまに、卵の中を想像した。
こんなふうに、家族で同じことを共有できたのは、私にとって嬉しいことだった。
卵を割ろうと決めていた日、私は38度を越える熱が出ていた。その時に残した自分の状態を観察するメモによると、「歯が浮く 、歯茎がムズムズ
。みぞおちより上がモヤっとする。熱いお風呂に長く入った後のように頭が熱い」
こんな状態だったからか、割った卵のニオイを感じなかった。思い出すのは、庭に出た瞬間の夏の熱い風だ。間近で卵を嗅いでみたらどんなニオイだったんだろうと今になって気になっている。