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【鏡像崇拝:レポ】悪魔に嗤われた日

2ndLIVE【鏡像崇拝】 お疲れさまでした!
今回は個人的な波乱がありながらも、むしろ思い出深いものになったライブ遠征でした。
その点も含め、順々に書いていこうかと思います。

前置き

まずは、謝罪……いえ、感謝の言葉から始めましょうか。

と言いますのも、ライブ前日にTwitter(現:X)にて大騒ぎしていた件です。
まあね、台風のね!サンサンの奴がね!!
搭乗予約をしていた「夜行バス4便」諸共を運休で消し飛ばしたためです。
その節は大変(主にTLを)お騒がせいたしました
結果としては、こうやってレポが書けているように、無事ライブを拝聴することができました。

ご協力くださった方、見守ってくださった方、なにより途中から送ってくださったMA2Riさん。ありがとうございました。

より詳しくは本文冒頭に書いていきましょうか。
それではどうぞ。



前日譚:アラシノヨルガ、アケヌレバ

1.最終遠征防衛ライン『Midnight-bus』崩壊

08/30/19:00──そこから全てが狂い始めた。

22:10発の夜行バス、台風という断崖絶壁に掛かった綱渡りのロープが、不意に切られたのだ。
荷物をまとめ終え家を出る瞬間、まさに一瞬の出来事。
しかし、ロープはまだ残されていた。
『22:00、23:10、23:20』それら三本のロープは確かに対岸に結ばれ、確かに東京へ向かうべき人を渡さんと繋がっていた。

そう思っていたのも束の間

19:50 ── 三本のロープはあっけなく千切り落とされる。
私は既に電車の中。車両が目指すは大阪駅。ああ、もう10分もすれば到着する。スクリーンを叩く指は速くなる。
刺すように、刺すように、目と指で刺すように。
祈り拝むように、液晶のガラスをひたすらになぞる。
駅に着いてからも、ひたすらに。

……あっけない。なんてあっけない。もはやバスなんてありはしない。なんてたって、バスターミナルのカウンターには

『全便運休』の赤札が貼ってあったのだから。

今朝の自分を殴りたくなった。なんて素晴らしく愚かなのだろう。

雨が降っていた。それは天候だけでなく心情の中でもだ。
雨は好きだ。でも、好きだけでは構成できない部分がある。そこに牙を剥かれた。
ほどなくして、私の心は水底へと沈む。

自然と足が赴いたのは、もはや行きつけとなっていた蕎麦屋。もとより遠征前には入るつもりであったが、そんな気分でもなかったはずなのだ。
それでも頼んだものはもちろん、すだちそば。こんな時だろうと美味しいものは美味しい。
ガサツに掻き込むように、十割の麺を啜り、噛み千切った。
おあなくも習性のように撮る。なるほど……これが"呪い"なのだろう。

でも、きっとこの時に決心できたのだ。「這ってでも東京へ行く」と。健康でないと意味がないと、内心で分かっていてもなお。

食は人に"活力"を取り戻させる効果がある。日常的な行いだからか、すだちそばが美味しかったからか、少し時間を置いたからか……それは分からない。

勘定を手早く済ませた私の足取りは軽く、もはや止まることない靴音は、ただひたすらに……大阪駅の"初めて見る番線のホーム"へと、響いていた。


2.突貫『東海・中央最終戦線』

恐らく冷静ではなかっただろう。熱暴走を起こしそうな思考回路を繋ぎ合わせるかのように、何度も何度も経路を確認していた。

足早に乗り込んだ電車で、まずは米原駅へと向かう。
端末に映し出された路線案内には見慣れない駅名。
今日中に名古屋から中津川、せめて瑞浪までは行き、夜明けより塩尻から東京に向かわんと、いっそ夜を徒で歩くつもりでもいた。
Twitterを開けば心配と武運を祈る声。それだけでも心強いものだ。

充電は削られてゆく。それでも、少しでも遅刻を抑えるために、特急券やらなにやら、使えるものを片っ端から引きずり出した。
特急『かがやき』は満席だ。
『しなの』もだ。
残っていたのは『あずさ』のみ。
塩尻駅にさえ間に合えばと、これに賭けるより他になかった。
いっそただの快速でも、ライブに間に合いはするのだから。

