『象は静かに座っている』- DJ電熱線のビリビリビリ映画
こんにちは、DJ電熱線です。
今回は、中国の映画『象は静かに座っている』をご紹介します。
かつては炭鉱業で隆盛しながらも、今では廃れてしまった中国の小さな田舎町。友達をかばった少年ブーは、町で幅を利かせているチェンの弟で不良の同級生シュアイをあやまって階段から突き落としてしまう。チェンたちに追われて町を出ようとするブーは、友人のリンや近所の老人ジンも巻き込んでいく。それぞれが事情を抱える4人は、2300キロ離れた先にある満州里にいるという、1日中ただ座り続けている奇妙な象の存在にわずかな希望を求めて歩き出す。(https://eiga.com/movie/89956/)
DJ電熱線は、つらい出来事の先には必ず希望があるとか、報われるはずだと信じるよりも、諦めてしまうことが逆に希望だったりする場合もあるのではないかと考えることが少なからずあります。しかしそれは必ずしも後ろ向きの感情から来るものではなく、一種の気概であり、だからこそ多少大変なことがあっても生きていけるという側面を併せもっていると思うのです。
(C)Ms. CHU Yanhua and Mr. HU Yongzhen
この物語は決して楽しい話ではなく、登場人物はそれぞれ自らの環境に疲弊し、行き場もなく諦めていかなければいけないという選択肢が目の前にあり、希望らしきものはありません。若者たちは、疲弊した大人たちのはけ口でもあり、それは恐らく前の世代から連鎖しているもののように推測します。
大人たちは若者に対して希望を持たせるのではなく諦めろ、と諭します。
(C)Ms. CHU Yanhua and Mr. HU Yongzhen
場所を変えれば何かが変わると思っているのならそれは違う、どこへ行っても何も変わらない。何かが変わるはずと自分をだましているだけだ。いちばんいいのは、向こう側へ行けば何かが変わるかもしれないと思うことだ。だけど決して向こう側へ行ってはいけない。
そのようなことを老人・ジンは語りかけます。
(C)Ms. CHU Yanhua and Mr. HU Yongzhen
文字だけでみると、この主張を居心地悪く感じる人もいるとは思いますが、234分という時間を過ごすなかで、なぜそういった発言が生まれるのか、その真意はなんなのかということが台詞をこえて、映像そのものから伝わってきます。
本作はフー・ボー監督の長編デビュー作にして遺作ということで、どうしてもそのことに絡めて評してしまうのが残念でもあるのですが、ひとつひとつ丁寧に細かく計算されつくしたショットの熱量はすさまじく、この作品を撮ることによって本当に燃え尽きてしまったのだな、と感じずにはいられませんでした。
(C)Ms. CHU Yanhua and Mr. HU Yongzhen
明るい映画ではないのですが、それでも鑑賞後に不思議と暗い気もちにはならないのでご安心していただきたいです。ぜひ!おすすめです。