Vtuber活動における“異常性”と”正常性“の付き合い方について

こんばんは、寝れないのでなんとなくnoteを書いている熊白デボアです。

ちょっとトガったタイトルの記事になってしまいましたが、特定の配信者や特定のリスナーに向けたお気持ちとか。
そう言った類のものではないです。

なんだかんだでボクがVtuberを始めてから半年以上経ちまして、
そこで痛感してきた「異常性と正常性」との付き合い方についてちょっと所感でも書いていこうかなという記事です。


Vtuberにとって(クリエイターにとって?)大事なものとは何かと聞かれたら「異常性、正常性に対する嗅覚」が大事な要素だなと最近思う様になったって話なんですけれども


一般的なVtuberリスナーって、ボクら配信者に何を求めているかというと「日常に潜む異常性」なんですよ。
人間とは正常性や怠惰を愛する生き物であるにもかかわらず、それらを嫌悪します。
聖書的に言えば、林檎を食べてはいけないという怠惰で正常な世界が最も居心地がいいはずなのに、林檎を食べてしまった者たちと同義です。

要は「異常性」なんてカッコつけて書いてますけど、刺激が欲しいんですね。

もしもの話ですよ?
あなたが平和で穏やかな、とてもつまらない楽園に居たとして「自分の代わりに禁断の林檎を食べてくれる存在」が居たら思わず、コレからどうなるんだろう?とつい見ちゃいますよね。

この「自分の代わりに林檎を食べてくれる存在」がモロに水商売(配信者)としての本質部分です。

その行為をした本人がどういう意図で食べたにせよ、リスナーというのは「つい見てしまうから、見てしまう」んですね。「面白いから見る」訳ではないんです。

なぜなら「異常」だから。



つまり異常で居続けられれば、見られ続けることができるんです。
逆に言えば正常で陳腐化してつまらなければ誰も見ません。

異常性とは「1人目でオリジナル、2人目で模倣、3人目で量産」というふうにどんどん個数が増えれば希釈されて陳腐化していくんです。
毎日楽園で林檎を食って平気な顔をしている奴等が居たら、正常な日常と化してしまうんですね。

だからこそ我々水商売に身を置く者が意識しなければならないのは、「異常」へと引き摺り込まれたリスナーを「正常」へリリースしてあげる事です。


林檎を食べた者に天罰が落ちたりすればリスナーは「見ているしか出来なくなる」んですね。勝手に正常性に帰っていきます。
何故なら平和で怠惰な楽園の方が安全だから。

だからこそ、我々Vtuberには「異常性、正常性に対する嗅覚」が必要で、リスナーよりも早くそこを理解しておく必要があります。

まぁ伸びたいならの話なんですけどね。


おわりに

異常性だけ盛り込んでしまう弊害として、
代表的な例としてこの辺が出てきてしまうんで、もし本気で面白いと思って、そういうモノを書いている方が居たら申し訳ないんですが。
世の中のいわゆる怪文書型クソマロの大半が微塵も面白くないっていう事象があります。

これは異常性を盛り込むだけに気を取られて、正常性とのバランスを無視しているからに他なりません。
「スイカに塩をかけると甘みが引き立つ」と言いつつ、「塩に塩を振りかけてる」事実に気付けない感性を持つ方が実際に居るんだと思います。

多分ボク含め、こう言う思考に陥ってしまう方って世の中に沢山居ると思うんです。

だからこそ「異常性、正常性に対する嗅覚」をしっかり持ってバランスよく使っていきたいですねというお話でした。


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