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その言葉は、毒にも薬にもなる

こんにちは、ヨウです。


最近、Twitterを眺めていて、あるやり取りを目にしました。

内容については割愛しますが、ある言葉によってある人が傷つけられ、それによってアカウント同士で強い言葉のやり取りがありました。それを見て、複雑な気持ちになりました。双方の言いたいことも理解できました。しかし、一方が話していることを、もう一方が全く受け入れていない様子もありました。

そこで、私は私自身の言葉について考えました。私の言葉は、どのような人のためになるのだろうか? そして、その言葉は良いものなのか悪いものなのか? そういうことについて、私自身の経験を踏まえて考えてみました。


私が言われたくなかった「責任を持て」

約2年間の子どもだけの生活を経て、私は高校1年生の時に、児童養護施設に入所しました。(詳細はリンクをご覧ください↓)


そんな過去を持っているのですが、児童養護施設では、みんなが一つの生活リズムの中で生活します。職員さんにもいろんな方がいるので、いろんな意見を聞くことができました。

私は、勉強と基礎生活時間(食事、掃除等)以外の時間、基本的にギターを弾くことが娯楽でした。学校の勉強ではそれなりの点数を取っていましたし、私に「勉強しなさい」という職員もいなかったので、それなりに自由でした。


ある日、進路について職員と話をしていました。私は、将来の夢もたいして持っておらず、「大学行って勉強して就職する」というふわっとした目標しかありませんでした。当時、私の施設から国立大学に進学した子の例はなく、施設職員としては、私にかなりの期待をかけてくれていたようでした。そのため、奨学金のことや進学後の生活について、いろんな話をしてくれていました。

しかし、当時の私は「大学に行ったら、勉強しながらストリートミュージシャンをやる」と適当に流していて、まともに話を聞いていませんでした。楽しい生活しか想定しておらず、職員からは注意を受けていました。

その中で、こう言われたことを覚えています。

「あのね、あなたの将来のために話しているのだから、真剣に聞いて。あなたが進学してしっかりやれるかどうかで、ヨウの弟や妹の進路も変わって来るかもしれないの。弟も妹も、大学進学希望でしょ? お兄ちゃんがしっかりしないと、弟も妹もついてこないよ? 頼れる家族のためにも、責任をもって、真剣に聞いて。」

私は、職員に反抗することはほとんどなかったのですが、この「お兄ちゃんがしっかりしないと」という言葉に、ひどく傷つけられました。

当然、この言葉は、将来に対して真剣さに欠ける私に対して、ハッパをかける意図として放たれた言葉です。あなたの人生は大切で、弟妹にも影響があるという意味です。無論、このやり取りの落ち度は私にありました。しかし、私はこの言葉にひどく憤りを覚えたのです。



家族のために様々なことを犠牲にしてきた過去

私は、精神疾患を患った母親の体調不良をカバーするために、高校進学も母親の希望する進学校に決めました。自分の辛い状況を他人に話すことができず、部活を辞めました。母親が手首を切るたびに救急車を呼び、一人で母の付き添いをしました。家事のほとんどを引き受け、母と繋がる他人とのやり取りは、基本的に私がしていました。家族の責任のほとんどを引き受けて、自殺しようとしたことがあります。

施設に入所して、自分のことに注力できるようになり、やりたいことができて楽しんでいる時に、「家族ためにも責任をもって」という言葉を受けたことで、私にはひどい反抗心が芽生えました。これ以上家族に自分を縛られることや、家族の責任を強いられることは、私にとって最も望まないことだったのです。


私は、その言葉を聞いて、机を思いっきり叩き、怒りに任せて過去の辛かったことをぶちまけて、一通りの罵声を職員に浴びせ、一晩中泣きました。



当時の私と、その言葉の相性が悪かっただけ

前述したとおり、この「責任を持て」という注意の言葉は、私の落ち度を指摘したものです。悪いのは、私自身なのです。

しかしこの時、私の中で”辛かった過去”が再燃したために、職員に対してひどいことをしてしまいました。もちろん、このことについては、後日謝罪しています。


当然のことながら、この「責任をもって、真剣に」という言葉が必要な人もいます。自分に十分な仕事や給料が与えられているにもかかわらず、ダラダラと仕事もまとまにせずに過ごしているだけの人には必要かもしれません(すみません、この言葉が必要な人が想定できずに申し訳ない…)。

しかし、当時の私には、この言葉は相性が悪かったのです。職員にも、私を傷つける意図はなく、あくまで流れの中で与えられた言葉です。そして、私は「その言葉は止めてほしい」と伝えるほど心に余力がなかったのです。



私の言葉も、人を傷つける

私が以前書いた記事に、血縁に対して否定的な考えを持っていることをnoteに書きました。


私は、この記事は「血のつながりで悲観的になってしまっている人」に向けて書きました。私の意見で、少しでも心が救われる人がいれば、と思っていました。しかし、現実は「血縁に尊さを感じている人」からお叱りを受けたのです。

当然、血縁を大切にする人がいることも承知しています。その全てを否定するつもりはありません。あくまで「私は、血のつながりなんて大したことではない」と思っているという意見を伝えたかっただけです。しかし、以前私が「言われたくなかった言葉で傷ついた」ように、私自身が誰かを傷つけてしまっていたのです。

強い口調で書き始め、そのままタイトルにしてしまったことを悔やんでいます。


その言葉は、薬にも毒にもなる

病院でもらう薬は、その人の症状に合わせて処方されています。症状がない、又は間違った方法で飲んだ薬は、毒にもなり得ます。

私に与えられた言葉も、私が放った言葉も、相手との相性やタイミングが悪ければ毒になります。そのことを、体感した一件でした。

そのことを肝に銘じて、これからも、記事を書いていきたいと思います。



終わりに ~毒だと思ったら避けてください~

私は、これからも私自身の経験や考え方を、記事にしていきたいと思っています。しかし、SNSの都合上、見たくなくても目に付いてしまう場合があります。私が何気なしに放った言葉が、誰かを傷つける可能性があるのです。

正直な話、私自身もTwitterやnoteを見ていて、不快になることがあります。不快なことを書いているなあ、と思うこともあります。でも、そういう時はスルーするように心がけています。


私の記事は、必ずタイトルを明記します。どんな内容を書いているか大体見当がつくようにしているつもりです。ですから、よろしければ、「この記事は良くないことを書いている」「目に毒だ」と思ったら、見ないでいただきたいのです。私の意見に対していつも否定的であるならば、フォローを外してください。

そして、心に余裕のある方がいれば、私を叱ってください。注意してください。私の"間違い"を正してやってください。

私自身、まだまだ若輩者であり未熟者です。多くの方の意見をもらいながら、これからも成長したいと思っています。誹謗中傷でなければ、ある程度の批判はやむを得ないと思っています。批判や注意を受けながら、これからも成長していきたいと思います。


ということで、今後とも宜しくお願いします。


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