2020.04.02.
昨日、ああ日記を書かねばと思っていたが、翌日も実験が早くからあるためバイトから帰ったらすぐに寝てしまった。それでもほぼ徹夜のダメージは抜けず、今日も寝坊し、家を飛び出したものの研究室に到着してもしばらくは寝ぼけ眼で、師に迷惑をかけた。多分本人はさほど気にしていないが、私が気にする。もっと雑用も作業もこなせる室員になりたい。
さて、昨日も朝から先輩の実験で大学へ向かった。その前に世田谷区がコロナ感染人数トップというニュースを見て親が「行くな」と言い、私も悩んだけれど、こういう目を引くニュースほどよく裏を取ることだ。この報道には大きな穴がある。それは居住人口との比較をしていないことである。たしかに「感染人数」ならトップではあるが「感染率」ではトップではない。世田谷区は居住人口が多いのだ。ということで私は家を出た。
昨日の日記には書いていないことでイラついていたのだが、それを払拭したかったのもあるだろう。とにかく外を歩きたかった。気分を改善する私なりの方法は
・外に出て歩く(俯いて歩くだけでもよい)
・ヘッドフォンを着けて音楽を聴く(耳を覆うものがよい)
であり、反対にやるべきでないことは
・SNSで愚痴を吐く(特に知り合いが見ているアカウントは禁止。後悔する)
・両親に話を聞いてもらおうとする(聞いてもらえない)
である。
ゆえに昨日は、今年の誕生日の夜、ポチと歩いた通学路を歩いた。晴れた空に人通りの少ない道、春を思わせる日差しが心地よかった。加えて、一歩一歩、歩を進めるごとに彼と過ごしたやさしく穏やかな時間を思い出した。私を振り返って「誕生日おめでとう」と笑った君のことも。嬉しくなった。気分がだいぶよくなった。そのあとの実験でも、私の師は大変賢い方であるから様々なことを楽しく教えていただき、新しい知見を得ることができた。
だからその後のバイトがいつも通り辛くても特に思いつめることなく終えることができた。好きな人の存在は心を支えるものだ。人間であるかぎりそれは否めないことなのだろう。
時に、なぜ昨日いらついていたか。同級生と通話をした内容があまりにもお粗末だったからだ。「汀の意見が聞きたい」と言いつつも、何を言っても「いや、俺はさあ」から始まる話のどこが面白いと思うだろう? 内容は恋愛相談。その内容もつまらん。基本的に恋バナというものはつまらないものだが、彼の場合は自己顕示欲と釣れそうな相手に対する興奮にまみれたトークが退屈を通り越してもはや苦痛であった。それに加えて他人の話をまったく聞く気がない態度である。基本的に会話には楽しみを見出そうとするが、今回ばかりは途中からドロップアウトしてひたすらスマホにCD音源を入れ、ネイルを塗っていた。それでも電話を切れない自分の甘さに腹が立った。
頭ごなしに否定されることも、つまらない話を聞かされることも、自分の話を聞いてもらえないことも、慣れているから傷ついたりはしない。ただただ感情が消えていくだけだ。おまけに、満たされる会話というものを知ってしまったから、こういう退屈な会話はなるべくシャットダウンしていきたい。
本当の友人であれば、「お前さっきから自分の話しかしてないけど分かってる?」などと指摘してやるだろう。だがしかし私はそこまで出来るほど優しい人間でもない。誠意のない相手に誠意をもって応えることなどできはしない。
この子はつい最近成人を迎えたばかりだ。だから自己顕示欲の塊でも仕方がない。加えて話し相手は女性、おまけに年上だ。それがウンウンと頷いて時々ほめてくれる。負けたくないというプライドもあろう。傷つきたくないという臆病さもあろう。それゆえのあの返事であろう。なんだか色んなものが見えてしまった気がして、うんざりしてしまった。
「私はほんとは結構弱ったりするんだよ」
と笑いながら言ったときの反応で私は今後の付き合いを決める節がある。この子は「え、うそでしょ」と一蹴してくれた。その後もその話を取り上げることはなかった。うむ、盛大に落胆した。
強そうに見える人間がたまに弱さを見せる瞬間というのは、最大のチャンスだと思っている。本当に強い人間は弱さなんて持っていないし、強そうに見せている人間が弱さを見せるときは信頼してもいいかなと思っている時だ。多分そうだ。私の場合は。別に強がっているわけではない。その場に必要なことをしていると弱っている暇がないだけだ。と、つまらない自己評価はここまでにしておく。
彼はとにかく自分の話と、好きな子の話を聞いてもらいたくて仕方がないようだった。そのために費やした150分は返してくれとは言わないが二度と味わいたくはなかった。自分に浴びせられる遠慮のない言葉が不愉快だった。それゆえにいら立ちが募った。それだけだ。それだけだが、こういう時にかつて味わった幸せな時間というものを思い出してしまって、それが簡単には手に入らないものなのだと自覚をして、切なくなった。
ポチや彼女との会話はいつも満たされていた。聞いていても楽しいし、聞いてもらっても楽しかった。それはきっとお互いを尊重する気持ちがあったからだろう。お互いを尊敬しているからこそ知りたいと思うのだろうし、二人の感情や意見を交換することを大切に思えるのだろう。
いいことを教えてもらった勉強代として150分は安いくらいだと言っておく。嘘だが。二度はないからそれでいい。
かつては自分が通った道ではあるが、それでも指摘してやれるほど私は今の人生に余裕を持っていない。だから悪いが、また来世で会おうな。
そんな気持ちである。ポチの優しい瞳にまたかち合いたい。
「なんだよぼけ」と口元をゆるりと挙げて微笑む彼の笑顔が見たい。
私の記憶の中にはあっても、しばらく見ることは叶わないであろう願望が私の背中を押す。がんばろう。
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