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JA全国青年大会が終わったので、自分の青年の主張を貼っておく。




概要

JA全国青年大会というものが例年2月にあり、その中で「JA青年の主張」という若手農業者の思いを伝える発表大会があります。各県・各ブロックで予選をおこない、各ブロックの代表者が全国大会で、全国各地から集まった農業者にこの思い伝えたるわい!ってやつです。

自分のは、中四国ブロックで上3つにも届かなかった発表です。

発表内容

日本の農業人口が、減少傾向にあります。

祖父の時代には、100軒ほぼすべての家が農業を営んでいた集落でしたが、

今では水稲生産者でコンバインを動かせるのは 2 軒だけ。

鳥取県特産の二十世紀梨を生産しているのも、

多いときは30軒以上ありましたが、

高齢化・後継者の不在により、現在では10軒ほ

どになりました。

このままでは農業は衰退してしまう。

どうにかしなければ!とよく言われています。

果たして、そこまで悲観するようなことなので

しょうか?

現在のピンチは、今、頑張って、農業を行ってい

る、若い人たちにとって、チャンスなのではない

でしょうか。


私は現在、就農して、8年目です。

水稲と梨の複合経営を行っています。

26歳の時に、「農業で儲けてやろう!」と息巻いて、東京から鳥取に、Uターンして農業を始めました。

集落の農地を守ろう、と頑張っていた

父のもとで、親元就農の形で入りました。

農業のことを、ほぼ何も知らずに始めたので、

最初は、ついていくのに精一杯でした。

梨の防除や、剪定の仕方、田植え機の乗り方、トラクターの動かし方など、1年目から、基礎を叩き込まれました。


父は、元JA職員でした。

「昔は、選果場が動き出したら、家に帰れんかっただぞ」とか、「集落の人たちと、酒飲み話になったら、夜遅くまで熱く語ったもんだ」とか、昔の武勇伝をよく聞いたものです。

父の後ろをついていけば、集落の人にも、JAを退職して、農業を始めた人たちにも、すぐに、自分の顔を、知ってもらうことが出来ました。

新しく、農業を始める人にとって、地域の人とのつながり、ほかの農業者とのつながりを作ることが、ハードルになるかと思います。私は、そのハードルを、父のおかげで簡単に越えることができました。

息子が帰ってきて、農業やってるんだぞ、と周りに自慢したいだけだったかもしれませんが。


年数を重ねるにつれ地域の受け皿となり、現在は、水稲が13ヘクタール、梨が1ヘクタールになりました。

繁忙期には、家族総出でヒイヒイ言いながら、時には、イライラしながらも、安定した収入が得られ、「農業で儲けてやろう!」という、最初の目標はとりあえずクリアできたのかなと思っているところです。


さて、今現在、思っていることがあります。

あれ、今自分は30代だよな?
これを30年続けるの?
すっごいつまんなくない?
半分飽き始めてるのに、
これをずっと繰り返すの?

モチベーションが上がりません。大変だ。

でも別に農業嫌いじゃないしなー。

何か面白いことできないかなぁ。

そんなことを日々思っています。

そんな時に、今自分の所属している青壮年部を立ち上げるのでぜひ入ってほしいという勧誘がありました。いろんな会が立ち上がってはいるけれど、結局は一つの品目の部会の人たちで集まるのが何個もあるという状況で、辟易としていました。

青壮年部も結局そんな感じなんだろうなぁと思っていましたが、いろんな作目の人がいて、とても新鮮でした。

支部の活動の中で、遊休農地を使って、さつまいもを作ってみよう、という話になりました。

近くのこども園の園児と一緒に、苗を植えたり、収穫を一緒にしたりしています。

「ここに穴を掘るんだよー」と言っても、トンネルを作り始める子がいたり、出てきた昆虫に詳しい子がいたり、「いっぱい取れたー!」と、土に触れあって、楽しんでいる園児たちを見ていると、このまま農業が、身近なまま、大きくなってほしいなと思っています。

