声の告げる先|ショートショート|仮面おゆうぎ会参加作品
「うん」という声を聞いた。私は驚愕した。それは実に、1年ぶりに聞く声であったから。
「ちょちょちょ、ちょっと待って」
私は思わず叫んだ。仕方ない。もう一度「うん」という声が聞こえた。繰り返すが、私は驚愕した。
「なんで? え?」
疑問符を連発する私の目の前に人はいない。なんなら、この部屋に人はいない。
あの人はもういない。1年前にいなくなって、だから私は今この部屋を整理してるっていうのに。
また、「うん」と声が聞こえた。それしか言えないのかよ!と返したくなって、目と喉に込みあげたものに邪魔をされて声が出なかった。瞬きを繰り返して一度大きく息を吐く。
「わたし、今片付けしてるの」
少しだけ震えた声に、「うん」と返事があった。知ってる、という意味だと分かった。分かるほどに、あなたと重ねた月日は長く深かった。
「いるものといらないものを分けてる」
またもや、「うん」の返事。
「断捨離がすきだったわりに、意外と細かいものが多いのね」
少し遅れて「うん」と返事。ちょっぴり恥ずかしがっていると思う。
ほんの少し微笑んで、私は棚の中を探った。PCの周辺機器が多いのは職業柄か。そんな中に、固い小さな箱を見つけた。なんの気なく開いたそこに鎮座ましましていたのは、あれだけ探して見つからなかった、結婚指輪だった。
私は驚愕した。片時も肌から離すことのなかったそれ。棺に納めようと思ったのになぜか消えてしまったそれ。懐かしさすら覚えるその姿に、またもや目と喉になにかが迫る。
「これ……っ! なんで……っ」
瞬くことを忘れた私にかけられる「うん」の声。うん、だけじゃなんにも伝わらないよ!と言いたいのに言えない。私に持っていてほしいのか、訊きたいのに訊けない。
連れ添って35年。いい加減、我が道を行くのはやめてほしい。あの世への道を行ったくせに、まだ我が道を貫いているなんて。
「……勝手に、するからね」
いつの間にか頬に温かいものが伝っていた。「うん」とあまりに馴染み深い声が聞こえた。
☆☆☆
私はやけにすっきりとした気持ちで目を覚ました。娘が買ってくれた遮光カーテンの隙間から、陽の光が差し込んでいる。
顔を洗うために部屋を出ようとして、なんの気なく鏡台を見た。普段ものを置かないそこに光るものを認めて、近づく。
さり気なく鎮座ましましているのは、私の左手にあるものより一回り大きいそれ。私は懐かしさすら覚えるそれを手に取り、微笑んだ。
――明日は一周忌法要だから、喪服を用意しないといけない。
陽気を伝える風が一陣、部屋に舞い込んだ。