かくして電車に揺られている中、天候のように荒れた呟きを見返せば、一通の返信が届いていた。
今いる駅名と同じように、返信者は見慣れぬ名前。
しかしこれが、この後の全てを変えることとなる。

「名古屋駅からなら拾えますよ」

"止まるバスあれば、拾うらぷりすあり"
願ってもない僥倖だった。すぐさま返信を送り約束を取り付ける。
時間は22:30、葛藤は1時間半にも及んでいたらしい。
ここからの記憶はそう多くない。気が緩んだのか、ずっと同じ車内で揺られていたからか……ただ無心に、椅子に身を預け伸びていたのだろう。

Twitterへ、旅程の無事を報告したことだけは覚えている。


3.終着『暁光旅程』

0:00 ── 私は名古屋に降り立っていた。思い返せばこれで2度目の訪問になるのだ。
1年前の『SPLASH the TONE』名古屋公演……状況こそ180度違えど、同じLa prièreに関係することでの訪問となる。
あの夏がとても懐かしい……それと同じくらい、今の状況が皮肉にも思えた。

約束の時間は04:00。
駅周辺の地理はあったため、漫画喫茶で休憩をとり、寝ては覚めてを繰り返し、その時を待つ。
携帯の充電が100に近づく頃、まどろんでいた意識は徐々に覚醒し、口への水分と刺激を求めて足を操っていた。
4時間前の蛮勇たる足取りが嘘のような、海月にも似たゆらり漂よう足取りで。
辿り着いたジュースサーバーから出てきたコーヒー牛乳は、人生のどのコーヒー牛乳よりも甘い味がした。

……時は経過し04:00。
名古屋駅にて合流を果たしたのは

『MA2Ri.』さん。[youtube]

MA2Ri 氏
らぷりすであり、作曲もされている音楽家の方。ギターが特徴的な作風。
FAKE IDOLやハッピーエンフォーサーなどのGuitar Coverも上げられている。
個人的に好きな曲は『透明になった僕は。』
『ギフテッド』という曲のイラストはらぷりす諸兄なら、どこかで見た覚えのあるイラストレーターさんであろう。

その後も、おひとり同乗者を連れ、東京へと出発。
失礼ながら睡魔に襲われ半分ほど記憶が飛んでしまっているが、車窓から見た、日が昇る前の──暁の空に聴いた『來人具惨』は強く耳に残っている。

途中、台風の影響で雨に降られることもあったが、特に大きな遅れが起きることもなく、10:00過ぎには渋谷へと到着。
大変だったながらも、稀有な体験と良縁に恵まれ……正直、無茶な遠征を強いられていたのが、少し楽しくもあったのかと……思い返せば、ひとりでに感じていた。

ともあれ無事に着いたのだから
前日譚はこれにておしまい。

……到着した途端、見るや否やらぷりす達からほぼ一斉に声をかけられたのは、流石に笑ってしまったが。
まあ、それもそうか

「これからも彼岸花を身につけよう」






………………………ん?

「ナンスカ、コレ」(’ω’)
「 茶 番 」(^ω^)

というわけで茶番でした

が、本当に皆さまの協力の下、無事に辿り着けたので、大変ありがたいなと思った次第です。
誠にありがとうございました
ここからは"普通の文章(?)"で書こうと思います。



ライブまでの幕間

そんなこんなで物販整理券を手に入れてからは、横の公園広場でらぷりす交流会。
上に書いたように到着しだい囲まれたり、お初の人と挨拶をしたりと、もはやいつもの光景になってましたね。
なくらげ&なくぬいがタワーを作って記念撮影していたり、色紙に寄せ書き会をしていたり、TRPG回った人と卓の話したり、ライブ花の話したり、ガチャの結果報告会したり、CoCのPCのRPで会話したり、セトリ予想したり、次の卓の話したり……

うん、TRPG界隈に本格的に足突っ込んだので、話題の4割ほどがTRPG関連になったのよ。オモロ
でも、始めた事で出来た縁もあれば、今まで話題がはずみにくかった人とも、共通の話題の種が花を咲かせたのはとても良いことでした。
同じ界隈の方、これからも卓に狂おうね

とまあ、らぷりすで集まりつつも物販を乗り越えCD『鏡像崇拝』を入手!
ネタバレ防止のアナウンスと対策があったのは嬉しかったなぁ。
……あ、案の定ガチャは当たりませんでした

