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『いま、地方で生きるということ』 馬とゆけば
2月、クイーンズメドゥ・カントリーハウスに2週間ほど滞在して3つのワークショップをひらいた。その二つめが「馬と暮らす、その方法と実践」(2023.2.13〜16)で、クイーンズメドゥの馬事を育んできた徳吉英一郎さんを招いた。
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徳吉さん(徳さん)は前は東京で働いていた。遠野には仕事で通うようになり、一区切りついたときご夫婦で移り住んだ。
ランドスケープデザイナーの田瀬理夫さんと、事業コンサル会社の代表・今井隆さんの二人はその頃「東京から離れたところに場所をつくる」ことを考えていた。熱心に取り組んだ開発計画が、クライアント側の事情で頓挫する体験をいくつか重ねて「もう自分たちでやる方がいいんじゃないか」という想いに至っていたという。
沖縄も検討したが、徳さんの移住や(仕事仲間でもあった)、今井さん自身も仕事で通っていた流れから「遠野でやってみよう」となり、その約30年後が現在のクイーンズメドゥ・カントリーハウスだ。
今回のワークショップは、参加した人々にとって、あるいはクイーンズメドゥにも、自分にとっても、一つの不可逆な経験になった感があるので、少し書き留めておきたい。
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それは切実なものがありましたよ
ワークショップの告知タイトルについて、事前に少し悩んだ。
「馬とひと」
「馬と生きる」
「いま、馬と暮らすということ」
「馬と人が一緒に生きてゆくには」
「馬を使わない試み」
「馬を真ん中に置いてみると」
「馬と暮らす」
馬と暮らしてみたい人はいま増えていると思う。河田桟さんが与那国島で書かれている著作もいいし、多くの人々に届いている気がする。
でもワークショップのタイトルは「馬と暮らす」だとフワッとしていて、その実現まで距離の遠い人が集まりそうだ。他の案もジャストミートする気がしないし、もう少し硬派な建て付けの方がいいんじゃないか。
それで「馬と暮らす、その方法と実践」に決めて告知を始めると、こんなメンバーが集まった。
・長く連れ添った愛犬と別れた女性
・子育てを終えて長野に移り住んだ女性
・馬を飼いたい、自立的コミュニティの若手男性
・子どもが馬と触れあう現場を育ててきた男性
・最近まで漁船に乗っていた女性
・森に人をつなぐ精神保健福祉士の女性
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3日目だったかな。〝最近まで漁船に乗っていた女性〟が、クイーンズメドゥについて「この場所の強度はなんだろう?」という感想を漏らした。正確な表現を憶えていないけど、「意志を感じる」「ただ建てられているわけじゃない感じがして」と語っていたと思う。
それもあって夕食のあと、熱海に帰っていた田瀬さんとオンラインでつなぎ、彼らが26年前どんなことを考えてここを構想し、いま次へ向かいつつあるのか、90分ほど聞かせてもらった。
田瀬さんは、東京の仕事をしながら、その対極にあるような場所を持った方がいいんじゃないかと考えた当時をふりかえって「それは切実なものがありましたよ」と言う。
「切実さ」はとても大事な手がかりなんじゃないかな。なにについて自分は切実なのか?ということ。「これをやるといいかも」と思い付くことはたくさんあっても、足を踏み出せなかったり、あるいはいざ踏み出しても頭で考えただけのことは難所で挫けそうだったり。足りないものの一つは「切実さ」だと思う。
一方で田瀬さんは、「馬がいなかったらここ(クイーンズメドゥ)はつづいていないと思う」とも語った。
生き物を利用価値でみない
クイーンズメドゥを訪れる人は、ここにいる馬が経済価値と結びついていないことに気づくと困惑する。その部分だけ見ると、むしろネガティブな存在に思えてくるはずだ。
冬は飼料代がかかる。夏には地面の草が食べられるが、荒川高原牧場(遠野の共同牧区)に上げる牝馬と仔馬にはその利用料がかかる。病気になれば獣医を呼ぶ必要もある。なにより日々の世話があり、人を雇ってこなすとなれば人件費もかかる。
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10年前に交わしたインタビュー(『ひとの居場所をつくる』)で田瀬さんは、建設工事の一部に馬搬を試した話を聞かせてくれた。仔馬はいくらで売れるとか、堆肥をつかった有機農業ができるという話も。
追って、その農作物をオーガニックなペットフード会社に販売していた時期があったと思う。ホースセラピーの先駆者を招いて勉強会を開いていた日もあった。バランスのとれた経済合理性を、彼らなりに模索している様子を側で見てきた。
が、いずれ本格化する?と思っていた宿泊業も、誰でも自由に予約して泊まれるようにはなっていない。商品化は回避されている。馬の経済価値をめぐる試みもある頃から姿を消して、いまは日々、ただ馬と付き合っている。
