僕の創造力を殺した折り紙のカメ

小学校の頃の事なんてほとんど覚えていないんですけど、最近なぜかよく思い出すことがあって、「ああ、これきっとトラウマだったんだな」と気付いたことがあります。僕はそのトラウマの影響で、他の人の目とかルールをすごく気にするようになり、尖ったところのない平均的な人間になったと思っています。自分語りの個人の感想なので恐縮ですが、自分が示唆深いなと気付くこともあったのでちょっと書き記してみます。

小学校の図画工作の授業で、”折り紙で動物をつくる”というテーマの回があったんですよね。先生の意図としては、鶴だったりとかカエルだったりとか、折り紙の取扱説明書に付属している折り方の通りに工作をする、というものだったんだろうなと思います。

当時の僕は何を思ったのか
”つくる”=説明書にないような新しいものをつくる
と解釈して、テンプレ通りの作り方ではなく自由な発想で折り紙を使って動物をつくろうと試みたわけです。

どのような考えを巡らせたのかは全く覚えてませんが、僕が最終的に作ったのは、緑色の折り紙を3枚ほどくしゃくしゃに丸めて、折った割りばしを丸めた折り紙に差し込み、マジックで顔を書いて、という感じの立体的なカメでした。一般的な折り紙の作り方とはかけ離れてますが、自分の中では力作だったことを強く覚えています。

しかし、いざそれを発表してみると「紙がもったいない」「折り紙じゃない」「カメに見えない」といった感じでクラスメイトから笑われ、先生からも「石川君は折り紙を知らなかったのかな?」とコメントされてしまいました。当時の僕はこのことがすごく恥ずかしいことだと強く後悔し、今思うとこれがトラウマになったのかなと感じます。それからというものの「普通」をすごく気にするようになって、他の人とズレることを無意識下で避けるようになって、気付けばマリオカートのマリオのような平均的で尖ったところのない”普通の人”になっていました。

でも、今振り返ってみて思うと、このカメってそんなに悪くなかったと思うんですよね。「折り紙だけを使って作る」という思い込みから脱却して割りばしやマジックを持ち込んだり、新品の折り紙をくしゃくしゃに丸めてみたり、割り箸を真っ二つに折ることだって、たぶんどれも誰も思いついてなかった。程度の低い話ではあるんですけど、これって今思うと実はすごく創造的だったんじゃないかなと思います。

実際に社会に出て色んな人がイノベーションを起こしている話を聞くと、こういう前提とか固定観念を全部無視したり壊したりするような、狂気じみた考え方から始まってるものが多く感じます。今こうして事業をやってみるとその貴重さがよくわかりますし、カメのトラウマで平均的な大人になってしまった僕にはとても辛く感じるわけです。

というわけで、この話で改めて思うのは、他の人が正しいと思っていたり、普通だと感じることに、新しい価値はほとんどないんじゃないかなあということです。他の人が「はあ?」って思うくらいでちょうどいいんじゃないかなって。平均的で凡人な僕は、この「はあ?」をいかにたくさん作れるかを最近はすごく意識するようにしてて、缶カンを1つ数千円で売れる仕組みを考えてみたり、狂ったように1000km走って15kg突然痩せてみたり、プレスリリースで自分語りをしてみたり、そうやって他の人が驚いたり否定したりすることでも自分が正しいと思うことを続けて、いつかまたあの日のカメをつくれるくらいクリエイティブになれたらいいなって思ってます。

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