そのままの流れでバーガーショップにお昼ご飯へ。
……お昼ご飯を食べるとね、人間って眠くなるんですよ。しかもお外は暑いので、空調が効いてると、余計にね。半分ほど寝てましたね。まあ、おかげでライブは元気に楽しめましたが。

ちなみに今回は楽屋花の方で手伝いしておりました。
"鏡"をテーマとした鏡像崇拝で、"青い花"をお送りできたのが個人的な嬉しいところです。
青い花というのは自然界では少ないみたいで、近年の人工的なものが出来るまでは、観賞用でも少なかったようですね。
自然界では『鏡面』は多くあれど(金属など)、『鏡』という用途で使用するのは人間くらいでしょう。そのため、鏡は人のための人工物です。
その人のための人工物という点が、青い花と鏡で共通点のように感じられて感慨深かったです。

というわけで、今回の幕間は少なめに、ライブ本番のレポです。



ライブ本編

一部MCの内容については、後々の考察パートで触れております。


【Defective】

おおー、Defectiveですかー!衣装はいつもの概念ちゃんね。となると、KVの衣装は後半かー。
うんうん、確かにそうね。Defectiveって曲は『作詞:棗いつき』による「藍月なくるが「歪な幻(オタクども)」にすがtt……バターン!!

( ゚Д゚)……?

( ゚Д゚)………?

( ゚Д゚)…………ッスーーーー………………?

ガチ硬直 24時

いやだってさ……………
ライブ始まった瞬間に主役が倒れる?そんなことある?
これがPCモニターの向こうとか、3Dモデルライブならさ
「演出やってらー(笑)」で笑ってられるけどさ……?
どう足掻いてもリアルじゃないですか、目の前ですもの。
否定できませんもの。
しかも倒れたのが演出なのか正直判別つかないし、曲は途切れるし、ライトアップされた舞台上部からはゴスロリを着た藍月なくるさんが現れるし
ゴスロリを着た藍月なくるさんが目の前に降りてきますし???
ゴスロリを着た藍月なくるさんなんですよね??
ゴスロリを着た藍月なくるさんですね……?
ゴスロリを着た藍月なくるさんですかぁ……
ゴスロリを着た藍月なくるさん…………

>>ゴスロリを着た藍月なくるさん!?!?!!?!?!?!!?<<

一瞬で目が覚めました。いや、通り越して絶句&硬直してました。
『藍月なくる Do 分身』『最推しが一番好きなタイプの衣装着てる』という、抗いようのない衝撃に襲われてたぶんペンラ振れてませんでした
たぶん、あんぐり口開けて ( ゚д゚) この顔でただただステージ上を観てました。
Defectiveもモチロン素晴らしい歌唱だったのは憶えてるのですが……歌声が良い・演出が良いとか……それだけで収め切れない迫力がありまして、それこそある種の神聖さを帯びた空気が漂ってました。

"鏡像崇拝"という宗教的な言葉にあやかり、またイデア的な話しにも掛けるなら、「Parousia」という言葉の現象が目の前で起きたんです。
(まあ降り立った『藍月なくる』はきっと悪魔だったのでしょうけど。でも、その神を偽る姿こそ最も悪魔らしく思えるほどに綺麗でした)

今にして思えば、KVの左右上部にあった鏡。
そこに映った概念の腕倒れた姿/腕、あれも伏線だったのでしょうかね……

そんなことよりゴスロリ藍月なくるさん可愛すぎるが??????



【Mirroring Mirage】

「アッハハハハッ!」

表題曲ですね。うーん、良い曲!良い歌ですね!ウンウン。
それどころではないですね!藍月なくるさん(???)が横で倒れてますけど!?歌うんですか!そうですか!ヒューーッ!

ライブには決まった形なんてありません。きっと。
だけどこれは、あまりにも異様でした、あの光景だけは。
"見に来たはずの演者さん"が突如倒れた横で、"見に来たはずの演者さん"が元気に歌ってるんですよねー!
HAHAHA!

……は???

まあ、それはさて置くとして……
……ライブ以降、ずっっっっと…!!
あのサビ前の笑い声が頭から離れないんですよ。
色々ありましたよ?相も変わらずなくるさんはゴスロリ着てて綺麗な声で歌ってますし、カタカナ歌詞のところの甘い声はさすがですし、元居た""誰か""はずっと横で倒れて動きませんし、この後どうなるかなんて展開全く読めませんし……
でもですね?
全く予想してなかった死角から襲われるような、愉悦に富んだ高い笑い声。
鏡像崇拝を経験してしまって以来『Mirroring Mirage』のどこを思い出そうとしても、まずあの笑い声が!アレだけがまず最初に響いてくるんですよ…!!