クイーンズメドゥのこの流れを現場で拓いてきたのが、徳さんと、パートナーの敏江さんだ。
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彼らはまだ本館しかなかった最初のクイーンズメドゥに住み始めながら(26年前)、建物を管理し、娘さんを地域の小学校に通わせて、構想として田瀬さんたちが語っていた〝馬〟をある日実際に飼い始めた。
馬と暮らすアイデアは当初からあったものの、誰にも経験がない。思い切って「遠野馬の里」で馬を一頭買ってみたが、扱い方がわからないので預けたまま。徳さんも「本を読んで勉強せな…」という感じだったみたいで、そんな男たちに「業を煮やした(笑)」敏江さんは、ある日女友達と盛り上がって自分たちが先に馬を飼うことを決めた。
そして「ジンガ郎」と呼ばれる馬がクイーンズメドゥ、というよりクイーンズメドゥで暮らしていた徳吉家に来て、具体的な馬との付き合いが始まり。追ってチロルからハフリンガー種の馬たちが来て…、という事の次第を初めて詳細に聞いた。
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最初は鞍をのせて乗馬もしてみたようだ。でもメンバーは旧来の「調教」に段々と違和感を覚えるようになり、馬をめぐる一般常識が少しずつ外されてゆく。ハミ(銜)を付けない。鞭を持たない。馬房で飼わず、木立に放牧する。
中でも徳さんは使役動物として、つまり馬をその利用価値で見て、それを最大化する方向に洗練されてきた旧来の調教手法から離れてゆく。
馬の調教は「ブレーキング(Breaking/馴致)」という。野生動物としての性質を一度壊して、人と馬の関係を再構築する行為。この言葉にはなかなか怖いものがあるけれど、躍動する1馬力の重量物と行動するわけだから、制御技法の有無は生死にもかかわる。
それでも、「馬とより自然で調和的な関係を築きたい」と思う人は世界各地にいるようで、数少ない先駆者が、その経験を本に書いたりYouTubeに動画を上げている。(たとえばモンティ・ロバーツが拓いた「ジョインナップ」という信頼構築の手法などが有名)
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徳さんは10年ほどの時間をかけて、本や動画で学んだことを、実地でコツコツ試していった。
そうして育まれた彼の「馬とのかかわり方」があるのだけど、諸事情あり、徳さんたちはこの2年ほどクイーンズメドゥを少し離れていた。
クイーンズメドゥの馬事は若手の松井さんが引き継ぎ、彼と今井隆さんの息子の航大朗さんの二人が、全体を管理・運用する農業法人ノースの舵取りを現場で担っている。
私は去年の夏頃から、彼らが「あらためて徳さんから馬のことを学びたい」と漏らすのを聞いていた。『必要なことは自然に実現するだろうけど、第三者が居合わせることにも価値があるかも?』と考えたのが、今回のワークショップをひらいた理由の一つにあった。
二日目の日中はみんなで、二人が徳さんから学ぶ様子を見守り、暖炉の前で語り合った。
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徳さんに「一度ブレーキングを受けた馬は、人との関係を決定付けられて、その修復は二度と出来ないのかな?」と訊くと、「修復や再インストールでなく回復なら。圧倒的な信頼による上書きは可能だと思う」と言う。
彼と馬の話をしていると、教育や育児の話と重なってしょうがない。
人だけに閉じていない
徳吉さんたちは最初に数年暮らしたのち、車で30分ほど離れたところに家を借りて、クイーンズメドゥには管理と馬事で通うようになる。
ここは少し山に入ったところにあるので、歩いて通りがかる人はほぼいない。宿泊も関係者+α程度で、いつも誰かが泊まりに来ているわけじゃない。
彼は毎朝クイーンズメドゥに来て、馬に飼料をやり、状態を見て。建物や畑の仕事をし。あとは本などで見た「痛みや恐怖を土台にしない、馬との関係構築」を見よう見まねで試していたわけだ。約10年間。
その時間を想像するとなんとも言えない気持ちになる。森の中にある行き先が約束されていない場所で、長い人と馬の歴史の辿り直しを、ほぼ一人ないし夫婦でジリジリ匍匐前進していたわけだから。
その一部始終は初日の夜にきかせてもらった。敏江さんは、自分たちが辿った変化(馬をめぐる意識の変化)をこんな言葉で語る。
敏江さん 相手を「道具」だと思いながら暮らすのは変な感じ。私たちは馬を飼うようになって菜食になったけど、「お肉を食べないってどんな感じなのかな」って、馬と一緒にいながら自然に思うようになって。
徳さん (馬とかかわってゆくのは)答えがあるわけじゃないことについて「どうしよう、どうしよう」と話し合っていくような関係。かかわりを、計画にしない。ずーっと変化している中にいる。おうかがいは立てない。少し先の未来を決める。フラットなリーダーシップが要る。
敏江さん とはいえ「(柵で)囲って飼っている」という気持ち、ギルティはある。
でもみんなも馬を飼ってください(笑)。(自分たち家族にとってこの20数年は)馬もいて、人もいて。人だけに閉じていないことが豊かだったと思う。
── ほかの動物。たとえば猫ではだめ?
