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父のいない父の日を迎える今年の父の日

FBやインスタグラムにも載せていたが、今年の2月25日に父が他界し、もうすぐ初めて、父のいない父の日を迎える。

父と過ごす時間は限られていると思いながら過ごした、最後の5年間についてはこちらに記載。

ここにもみんなに伝えたいことをたくさん書いたので、よかったら読んでね。いつかここでも全文載せようかな。

2月25日、最愛の父が76歳で永眠しました。 父の死にあたって、私が感じたことや父との歴史を少しだけ綴らせてください。 父と母は、私が小学4年生の頃に離婚した為、しばらく疎遠だった。父は私たちを捨てたと思い、嫌っていた時期もあった。高校生...

Posted by Meg Lydia on Thursday, March 4, 2021

ということで、父が他界するまでの約5年間(今思い出せば7年間くらいだった気もする)には、なるべく毎年誕生日や父の日を祝い、照れ臭さがありながらも本音の「愛してる」を幾度となく伝えてきた。

日本男児の性質なのか、昭和な男の性質なのか、いや、ただの父の性格なのか、父から生涯「愛してる」と言われたことも、私の「愛してるよ」に対する返信をもらったこともない。(必殺話逸らし)

でも、愛は言葉だけで表現できるものでも、言葉でしか伝わらないものでもない。しっかりちゃんと、父からの「愛してる」の気持ちを受け取ることに成功した、成人後の私。とっても幸せだった。

蕾のまま咲けずにうずくまっていた幼少期の自分に、そっとそっと水をあげ、やっと花を咲かせることができた!というような気持ち。私の心は愛で満たされていった。

愛されることが私を満たしたが、それ以上に、「愛すること」が私をすごく満たしていったと、父とのを通して、強く感じた。

ずっと父を嫌いながら、ずっとずっと愛されたかった幼少期だったが、同時に、父を愛したかった幼少期だったのかもしれない。

自分が愛すること(自分から心を開くこと)で、愛され始めるのかもしれないと思ったりしている。

愛されたいと叫んでも、愛してもらえないこともあるけれど、愛することは自由。どんな距離でも相手が誰でも、愛すること、幸せを願い、想うことは自由なのだ。「愛する」ということこそが、己を自由にするのだ、と思った。

(伝わる、、?←



話が逸れてしまいますね、、すみません。

6月20日、父の日ですね!!!!

もう父が他界してしまった人たちの気持ちが、今まで気付くことのなかった「誰か」のさみしさが、わかってしまって、愛しさとさみしさが混ざった複雑なこの気持ちを知った。

父の日に、プレゼントを送れる父がいることは本当に素敵なことです。父がいる人は、父の日を口実にプレゼント送ったり、愛情表現ができます。「プレゼントが届いたよ〜」「ありがとう」と父からの嬉しいレスポンスを感じることもできます。

私だって、父にプレゼントを用意することも、愛情を伝えることは、今もできます。それはいつだって、これからだって何度でもできます。魂をそばに感じるし、魂は死なないから。

でも、反応が返ってくることはもうないのだ。

時間は永遠に思えて一瞬です。

まだお父様がいる人も、父と過ごせる時間は、まだまだある様に思えても、残りは一瞬です。

”父の日”じゃなくたって、愛情表現できるけどさ、普段なかなか言葉にできない人は、ぜひ感謝や、気持ちを伝えてみてくださいね。

本当に、いつが最後の父の日になるか、わからないからね。


あの時ハグしておけばよかった、じゃなく、照れくさかったけどいつもハグしておいてよかったって、思えたら幸せじゃないか。

ありがとうと言えなかったというより、いつもありがとうと伝えてきてよかったって、思えたら幸せじゃない。

私は少なくとも、そう思ったよ!


私が言いたかったのはただ一つ

『みんな、素敵な父の日をね!』


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そして父よ、いつまでも愛しているよ!


Lydia

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