優越的地位を手放すことがパートナーとなるための第一歩
自分は会社の意思決定者という立場であり、会社の経営を見ている立場なのですが、このポジションについてからというもののずっとモヤモヤし続けているのがこの”優越的地位”というものです。世の中的には「優越的地位の濫用」という独禁法などの文脈で出てくるくらいの聞きなれない言葉かもしれませんが、結論的にはこの優越的地位というものを辟易していて、いつも何とかして自分から引き剥がそうと試みています。結論的には、この優越的地位を手放すことが、人間らしく楽しく働いていく上での第一歩だなと思っているのですが、今回はそのことについて自分の思いの丈をまとめてみたいと思います。
優越的地位は悪魔のささやき
発注者と受注者、経営者と従業員、上司と部下、など優越的地位というものはいろんな場所で発生するものですが、金銭の支払いやそれに紐づく評価・管理があるところで特に色濃くなりがちだと思っています。自分のような立場だと知らない間にこの優越的権利を持ってしまいがちなので、自分のことを常に客観的に見ていないといけないなと肝に銘じてはいるところです。
が、優越的地位ってすごく危険で、自分が気付かないうちに邪な感情を生んでくるんですよね。
「こっちはお金を払ってるんだから…」
「給料分ちゃんと働いてくれないと困るな…」
「思った通りにやってくれないから叱責するか…」
といった感じで、自分がまるで生殺与奪の権を握った支配者のような感覚にさせてくるわけですね。お金を払うとか、評価する、っていう行為は、無意識化にある自分の支配欲を起こして、知らない間に相手が自分の思い通りに動くことが当然、という感情を呼び覚ましてしまうもので、とても注意が必要なものだと思っています。
「様」づけの関係からは共創は生まれない
僕が社外の方と何かをするときに冒頭で必ずお伝えしてるのが
「以後、『様』づけは絶対にやめてください。受発注ではなく、パートナーとしてお力添えください。」
ということです。受発注の関係で無意識化の優越的地位が発生しやすいのは先述した通りですが、それは言葉からも生まれるものだと僕は思っています。お客様なんだから「様」づけは当然なんじゃないか?というご意見もあるかと思いますが、自分はそうは思いません。「様」を付けた瞬間に、顧客が満足するものを提供することだけが目的となるような力学が働き、全体最適からはズレる傾向にあると感じるからです。例えばポスターのデザインの受発注で、「顧客が青色ベースを希望しているから」という理由だけで青色ベースを採用してしまっていては、良いモノは生まれませんよね。受発注の関係でも、大局的な目的は価値共創をしてベストなものを作り上げることであって、顧客が満足するものをつくることが最終目的ではないはずです。
しかしながら、劣後的な地位の立場は弱く、もし何かを意見したせいでトラブルになったら…契約が打ち切られたらどうしよう…と思うのが当然で、アカウンタビリティがあるとしてもリスクを冒してまで自ら行使する気力は起きにくいですよね。なので、やはり優越的地位にある側がまずはその権利を手放していることを明確に表明し、共創にコミットしてもらえるようにお願いするくらいがちょうどいいものだと思っています。
優越的地位を捨てれば人生はもっと良くなる
これは前段で書いた受発注の話に限らず、経営者と従業員のような関係でも同じようなことが言えると思っています。「経営者は孤独だ」なんていう言葉はよく聞かれるところで、実際にも経営者と従業員との関係性は冷め切っていて、埋まらない溝が出来ている企業も多いですよね。従業員側から見ると経営者は理解不能な何を考えているかわからない生き物で、経営者側から見ると従業員は言うことも聞かないし給料分働かないし困った奴らだ、といった関係です。
もちろん組織の中の複雑な歴史に基づく関係性の要因を一つに絞れるとは思っていませんが、この優越的地位が原因になっているケースも大いにあるのではないかと感じています。経営者が従業員に対して評価したり、給与を払って”あげてる”という感覚である以上は、このような溝は決して埋まらないと考えていますし、関係が良くなることもありません。
僕が家業に帰ってきてからもすごく感じていたことなのですが、こうした組織の内側に向いたエネルギーって全部無駄だと思うんですよね。企業があるべき姿は、そこで関わる全ての人がお客様のためや社会のためという方向を向いて仕事をし、みんなで価値を共創するということが何よりも大切なんだと実感しています。そういう意味では、経営者と従業員もパートナーであるべきですし、そのような関係を実現していくためにはまずは自分が優越的地位を手放していくことがスタート地点なのではないでしょうか。優越的地位を手放せばコントロールできることも減り、自分の考えだけを推し進めたりすることはできなくなりますが、その代わりに同じ目線に立つ仲間は増えると思うんですよね。究極的には、人と人との間に「優」も「劣」もありませんし。お互いが仕事をリスペクトしあって、良いものをつくることだけにフォーカスできるような、そんな関係がもっと増えていくと、世の中はもっと良くなるんじゃないかな。
僕は温度感のない理解不能な経営者ではなく、他の人と同じように一人の人間としてみんなと共生していきたいです。優劣のない関係性の中で、一人の人間として生きていくのが、何よりも幸せな生き方なんじゃないかなと強く思ってます。