敏江さん それとは違う時間が起きている。猫なら閉じることも可能だけど、馬はいろいろな意味で大きいから、私たちはいろんなことを体験することになる。
柵を越えて外へ出てしまったり。病気になったり。仔馬が生まれたり。巨大な生き物の周辺で、いろいろなことが待ったなしで起きる。
一人ひとりの人生は、10年や20年もすれば当然変わってゆく。その中で散り散りになるのが多くのグループや組織だと思うが、クイーンズメドゥのメンバーは離合集散をくり返しながらも一緒に歩きつづけている。
それを可能にしている要素はいくつかあると思うが、一つは田瀬さんが話していたとおり「馬がいること」なんだろう。馬が扇子の要(かなめ)のような存在になっているのをあらためて認識した。「個人の事情より優先しなければいけない」と感じさせる大きな生命がいることで、みんながつながっている。
経済合理性を欠いていても、それによって一緒に進んでゆくことが実現しているのだから、これを価値と呼ばずしてなんだろう。
薮を掻き分けて
徳さんと敏江さんの話に何度も登場したのが、遠野で生まれ、馬と育った一人娘の徳吉あかねさんだ。
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小さな頃は裸馬にまたがっていた。動物が好き、という自覚からカナダの大学に留学。でも「私は学究じゃない…」とわかったようで、日本に帰国し、いまは青森県の弘前市にいる。
弘前の山の方にいる70代のダンサー(舞踏家の女性)と出会い、彼女とすごす時間が必要だと感じて、働きながら近くに身を置く時間を重ねている。でもダンサーになりたいわけではないという。
徳さんに相談してみたところちょうど市街に降りる用事があったようで、二日目の夜、弘前のスタバに来た彼女とオンラインでつないで、ゆっくり話を聞かせてもらった。
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カナダ留学中に進む道を悩んだ頃、広大な敷地で馬を飼っているリトリートがカナダにあることをお父さんから聞き、そこを訪ねて、手伝いをしながら半年くらい滞在したという。
https://www.equinisityretreats.com
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月明かりのない夜、森の中で、馬たちの群れと夜明けまで歩いたという話が印象に残った。
近くまでコヨーテの群れが近づいていて、その鳴き声が聞こえる。怖いので馬のそばにいたいが、群れの中に入ると、なにかに反応して群れが一斉に駆けだしたとき巻き込まれてしまう。かといって離れすぎるとコヨーテに狙われてしまうかもしれない…という一夜の移動の話。
ご両親の馬との暮らしを、近くでどんなふうに見てきましたか?という問いには、こんなふうに返していた。
あかねさん ふりかえると「なぜそんなに頑張れたんだろう」「自分の時間を削って、取り組めていたんだろう」って。
(中略)
でも私も一度外に出て、なにかに出会わないといけない気がしていて。それでいま、弘前で舞踏家の人の近くにいるんだと思う。
両親も手探りでやっていたことを、自分も手探りでやらないといけない、という気持ちがあって。彼らが薮を掻き分けて行った先に見つけたものを、自分も見つけたい。
参加メンバーの問いに、あかねさんは一つずつ答えてくれたのだけど、その応え方が素敵だった。
頭の中にある用意されていた言葉を語っている感じがない。問いをききとって、ちゃんと本人の奥に行って、そこから言葉を持って来る。その場で紡ぎ出しているというか、〝自分の言葉でいま話している〟感じが頼もしかった。
でもこれは彼女が馬とのかかわりの中で獲得してきたものでもあるんだろうなと思う。年季の入った態度というか。
恥ずかしがっている場合じゃない。相手を喜ばせても意味がない。ただ正直に、でもその瞬間を逃さずに応じてゆく。話しながら自分の輪郭線をハッキリさせてゆく、と同時に変わってゆく柔らかさがある。そこには過剰な自意識も、防衛性も攻撃性もなくて。
話の内容以上に、そんな彼女のあり方に感じ入ってしまった。
ここで確かめているリーダーシップ感覚
この三泊四日の滞在を組んだ理由は多義的で、一つには自分が10年以上つづけている「インタビューのワークショップ」との関係があった。
参加メンバーの〝長く連れ添った愛犬と別れた女性〟と〝最近まで漁船に乗っていた女性〟はそちらにも参加したことのある人で、徳さんの話を聞きながら「インタビューのワークショップと同じだ」と何度も漏らしていた。
