「世界」に目を向けたら、どんどんキャリアアップ!
「#私らしいはたらき方」というテーマで、ちょっと変わった私の職歴と仕事の際の心がけについてお話ししたいと思います。
私には幼い頃からいくつかの夢がありました。 そのひとつが「海外で働く」ということ。 両親の教育方針で4歳から英語を学び始め、小学生の時に両親から「ビジネスレベル以上の英語力があれば、日本だけでなく海外でも働けるよ!」と言われて以来、日本だけで自分なりにありとあらゆる勉強法を試して英語力アップに努力してきました。
そして、海外就職を実現するための作戦として綿密なリサーチとスケジューリングをしました。
まずは日本で就職し、社会人として数年働く経験をしました。なぜなら海外には多くの日系企業のオフィスがあり、そこはもう海外にいるのを忘れるほどの日本社会!そのため、日本で働くことで社会人としての一般常識や日本ならではのルール(サービス残業など)を学びました。 また、英語力を活かしさらに伸ばすために就職先にはこだわりました。結果、外国人上司の下で40名くらいの外国人の前で英語で話すような仕事を経験でき、少しは自信が持てるようになりました。
次に、ターゲットをオーストラリア・シドニーに定めました。理由は公用語が英語であること、そして何よりシドニーオリンピックでもともと狙っていた旅行業界での求人が増えると考えたからです。 そのためにもオリンピック開催時にきちんと働けるよう情報収集を徹底し、研修期間などを全て逆算して渡航時期などを細かく設定しました。 作戦が成功し、ずっと働きたかった憧れの大手日系旅行会社のシドニー支店で望みどおりガイドの仕事をさせていただくことができました。仕事は早朝から夜遅くまででハードでしたが、夢が叶ったので苦に思うことはありませんでした。 未経験だったので毎日必死に『万事を尽くして天命を待つ』を心がけ200%の気持ちでベストを尽くしていると、いつの間にか業界で名前が知られるようになり、いくつものオーストラリア企業や日系企業からヘッドハンティングのオファーを受けました! その中から働きぶりを認めて下さり半年以上ずっと誘い続けて下さったオーストラリア資本のホテルで、まったくの業界未経験ながらとんでもない厚待遇で唯一の日本人スタッフとして人材育成&接客指導のトレーナー兼コンシェルジュとして働くことになりました!
実は私、ホテル業界も人材育成も未経験!だからホテルの経営陣クラスから毎日「うちで働かない?」と半年以上誘っていただいたものの「からかわないで下さいよ〜笑」とはぐらかしていました。 そんなある日、当時働いていた日系旅行会社の支店長に電話で「ずっとヘッドハンティングのオファーしてるのに全然相手にしてもらえないんです!説得していただけませんか?」とホテルの重役から協力要請が!!そこで初めて先方が本気だと知り、驚きとこれまでの無礼に血の気が引きました(焦) 数分後には支店長に「明日、仕事の空き時間にお詫びに伺いたいです!」とお願いしてました(笑)
業界未経験なのにヘッドハンティングなんて、正直戸惑いしかありませんでした。両親に話しても全然信じてくれませんでした(笑)とにかくオーストラリア人の友人たち&ガイド時代に知り合った現地在住の日本人の皆さんに相談しまくり「わずか半年でオーストラリア資本の企業からヘッドハンティングなんて聞いたことないし、とんでもない待遇!先方は未経験と知った上で、ほぼ毎日働きぶりを見て下さっての判断だから受けてみては?」という声に背中を押されお受けしました。ちなみにこの決断、海外行きに誰よりも大反対していた両親が私の頑張りを認め和解するという奇跡をもたらしてくれました!! 自分なりに頑張ってきてよかった! 接客スキルを評価されヘッドハンティングでホテルへ迎えられた唯一の日本人スタッフとして、最もプレッシャーだったのが接客指導でした。経営陣を含めほぼ全員に、未経験ながら全て英語で行わなければならないので責任重大! そこで就任初日、全経営陣へのあいさつの後で接客研修プランをプレゼンしたところ、高評価をいただきアピールに成功しました。また、指導する立場として接客の要であるフロントやポーターなどロビー周辺の仕事全てを1週間でマスターし、部下となるスタッフたちの信頼を得た上で指導していきました。
オーストラリア企業で働く唯一の日本人として特に印象に残ったのは、日本とオーストラリアの仕事に対する考え方の違いでした。 日本ではひとつの仕事が終わっても次にできることを自ら見つけられない人=アウト(使えない人)ですが、オーストラリアでは契約書に書かれた事だけきちんとできていれば問題なく、極端に言えばやることをやればその後はボーッとしててもOK(笑) だからサービス残業なんて存在しないし、よほどの事情がないと残業すらできません(笑) また、超仕事人間である私にとってはプライベートでもつい仕事の事を考えてしまいますが、オーストラリアの人々は仕事とプライベートの切り替えが気持ちいいほどハッキリしていて、プライベートでも常に仕事のことを考えている超ワーカホリックな私からすればうらやましかったです(笑)
