naonokoto

Ciao!
はじめまして、naoです。

まずは、このnoteに辿り着いて、出会ってくださってありがとうございます。

なぜCiao!なのか気になってしまったそこのあなた、さすがです。特にイタリア留学をしていたわけでも、イタリアないのですが、「わたしってもしかしてイタリア人…?」となってしまうぐらい、感銘を受けた1冊の本との素敵な出会いがあったので、このような出だしにいたしました🇮🇹その本に関してはnotionにまとめようと思うので、書き上げたらいつか共有します。

さて、前置きが長くなってしまいましたが簡単な自己紹介をしたいと思います。

・1996 子年
・身長157.5cm
・O型
・二級建築士の資格所持
・神戸大好き人間

 ミッキーと同じねずみなので、ドリームを持って生きています。身長はよく顔だけ見たら高そうだなんて言われることもありますが、見た目の割にはおチビです。ビックベイビーだったのにな。上司から絶対B型と言われ続けておりましたが、全然O型なので血液型診断は当たらないと思っています。二級建築士をひょんなことからとった、神戸っこでございます。神戸愛はいつかまたどこかで。

【MY HISTORY】
ここからわたしの歩みをたっぷりと。
少しでも興味を持ってくださった方は読んでくださると嬉しいです📖

💐1996.12 ビックベイビー
 とてもうるさく大きな赤さんが堺にて誕生。
生粋の神戸人と見せかけて、実は大阪で生まれております。予定日から2日もずれ、ど年末に生まるなんてビックリだぜ。

💐1999〜 お耳がよろしいお子
 関西でも転々としつつ、naoは湘南の地に降り立ちます。1番言語形成される時期に住んでいたのが関東なので、関西の人からは「本当に関西人?」と言われる時もありますが、関東の幼馴染には「naoが関西人になっている…」と言われるのでおそらく中途半端です。いまだに新横越えると標準語に(近く)なります。
 ちなみに、耳がかなりいいので、大学時代は色んな地方から来た友人たちの方言がうつりすぎて、最終何弁なのかわからない状態になりました。誇れるほどではないけど、絶対音感も割とあります。センター試験の英語のリスニングは満点でした。(筆記は…、でもリカレント中です👍🏻)
 この頃の将来の夢は絵本作家でした。絵本が好きだから、となんとも単純な理由でしたが今思えば絵本を読んでいる時がいちばんわくわくして楽しかったんだと思います。

💐2003〜 キラキラ小学生
 関東にいたのも束の間、ここからわたしの神戸ライフがはじまります。今でこそ神戸大好き人間になりましたが、この頃は苦手だった…というのもやはり転校生いじりがすごかったのです。イントネーションが違う、流行りのものが違う、ノリも違う。なんだ、ここは異世界なのか…?とリトルnaoは思っておりました。
 でもさすがウルトラヤンチャガールnao、なんと見事順応いたしました。何も怖いことがなかった小学生時代、今思い返すとすごいです。中学受験組なので勉強だけはそれはそれは真面目に取り組んでいましたが、担任の先生にめちゃくちゃ怒られていましたし、男の子とめちゃくちゃ喧嘩していました。本当に今とは真逆、ただの野生児でした。
 ここまでだと危険なやつ認定されてしまいそうなので、真面目エピソードもいれておきます。
・神戸市陸上競技大会にリレーの選手として出場
・運動会の応援団を務める
・自由研究2年連続選出(どこかに飾れた)
・読書感想文 神戸新聞に掲載、作文で佳作
・全国模試(社会で)2位 など
 この頃の将来の夢は、ホテルのオーナー。これまた理由は単純で、ホテルが好きだったから。フォーシーズンズホテル椿山荘東京に泊まった時に感動したことがキッカケです。オーナーって、今から思えば経営者であって、ホテルにずっと住めるわけではないのに、当時のわたしはプチ贅沢だったホテル空間が楽しすぎて、そんな夢を抱いてしまったんです。この頃からぼんやりと、商環境に興味を持ち始めます。

[ブレイクタイム]
 ここで一息。きっと文章の長さに驚いたことでしょう。自分の歴史語るだけでこんなに長いの?と思われても仕方ないと思います。でも、これでいいのだ、naoは書くのだ、書きたいのだ…と指をずっと動かしております。読んでくださる皆様に感謝を。では続きをどうぞ。