子供たちを見ていると、農業って、自由でいいんだよなって思います。

地域の伝統を守ること、新しい農法を試すこと、昔ながらのやりかたで農業をすること。

なにをしてもいいんだよな。生きていければ。

その人の楽しい、や、生きていくうえで必要だったものが、今現在まで受け継がれて、今の農地になっている。

今ある農地を守るということは、

今まで生きてきた人たちの思いを、つないでいくことだと思います。

今まで、先人が守ってきた農地を、これからも守りながら、
新しい考えを、拾って、試して、変えていく。

一つの概念にとらわれない、柔軟な農業がしていきたい。

私は、これからも離農していく人たちの受け皿となり、農地を集約して、地域を支える大きな経営体になりたい、と思っています。そして生産だけにこだわらず、

農業を通じて、その人その人が持っているスキルを活かして活躍できる、そんな集団を作っていきたいと思っています。

そういった人たちに、どうやって農業にかかわってもらえるか、自分だけが思っていても何も始まらないので、少しずつ歩みを進めています。

まず、農業のことをよく知らない、私と同じような年代の、地域の若者に向けて、私の教えられるだけの農業に関する勉強会を行いました。

少しでも、農業に興味を持ってもらうためです。

座学だけではなく、トラクター・田植え機の乗り方の講習会もおこないました。
実際に動かすことで、自分でもできるのではないか、と感じてもらうためです。
車と同じ感覚で、ブレーキを踏めば止まると思っていたけど実際には止まらずに、ヒヤッとした参加者もいましたが、危険性と利便性を知ってもらえたかなと思います。

「難しいなあと思っていたけど、慣れてくると楽しいなあ」と言ってくれる人もいました。

農業にも農業機械にも、もっと触れることのできる場所を作っていきたいと思っています。

今後は、私の住んでいる町に移住してきた、農業に関心のある人たちにも、こういった勉強の場を提供していきます。

また、町から依頼されて、梨栽培の基礎知識・やりがい・大変なところなどを、オンラインセミナーで話しました。県外の方にも、私が思っていること、農業のことを、少しでも知ってもらうことが出来ました。

その縁で、一緒に話したい!と会いに来てくださった方がいて、とてもうれしかったのを覚えています。

集落の農業仲間と、農閑期や田植え・梨の作業の合間に、どうやったらより良い方向に行くか、話し合うようにもしています。

10年後に1億円が生み出せる環境にしよう、と計画しています。

そんな話をpodcastというインターネットラジオで配信したりもしています。つたない編集なので、聞きづらいところがあるかと思いますが、聞いてもらえると嬉しはずかしです。

自分が行動したり、発信したりすることで、
周りの人の意識が変わり、集落が変わり、
まちが変わる。

小さな水滴がぽとりと落ち、やがて大きな波紋になって、周りにつながっていく。

そうなるように頑張っていきます。

上の世代の人たちからは、「変わったことはするな」とか、「本当にできるのか?」とか、「今のままでいいじゃないか」とか、いろいろ言われます。変えようとするときは、必ず何か障壁が生まれるものです。

しかし、そういう小言を言う人達も、10年後には農業を引退しています。

農業人口が減るということは、思いの共有や、向かう方向性が一致しやすくなり、まとまりの取れた経営ができるのではないでしょうか。

昭和とは違います。
技術は発展しました。
農法も発展しました。

あとは私たちが変わるだけです。
農業はまだまだ成長するはずです。
農業者ももっと好きにできるはずです。

変わったことをし、従来通りを変えていき、ちょっと目立って、陰でぐちぐち言われても気にしない。もっと楽に、もっと好きに、もっと楽しく。

「集落の変わり者」がいてもいいでしょう。

今現在のピンチは、5年後、10年後花開くための準備期間だと思っています。

60歳になっても農業に飽きず、農業をしていてよかったなと思えるように、これからも変わり者で生きていきます。

反省点


曖昧!!!!!

以上です。




















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