こうして無事に契約を満了しようとしていた矢先、実はホテルの経営陣からそれまでの仕事ぶりを評価され、再契約のオファーが!長期契約のため私の生活費はもちろんビザ手続きの費用まで全てホテル側で負担してでもビジネスビザを申請したいとのことでした。 大変光栄ではありましたが、実は既に他社からのヘッドハンティングがありビジネスビザ申請がスタートしていたのでお受けすることはできませんでした。最後は超豪華な送別パーティーまで開かれ、なぜか主役である私以外のスタッフたち全員&取引先の担当者さんたちが大号泣してました(笑)
旅好きの私の長年の夢だったオーストラリア一周旅行を次の契約先である留学サポートの取材をこなしながら急いで3か月ほどで終えてシドニーへ戻り、オーストラリア国内はもちろんニュージーランドなど出張であちこちを忙しく飛び回る生活になりました。 ある日、オーストラリア人社長からバースデイプレゼントが!なんと1年以上日本に帰国できていない私に、日本行きの航空券!!おかげで約1年ぶりに家族や友人と再会し久々の日本を楽しんでいたのですが...世界に大きなショックをもたらした「アメリカ同時多発テロ」が起き、両親の心配が増幅し、私自身も改めて人生について深く考えさせられました。再びシドニーで仕事に復帰したものの、留学のキャンセルが相次ぐ状態の中でビジネスビザ取得の条件である私の生活費の負担をして下さっている社長に申し訳なく思うと同時に「テロの犠牲になってしまった方々のように自分もいつどうなるかわからないなら、本当にやりたい事をやらなければ!」という気持ちが生まれてきました。オーストラリア永住権を取得し大好きなシドニー拠点での生活が目標だっただけに苦渋の決断でしたが、長年の憧れであったディズニーワールド勤務に挑戦するため日本へ帰国することを決めました。
日本へ帰国すると、誰にも相談せずディズニーワールドの求人に応募しました。なぜならテロ直後にアメリカへ行くことは帰国を誰よりも喜んでくれた両親をはじめ誰も賛成してくれるとは思えなかったし、何より私よりずっと優秀な友人や知人がひとりも合格できなかったという超難関で全く自信が持てなかったからです。
実は帰国してすぐ、以前数日だけ通訳としてお仕事させていただいた派遣会社から「日韓ワールドカップ」の通訳案内のオファーが!日本最大の鉄道会社でのお仕事なので責任重大でしたが、シドニーオリンピックを体験して「一度は世界的イベントに関わりたい」という気持ちと「ディズニーワールドに近い還境だし、今後どんな仕事をするにしても絶対プラスの経験になる!」という思いでお受けしました。 その直後ディズニーワールドから書類選考を通過し面接の連絡があり、なんと1000人以上の応募という超難関ながら合格しちゃったんです(驚) ご連絡を頂いた時は合格なんて全く想像できなかったので驚きすぎて頭がまっ白になり「数日考えさせていただけませんか?」とお願いし、両親も東京ディズニーリゾートと勘違いして「ここ(実家)から通うのか?」と言ってたので「残念ながら飛行機で片道17時間かかるので無理!」と伝えたら腰が抜けそうなほど驚いてました(爆笑) でも世界的有名企業であり両親も大好きなディズニーということで大賛成してくれました!特に東京ディズニーランド建設に関わって以来ディズニーファンになった、経営者でめったに他人をホメることのない父が「本当にスゴイ!」と何度も言ってくれたのはすごくうれしかったし、どうやら父の会社の皆さんに自慢してたらしいです(照)
ワールドカップの仕事は想像以上にハードでしたが、最後は多くの外国人の方々から感謝の手紙やプレゼントを頂き、なんと日本での取材の全手配をお手伝いしたイギリスのサッカーマガジン取材チームからはお礼として私が大ファンだったベッカム選手の直筆サインまで!!鉄道会社さんからは早々に時給大幅アップという評価もあり、素晴らしい経験になりました。
ワールドカップの仕事から数ケ月後、長年の夢であるディズニーキャストメンバーとしてディズニーワールドでの生活がスタートしました。世界的にも有名な名物研修を受けた時は、夢が叶った実感で烏肌が立ちました(笑) 私が働いていたのはディズニーワールドに4つあるテーマパークの1つ、エプコットのワールドショーケースというエリアの日本館。もともとワールドショーケースは私が尊敬するディズニー創始者ウォルト・ディズニー氏が「いろいろな国の文化を理解し尊重し合うことで世界が平和になってほしい」という思いから生まれたものの、ウォルト氏は完成を見届けることなく天国へ旅立ったそうです。 そんな特別な意味を持つ場所で働けるチャンスを頂けた以上、ディズニーという世界的ブランドを傷つけることなく、世界中からのゲストに日本文化をしっかりとお伝えするという責任を常に忘れないよう心がけていました。また、年間パスポートをお持ちの地元の方々やディズニーのキャストメンバーなど週に何度も来てくださる6組ほどのゲストが「あなたに会っておしゃべりするのが楽しみで来てます!」