💐2009〜 井の中の蛙だった中高時代
 中高一貫の特進に進んだnaoは表題通り井の中の蛙であったことを知ります。自分より走りが速い子も、頭がいい子もたくさんいた。それはそれは野生児ながらもやることはきっちりやってのけていた優等生だった(と思っている)わたしにとって、世の中の広さを知る第一歩でした。挫折、ウルトラ挫折でした。これまで伸び伸びと生きすぎていたせいか、女子校という荒波というか、ある種の特殊空間で揉まれることになります。卒業する頃は野生児が子うさぎになるくらいに。
 友人関係も苦戦してしまい、Abema ピグ、アメブロ、当時のTwitterをフル活用することになります。友人を作りたいというよりは、世の中に自分の考えや好きなこと、好きなことへの想いを発信したいという心持ちでした。ただこれが、今思えばWebへの興味の入り口だったんだと思います。スマホを持つのが遅かったわたしは当時全てPCでやっていたんです。ピアノを6年間習っていたせいかタイピングが楽しくて仕方がなく、情報の授業でやったタイピングゲームをただひたすらやっていた気がします。
 そんなこんなで深い海に潜ってしまったかのようだった中高6年間ですが、やはり1番悩むことは進路でした。まだ、Webへの潜在的興味に気づいてなかった当時は、建築関係に進むか、照明関係に進むか、という2択だったかと思います。
 建築関係に進みたい理由はやはり、商環境への関心が非常に高かったから。父がずっと仕事をしていたので、幼少期から、休日の思い出の形成がほとんど母とのものでした。そして、母と出かけることがとても好きだったわたしは、ホテル以外にも雑貨屋・インテリアショップ・アパレルの「ショップ」に足を運ぶのが特別な時間でした。
 特別であった理由を噛み砕いて考え、導き出した答えが「日常の中に、ちょっとした贅沢をプラスαできるから。」博物館や美術館の大きな建築を体感するのももちろん素敵でときめくことですが、それはもっともっと特別なタイミングで、より自身が能動的に動くことで起こります。一方で、先述のようなセレクトショップや百貨店、ホテル空間は日常の少し先にあると思うんです。非日常をウルトラハッピーにするという一点特化型の刹那的幸福も大切だし欠かせないと思うのですが、わたしは手近で小さな日々の幸せを追求したかったのです。そのような、日常に密接に関係する空間に足を運ぶことで、そのブランドや企業の商品を手に取るだけではなく、世界観丸ごと味わうことができるんです。世界観に触れた時、もう全部知りたくなってしまうんですよね。ブランドのプロダクトやホスピタリティへの想い、マーケティング戦略、それを届けるための空間づくり。もう頭の中はガリレオの福山雅治さん演じる湯川先生状態です。デデデデデデデデデデデデデ…。わたしにとってこれ以上の気分の高まりはないといっても過言ではありません。わたしのキラキラ!ときめき!を拙いながらにも言葉にすると、こういうことだと思います。
 さて、長くなりましたが一方で結果選ばないこととなった照明関係になぜ興味を抱いていたかを触れます。端的にいうと、人を輝かせる人たち、そして夢や感動を届ける人たちをサポートしたいという想い、そして人々に希望や幸福を届けたいという想いがあったからです。
 舞台でもドラマでも必ず演者の向こうに裏方とされる人がいます。アイドルやアーティストが好きだった(今も大大大好き)わたしは、こんなに幸せにしてくれる演者の魅力を''引き出してくれる人たち''、凄いなと。間接的かもしれないですが、その先に人々の幸せがあるなんてとても素敵だなと思っていました。加えて、ライブの構成する世界観の演出の一つであったことも大きな理由です。世界観を体感してファンになる瞬間って、誰にとっても特別な瞬間。その一員にわたしもなりたいと思ったのです。
 そして、灯りって、どんな灯りであっても一筋の希望だと思うんですよね。抽象的でまだ言葉に自分でも落とし込めていないのですが、灯りがさすって人間の本能的にもどこかプラスな印象があると思うんです。家の明かりも、月の灯りも、朝日も、今日も一日頑張ろう 明日もまた頑張ろう の原動力なになると思うと、そんなことを叶えられる照明の仕事ってすごくない?と。家の照明も舞台照明も、どちらも素敵で携わりたいなと思ったことが理由で、うーんうーんと、建築に進むか照明に進むかで頭を悩ませてました。

[ブレイクタイム]
 ここで一息。え、長。10行ぐらいでこれまでの歩みを伝えるつもりが指が進む進む…。まだ大学にも進んでいないことにアカーーーン!と頭の中の宮川大輔さんが暴れていますが、これ以上書き進めると2月が割と真面目に終わってしまいそうなので(実は1月からずっと書いては消してを繰り返していた当記事)、大学〜現在 なぜわたしが今現在WEBデザインを学ぶことに至ったのかは別ページにしっかり記述することといたします。

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