私は「でしょ」と答えていたけど、クイーンズメドゥでひらく「インタビューのワークショップ」が、馬や徳さんたちとのかかわりの中で、これからどんなふうに変わってゆく可能性があるか確かめたかったのだと思う。
それは十分にできたので、今年4月末〜5月の滞在プログラムに顕現するだろう。あかねさんとの出会いも決定的だったな。あんなふうに話すことを可能にするきき方を、集まった人たちと探索したい。
>インタビューのワークショップ|初夏の遠野
https://note.com/lw_nish/n/n794c16c5e4d6
あと、馬と人のかかわり方を通じて、自由と統治の間で揺れる人間社会を考えたい気持ちがあった。
これは『自分をいかして生きる』や『かかわり方の学び方』を書いた頃からつづいているテーマなのだけど、馬と人の関係は、家畜と人間の物語であり、ひいては〝人間の自己家畜化〟という命題に突き当たる。
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最後のクロージングで徳さんは、こんなふうに話していた。
徳さん 片方に、暴れようとしているものを倫理や制約の枠に押し込めて整流するようなかかわり方があって、もう一方に放置や放任のようなかかわり方があって。
でもここ(クイーンズメドゥ)で馬とやろうとしていること、ここで確かめているリーダーシップ感覚は、そのどちらでもない。
無理くり動かすわけでないし、放ったらかしでもなく、でも一人ひとりが自律的に動ける。ケースバイケースで、でも一緒にいる。
このことについてはまだ考えるし、考えより実践的に試してゆくのがいい。同じ時代を生きていて私が親しみを感じている人たちは、フリースクールや、会社や、まちづくりの現場で、みんな同じことに取り組んでいると思う。
馬とゆけば
あともう一つ。10年少々かかわってきたクイーンズメドゥ・カントリーハウスの世代交代という視点があった。先にも少し書いたけど。
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田瀬さんも今井隆さんも、少し年下の徳さんも、まだまだ現役、100歳まで生きるし!という雰囲気だが、「下の世代が育って押し出されるくらいがいいんだよな…」ということは、たとえばよその中山間地の状況を見ながらもこの数年よく考えていた。
有機物の世界では循環するものだけが残る。残るのは結果であって目的ではないにしても、場所に重ねてきた価値(仕事)は、重ねつづけてゆける方がいい。次の世代の可能性が増えるので。
でも日本の中山間地は、若者を都市部に献上し、本来とっくに見守る側に身を移しているはずの中高年層がいつまでも現役で、家にいい年齢の息子がいても地域の集会にはあたりまえのように各家の代表として高齢者が出揃う。「若手がいない」と言いながら、いても陣取っている。循環が滞っていて、国政にも同じような景色がある。
リレー走でいうところの「バトンゾーン」がうまく設定されていない。バトンを渡す側も受け取る側も、双方がトップスピードで走るところ。クイーンズメドゥにおけるバトンゾーンはどうなってゆくかな?という関心が親戚のおじさん視点であり、馬事についても気になっていた。
これについては最後みんなの前で徳さんに正面から尋ねてみたところ、「世代交代という意識はない。一緒に漕いでゆく感じ」と返してもらって気持ちよく着地。やっぱり100歳まで生きるのか。バトンゾーンでは、バトンを渡そうとしているようで追いかけっこをしているような珍妙な情景がくり広げられるわけだけど、まあそれが順調に展開しているんだな。
プログラムが終わって二日後に、敏江さんからメールが届いた。
今回は馬との出会いを改めて振り返り、言語化する良い機会となりました。
遠野で馬と関わり始めたのが37歳ごろ、一度出会ってしまったからには、子育てと同じ、途中で放り出すわけにもいかず、苦しみながらもつづけてきて、今もこうして馬といます。
(中略)
これから、私も小さなささやかな冒険に出かけようと思います。冒険のタイトルは「馬とゆく」その先の、「馬とゆけば」かなあ。
このワークショップは一回性のもので、自分はもうひらかないと思う。必要なことは済んだ。
こうして生きているあいだはすべてが旅の途中で、成功も失敗もない。みんなも自分も、手応えのある人生を送ることが出来れば。でもその傍らに馬がいるというのはすごいなあ。
*この本に、12年前に徳吉さんと交わしたインタビューが載っています