と毎回50%という破格のチップを下さるなど出会いに恵まれました。 特に思い出に残ったのは、ハリウッド俳優のジョン・トラボルタ氏がご家族やご友人と来店時にマネージャーから直々に接客を任されたこと!映画マニアの私にとっては夢のようでしたが、そのおかげでトラボルタ氏の体型の変化に気付くことができ(映画の役作りで減量&筋肉増量されていました)、本当のファンであると証明できて、わざわざ帰り際には再びお礼を伝えたいと再来店してくださるという神対応!オープン以来歴代トップレベルのとんでもないチップも頂戴しました。 ひとつだけ心残りだったのは、ディズニーから「声の仕事」のオファーがあったのに実現できなかったこと。実は当時ディズニーがパークに設置するあるシステムを開発中で、職場の上層部から「日本人スタッフでいちばん声がキレイ!」との推薦で日本語のガイダンス音声を担当する予定だったのですが、残念ながらシステム開発が遅れて契約期間中に実現できなかったんです(悲) もし実現してたら、日本にいながら私の声がフロリダに響き続けていたかも(笑) オフもすごく充実していて、月1回は友人がいるニューヨークへ飛び、同期や各国からのシェアメイトや同期たちとアメリカやカナダを旅行したりと楽しい思い出ばかり。中でも泣きそうなほどうれしかったのは、日本人の同期たちがサプライズで私のバースデーにバハマ行きのディズニークルーズを予約してくれていたこと!多くの乗客やスタッフに毎晩盛大にお祝いしていただき、一生忘れられないバースデーになりました!!
だからその年「バースデーを迎えた瞬間、どこにいた?」と当時超遠距離恋愛中だったオーストラリア人の彼氏に聞かれ「クルーズだったから、カリブ海のどこか」と答えました(笑) ディズニーワールドでの経験は私にとって全てが宝物!誰もが経験できるものではないからこそ、与えていただいた環境を活かすためセミナーに参加するなど全力でさらなる成長を目指しました。
あっという間のディズニーワールド勤務のあとはアメリカ一周旅行とバンクーバー在住の元シェアメイトを訪ねて帰国し、当時お付き合いしていたオーストラリア人の彼氏に会うためオーストラリアへ行きのんびりと過ごすつもりが、なんと日本の新聞社から取材のオファーが!実は留学エージェントの知人からオーストラリアでのヘッドハンティングなど珍しい体験を文章にしてほしいと依頼され、それが某省庁の目に止まりイベントの講演依頼をいただいたものの人前が苦手でお断りしたら、それが新聞社の記者さんの耳に入ったらしく熱烈なオファーに根負けしてオーストラリアからリモートで取材を受けました。彼氏は取材の様子にとても驚き、後日日本から掲載紙面を送ったらもっと驚いてました(笑)
実はこの時、もうひとつ日本から驚きのオファーがあったんです!それはワールドカップの仕事をオファーして下さった派遣会社のスタッフさんのご友人からで、その方の職場は複数の国の経済促進のために各国政府から任されたプロジェクトを手掛ける国際的な機関(驚) そこで臨時スタッフが必要という相談に「珍しい経歴の登録者(私)がいる」と話したら「すぐにでもお会いしたい!」となったそう。あまりのハイレベルなオファーで戸惑いましたが、学生時代に国連難民高等弁務官事務所で多くの命を救った緒方貞子さんに感銘を受け国際貢献に携わりたいと思っていたので、せっかくのチャンスとお受けしてみたら、なんと臨時スタッフとして働けることに!!このビッグニュースに家族はもちろん、親戚や友人など周囲の人たちが相当ザワついてました(笑)
いよいよ国際的な機関での就業がスタートしたものの、驚くほどハイレベルなスタッフの皆さんに圧倒され、勉強のため約2か月毎日仕事終わりに図書館に通い、機関でプロジェクトを手掛ける10ヵ国の現状から歴史や宗教まであらゆる書籍や資料を読み込んでいたら、それをたまたま機関のスタッフさんに見られていて感心したらしく私の直属の上司に話し、正職員のオファーにつながりました!他にも働きぶりから某国大使館や大手企業のトップの方々からヘッドハンティング的なお話をいただきました。 中でも何よりうれしかったのは、尊敬する緒方貞子さんにお会いできたこと!実は緒方さんが国連難民高等弁務官事務所からのオファーに迷い悩んでいた時に背中を押したのが我が機関のトップだったんです!!実は当時、トップから専属秘書のオファーがあったのですが、各国要人と関わることが多く、あまりの重責に迷っていました。そのオファーの話をトップが緒方さんにお話ししたら「素晴らしい方だから、秘書のオファーをお受けしてみたら?」とのお言葉をいただき感激でしたが、やはり私には重責すぎてお受けすることができませんでした。代わりに正職員のオファーをお受けし、トップが喜んで下さいました。
改めてこうして文字にしてみると、多くのチャンスをいただけたり、素晴らしい出会いに恵まれたりと、あまりの運の良さに我ながら驚きです(笑)
これまでのあらゆる経験を振り返り、全ての仕事においての共通点は以下の心がけだったことに気づきました。
やらずに後悔するより、やって後悔!
