父のいない父の日を迎える今年の父の日
FBやインスタグラムにも載せていたが、今年の2月25日に父が他界し、もうすぐ初めて、父のいない父の日を迎える。
父と過ごす時間は限られていると思いながら過ごした、最後の5年間についてはこちらに記載。
ここにもみんなに伝えたいことをたくさん書いたので、よかったら読んでね。いつかここでも全文載せようかな。
ということで、父が他界するまでの約5年間(今思い出せば7年間くらいだった気もする)には、なるべく毎年誕生日や父の日を祝い、照れ臭さがありながらも本音の「愛してる」を幾度となく伝えてきた。
日本男児の性質なのか、昭和な男の性質なのか、いや、ただの父の性格なのか、父から生涯「愛してる」と言われたことも、私の「愛してるよ」に対する返信をもらったこともない。(必殺話逸らし)
でも、愛は言葉だけで表現できるものでも、言葉でしか伝わらないものでもない。しっかりちゃんと、父からの「愛してる」の気持ちを受け取ることに成功した、成人後の私。とっても幸せだった。
蕾のまま咲けずにうずくまっていた幼少期の自分に、そっとそっと水をあげ、やっと花を咲かせることができた!というような気持ち。私の心は愛で満たされていった。
愛されることが私を満たしたが、それ以上に、「愛すること」が私をすごく満たしていったと、父とのを通して、強く感じた。
ずっと父を嫌いながら、ずっとずっと愛されたかった幼少期だったが、同時に、父を愛したかった幼少期だったのかもしれない。
自分が愛すること(自分から心を開くこと)で、愛され始めるのかもしれないと思ったりしている。
愛されたいと叫んでも、愛してもらえないこともあるけれど、愛することは自由。どんな距離でも相手が誰でも、愛すること、幸せを願い、想うことは自由なのだ。「愛する」ということこそが、己を自由にするのだ、と思った。
(伝わる、、?←
話が逸れてしまいますね、、すみません。
6月20日、父の日ですね!!!!
もう父が他界してしまった人たちの気持ちが、今まで気付くことのなかった「誰か」のさみしさが、わかってしまって、愛しさとさみしさが混ざった複雑なこの気持ちを知った。
父の日に、プレゼントを送れる父がいることは本当に素敵なことです。父がいる人は、父の日を口実にプレゼント送ったり、愛情表現ができます。「プレゼントが届いたよ〜」「ありがとう」と父からの嬉しいレスポンスを感じることもできます。
私だって、父にプレゼントを用意することも、愛情を伝えることは、今もできます。それはいつだって、これからだって何度でもできます。魂をそばに感じるし、魂は死なないから。
でも、反応が返ってくることはもうないのだ。
時間は永遠に思えて一瞬です。
まだお父様がいる人も、父と過ごせる時間は、まだまだある様に思えても、残りは一瞬です。
”父の日”じゃなくたって、愛情表現できるけどさ、普段なかなか言葉にできない人は、ぜひ感謝や、気持ちを伝えてみてくださいね。
本当に、いつが最後の父の日になるか、わからないからね。
あの時ハグしておけばよかった、じゃなく、照れくさかったけどいつもハグしておいてよかったって、思えたら幸せじゃないか。
ありがとうと言えなかったというより、いつもありがとうと伝えてきてよかったって、思えたら幸せじゃない。
私は少なくとも、そう思ったよ!
私が言いたかったのはただ一つ
『みんな、素敵な父の日をね!』
そして父よ、いつまでも愛しているよ!
Lydia