生きる死ぬってな会話するのが嫌い
「誰だって、どんな時だって、生きてちゃダメなんてことは絶対ないよ」
面食らった。
それは、その言葉が俺の中になくって、目から鱗な思考だったからじゃない。第一俺は死にたいとも、生きていちゃダメなんだとも、言ってないし、思ってない。
でも確かに、
ー生きていいんだって見せてやりますよ
なんて啖呵を軽く切っていたことも事実だ。
俺は慰めてほしかったわけでもないし、別にあなたの一言がなくて事切れるほど深刻でもない。ただ、優しさの言葉ということくらい理解できるチンケな脳みそも一応搭載されているので、有り難かったとは思う。
言葉を返せなかった。自分の何気ない一言にそんなに真剣に向き合ってくれて、どう返せば良いかわからないまま時間が今も過ぎていく。
ずっと俺は、なんとなく社会に求められていないと思いながら生きている。
仕事はある。仲の良い一部の人が恵んでくれているから。
仲間もいる。新しい仲間は数年できていないが。
夢もある。よそ見ばかりして、人をがっかりさせるが。
体よく話して親族を納得させることはできる。
できるけど、全部注釈がつく。その注釈を話して行けば、きっと親は泣く。
おまけにマトモに人と話せないコミュニケーション不全とバイトができない怠惰さも併せ持っている。
社会において、まあ排他された方が経済が微々たるものながら上向き、心地よく日々を過ごせる人が増加するであろう害虫だ。
害虫なので、夜の街で同じような害虫と群れたり、本を読んだり、映画を観たりして、基本的には人様に迷惑をかけないように生きている。やりたいことはたくさんあるので生きていたいし、生きていく。
けど、生きて良い理由があるかと問われると、社会主義国家なら粛清されていたろうなと考えて、「ない」と答えるだろうなと思う。
そうして日銭が切れそうなタイミングで、仕事が来てくれる。
人手不足の業界だから、入るだけで褒められる。
金も入るし、これやってれば人が喜ぶしで、嫌な気はしないので、ポンポンポンと次の仕事に誘われるがまま入ってしまって、ロボットのように演出部をする。そして疲れて、また害虫に戻る。以下繰り返し。
そんな程度の絶妙な生きづらさを抱えて、そこそこの自己嫌悪に陥ったり、晴れた日はコーヒーを飲みながらタバコを吸うくらいの精神的余裕を見せたりする中途半端な人間なのだ、私は。
そんな人間にも面白いもんで夢くらいは持ち合わせがある。
映画監督になることだ。
別に映画で知らない誰かを救おうだとか、届いてほしい!この気持ち!とか、社会に問題提起をしようとか、笑いを届けたい、俺の生き様を、映画とは第七芸術で、俺の頭の中を吐き出したい云々の、そういうお天才向けのクレジットカード的なスマートな夢は持ってないけど、映画が好きだからとか、こんな映画を撮ってみたいとか、映画を撮るってのは楽しいことだとか、そんな薄汚れた小銭みたいな憧れが剥き出しのままでいつもジャラジャラと歩くたびに鳴っている。書いていて、あれ、なんかカッコよくない?とも少し思ったが、俺はその夢をよくタバコやコーヒー代、酒代に服代に女の子に使ってしまうんだからやっぱし全然カッコ良くもない。夢にだけはストイックな方がカッコいいのに。
そんな小銭の夢でポッケをパンパンにしながら、煩く飲んで、税金もNHKの料金もろくに払わない人間が心の底から気持ちよく生きる方法は一つだ。
面白い作品を作る。面白い作品を作る人間になれば、俺にも価値が生まれる。だから、作品をたくさん作らなくてはならないのだ。
と、まあ、こんな思考回路を少ない言葉で時系列もぐちゃぐちゃのまま、実直で誠実な件の人に話したのだから、そりゃあ死にたいんだと心配されて、あまりにも真っ直ぐ俺の心じゃない方向に向かった言葉が返ってくるのも当然だった。
そもそも俺は死ぬ、とか、生きる、とかそういう類の話がとことん嫌いだ。
だって本当に死にてえやつに勝てないからだ。失礼だからじゃない。勝てないからだ。
そんな性格上、真っ直ぐと本心から出ているであろう
「生きてちゃダメなんてことは、絶対にない」
なんていう優しい言葉がどうしようもなく歯痒くて、返事がまあ思いつかないままだ。ままだけど、まあありがとうと心配はしなくて良いですよと、念じてみよう。その念を作品にすれば、届いてほしいと思ってクレカみたいなスマートで賞を取るような作品が作れるのかな。
いやまあこの文を書いて、返事をした気になって、小銭の夢でタバコを買いに出るんだろうな。作品は余った金で作ろうと思う。