実は・・・私の周りでは海外就職を賛成し応援してくれる人が一人もいませんでした。
理由は現地に1人も知り合いがいないこと、日本より治安が良くないこと、そして仕事探しのコネクションなども皆無だったことです。皆からは「ただただ心配!」と言われ、最も反対していた両親には勘当されたような状態でオーストラリアへ出発しました。
でもあの時反対を押し切って行動したからこそ、周囲からも驚かれるような、想像をはるかに越えるキャリアアップの連続になりました。
あえて難しいことに挑戦し、努力してみる!
オーストラリアの憧れの日系旅行会社で80倍の難関を勝ち抜きゲットしたガイドの仕事やホテルからの未経験ながらのヘッドハンティングをはじめ、世界的ビッグイベントであるワールドカップ、世界でも有数のホスピタリティの高さが求められるディズニーワールド、そして各国政府との国家プロジェクトを手がける日本でも最高レベルの優秀なスタッフが揃った国際機関。 正直どの仕事も採用していただける自信は全くありませんでしたが、どうしても叶えたいという強い気持ちから事前に知識を身につけたりと自分なりに努力はしていました。 オーストラリアのガイドは採用前にプレスクール(予備校)で事前にガイドとしての知識を学びシドニー市内観光の原稿(なんと5時間分!)を完全に暗記できていたことが採用の決め手となり、ホテルは未経験だからこそ事前に人材育成やホテル業務の書籍で猛勉強、国際機関では担当する10か国について宗教から歴史に至るまで約2か月かけて国立国会図書館にある資料を読みあさっているのをたまたま見かけた職員によって上司の耳に届き、わずか数ヶ月で正職員のオファーを受けました。 私自身が追い込まれることで実力以上の力をを発揮するタイプではあるものの、自分には手が届かないと思うことも全力でぶつかってみることが大切で、たとえダメだったとしても努力して得たものは絶対ムダにはならないと思っています。
『万事を尽くして天命を待つ』を心がける!
幼い頃から座右の銘であるこの言葉を経営者として常に実行する父と母の姿を見て育ってきました。 「『万事を尽くして天命を待つ』とは、給与を頂く以上プロとして100%やるのは当たり前なので、これ以上できることはないと思える100%以上の全力を尽くして結果を待つこと。たとえ思うような結果や評価にならなくても全てやりきっていれば後悔はしなくて済む。」 この言葉通りに実行していたら、私の場合は想像をはるかに超える結果や評価につながり、その連鎖で奇跡的なキャリアアップができたので、両親には本当に感謝しています。
仕事の能力だけでなく、人間力も磨く!
ディズニーワールドではハリウッドスターや世界的アスリート、某王国の王子(!)など、国際機関では某国の副首相をはじめ各国政府の高官や皇室関係者、大手日系企業のトップの方々、シドニーオリンピックでは当時のオーストラリア首相(!)など多くの方々と接して実感したのは「特別なご身分やお立場の方々や仕事がデキる人=人間力(人間としてのレベル)が高い!」ということ!! お立場のある方ほど、謙虚で常に細やかなお気遣いを忘れず、とてもフレンドリーな方ばかりでした。 そこまで能力が高い訳ではない私はおそらく「ヒューマンスキル(人間力)」でなんとかなってきたタイプだと確信しているので(笑)、常に素晴らしい皆様を見習って人間力の向上を心がけています。
なかなか海外へとはいかないご時世ではありますが、いつでもどこでも何かしらの努力はできるはずですし、それは絶対ムダにはならないので、ぜひ夢を持ち続けていただきたいです!!
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