別れや死などの喪失、嘆き、悲しみについて
日々いろんなことが起こる。大事なものが多いほど、失った時には打撃が大きい。だからといって大事なものを作らないという方向には私はいきたくない。人々にもそうあって欲しいと願っている。
そのためには、避けられない別れについて、どうつきあっていくかの知恵が必要だ。
今日私が体験したこと。
自分の喪失体験や嘆きを友人に語っていた。例えとして映画のワンシーンを引いて「あのシーンみたいなところへ行きたい」と表現した。友人は想像力と共感力と誠意とを私のために使ってくれて「それは、赦し、みたいなもの?」と言ってくれた。そうしたら、気持ちが一気に浄化されたのだ。
映画を鑑賞したときに自分の中に起こった現象、その時にはわからなかった、映画で描かれようとしていた本質、みたいなことが自分の人生に起っていることとリンクして、いま、腑に落ちた。あの美しい情景が、それを象徴してくれて、私の中にある。
聴いてくれた友人がその映画を観たことはあったけど詳細は覚えていない状態にもかかわらず真摯に受け取ってくれたこと。(そして映画のシーンを思い出したらorもう一度観たら私の言わんとしてたことを、どれだけかはきっとわかってくれるという彼女への信頼が私にある。)
10代の人向けに、この世を生き抜く知恵を手渡したいと思って本を作っている最中なのだが、書いてる私たちが、まだまだ必要としてる知恵がある。手渡すぞと決めたことによって、明確に、意図して、言語化しようとしていることが、現在進行形で私たちを助けていることを思う。
まだ見ぬ読者のみなさん、そしてこのプロジェクトを応援してくださっているみなさん、たまたまこの記事を読んでくださったみなさん、ありがとうございます。
私も誰かの喪失や嘆きに寄与してしまいながら(引き起こした側でありながら)、今日も生きています。
本に入れる原稿に、喪失についても足したい気持ちを、いま検討しています。