【子育て】防御の哲学

こんにちは、ヨウです。


今回は、子育てに関する私の個人的な意見を書いていきます。賛否両論、一部否定、全部否定、考察不足がある前提で書いていきます。聞く人によっては、極論に感じられるかもしれません。でも書きます。私の意見なので。



親は、子どもの盾になる

子ども育てるうえで、私が大切にしていることは、とにかく「子どもを守る盾になる」ということです。

子どもは、学校生活や友達関係の中で社会性を学んでいきます。その際、子どもは友達を傷つけたり、友達から傷つけられたりします。そういう中で、親は「盾」にならないといけません。


これは、愛着形成で大切なことです。子どもは、親という「安全基地」を持つことで、失敗したときに親元に戻り、そこで心を回復させて再度挑戦する、というサイクルを繰り返すことで、健全に成長することができます。

「安全基地」というと、少し堅苦しいし、プレッシャーのように感じるかもしれないので、私は「盾」になるというイメージで捉えています。完全に守ることができるかどうかは分からないにしろ、子どもが危険な目に遭った時に、親はその間に入って子どもの負担を軽減しなければなりません。親が子どもを守ることで、子ども自身の力で「失敗→回復→挑戦」のサイクルを作ることができます。



守る時は、相手を攻撃しない

ここで注意しなければいけないことは、親が子どもを守るために、相手を攻撃してはいけないということです。逃げてもいいから、相手を攻撃しないことが望ましいのです。

例えば、我が子がいじめを受けたとしましょう。いじめに関しては、加害者側が100%悪いので、そこに関しては相手に反省をさせなければなりません。学校と協力して立ち向かわなければなりません。(学校が協力しないパターンや、加害者親が事実を認めないパターンも多いのですが…)

そうなった際に、親同士で攻撃しあい、お互いに傷つけるような言動をしてしまうと、子どもがその現場ややり取りを目撃することになります。大人同士の喧嘩(話し合いではないもの)を目撃することは、子どもの心理や愛着形成にダメージを与えてしまうのです。当然のことながら、良い影響は一つもないということが言えます。


このように、子どもを守る際、戦うことではなく、守り抜くことを優先していかなければなりません。



ツバメのような「巣立ち」を目指していく

子どもはいつか大人になり、社会に出ていきます。そうなるまでの間が、いわゆる「子育て」の期間になりますね。では、どのような考え方をしなければならないのでしょうか。


ツバメの巣を想像してください。卵から孵化したツバメは、すぐに飛ぶことができません。親鳥は、天敵が襲ってこないような場所に巣を作り、ひな鳥に餌を運びます。ひな鳥は体が大きくなり自分の力で飛ぶことができるようになれば、自然と巣から飛んでいくようになります。


私たち人間も、その能力や性質に違いはあれど、この子育てから学ぶことができます。

人間は、生まれた瞬間、世話をしてくれる人がいないと生きていくことができません。親がどれだけ教育熱心に投資しても上手くいかない時もありますし、かなりの放任主義でもそれなりに能力をつけていく子もいます。子どもは、それなりに自分で育っていくものです。


東進ハイスクール予備校講師の林修先生は、あるテレビ番組で、このように言いました。

「教育」は、「教え、育てる」ではありません。「教え、育つ」です。私たち大人は、子どもに教えられることをしっかりと教えて、あとは子どもが育つのを期待して待つしかありません。

どんな子どもも、最終的には大人になり、親元を離れていきます。その中で我々がしないといけないことはきっと、

・自分で飛べるようになるまで、子を守る

・子が飛べるようになったら、勝手に飛んでいってもらう

・それまでの間、親が巣を守る


いつか巣立つ時が来るまでの間、私たちは巣を守り、餌を運び、教えることができることを精一杯教えて、育つのを待つばかりなのです。



終わりに 〜巣から飛べなかった〜

私がこう考えるのには、私の過去が影響しています。


私は、とにかく「言うことを聞きなさい」と言われ続けて育ちました。それなりに能力があったので、両親の期待のほとんどに応えることができていました。私は長男として生まれて、実家の姓の末裔に当たる存在だったので、かなりの期待をかけられていました。

愛情をかけられていた、と言われればそうかもしれません。しかし、私がすること一つ一つに細かく口を出され続け、常に親の顔色を窺って育ってきました。結局両親は離婚してしまい、そのあと、放任主義の中で生きていくことになるのです。


親の都合で熱心に教育され、そのあと、親の都合で放任されてきた。ツバメで例えるなら、丸々太るまで食べさせられ、羽の使い方も分からないまま、巣から放り出されたような状況です。

自分のタイミングで巣立つことができなかったツバメは、飛べない自分に嫌気がさし、飛べるようになるまで、何度も何度もケガをします。周りのツバメは、自分の巣から次々に飛び立っていくのを目で追いながら、飛べないツバメは自分の実力不足を責め、同時に、親を恨み始めます。

苦しい状況から、また別の誰かが新しい巣を提供してくれたからこそ、私はこうして自分で巣立つことができたのです。



今回の記事は、私が親にしてほしかったことを言っているに過ぎません。

しかし、これは親として最低限やっておけばいいことなのではないのでしょうか?

子どもが安心できる寝床を確保して、きちんと食事を与える。これだけです。


それさえ与えられていない子どもが、この日本にまだまだ沢山存在していることを考えると、非常に悲しいことかもしれませんね…。



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