とても好きです、あの笑い方。



【Evil Bubble】

ここでEvil Bubbleは正直助かりました。いや、冗談抜きで本当に助かったんですよ。だって次々起こる出来事に脳をショートさせられていましたからね?共犯のくだりやら何やら……
それに『藍月なくると言えば Evil Bubble』なまでに再生数が最多じゃないですか。みんなが最も見ている/聴いている藍月なくる、というわけでもあるんです。
鏡像というものを「自分の中にある相手のイメージを投影したもの」とするなら、Evil Bubbleがみんなから一番いだかれている鏡像なのでは、とも思いましたね。

それはそれとしてEvil Bubble楽しい!ペンラ振りながら軽くヘドバンする!音がいい!ノリがいい!歌詞が、声が、テンポがいい!さすが最人気曲
あと、ペンラの色けっこう迷うよね。今回は無難に青にしたけど、白でも赤でもアルバムコンセプトやMVに合わせられて、悩みまくringしてしまう。

──好きに振れ、オタクたち。



【片翼のディザイア】

マ ジ で す か

ディザイア歌うの?そんなことあるんだ…………と驚愕しつつもテンション爆上げになったディザイア。なにせめっちゃ好きなもので、この曲。
ゴシックと聞いた時から(アプルフィリアから一曲はくるだろ)と思っており、【アプルフィリアの秘め事】かなー、と思ってたらまさかだった……

信頼のdeltaさんゴシックで、中二全開な歌詞も楽しくて……よくよく考えれば「甘美に誘う禁断の果実が 映し出した楽園へと」とか失楽園そのものじゃないか、絶対アプルフィリアよりこっちじゃん。
ともあれ興奮しきってましたしマジで聴けて良かった一曲。
(今回歌ったことで、バイト時代なくちゃの苦い思い出も払拭されたのだろうか…?)



【聖少女領域】

マ ジ で す か (再放送)

いや……なくるさん…あなた……その衣装でこれは、もう……その……


水銀燈様じゃないですか……!!


cover枠という選択肢はあったのに、なぜか予想からスルーしてたなー、と。Introが流れてきた瞬間にハッとした聖少女領域。
ラスサビの鎖ゾーンのアレンジが来るのを、ペンラ振りながら今か今かと聴いてて楽しかったですね~。ディザイアから聖少女領域はもうニッコニコです。
リズム的にも乗りやすいのでライブ向きでもあるんですね。

そんな聖少女領域coverも100万再生間近です。(09/08時点:93万再生 )
ほんっと良質なんだからこのcover。


そうこうしているとゲストのお二人
『棗いつきさん』と『nayutaさん』の登場です。
へぇ~、""双子人形""ですか~、ハハ~ン?

\\もう蒼星石と翠星石だろそれーー!!//
(無言の叫び)

聖少女領域の後になんてこと言うんですか。古のオタクを炙り出すつもりですか。ローゼン大好きだったので一瞬で楽しくなっちゃいましたよ。え?短パンとロングスカート?性格と衣装は逆だけどやっぱりあの双子じゃn(ry


【君よ】

ほっほ~う??名曲じゃないですか~~~!
『Gemini syndrome』はアルバムを通して、という印象があったので予想からは除外していたのですが……やっぱこれだね~!

星座/神話っていう世界の話と、3人の装いがピッタリ。
なにより荘厳な曲ですから、今回は舞台上に高低差があったため、かなり高い位置に立たれてるなくるさんに神聖さが加味されて、これまでの『君よ』で一番迫力がありましたね!
双子人形ふたりのコーラスハモリもいいのよ……



【禁断の愛と魔剣】

🗡️!ゴシックバッドエンドラプリ!🗡️

そうだよ!これだよ!この曲がないとバッドエンドには!!
しかもなんだったら過去一で最寄りで見れてるじゃんワタシ……
あの[劇団 La prière]の伝説の舞台がまた見れるのか…?ほとに…??

……あのね…… 最 っ 高 で す ね 。いやホント。
かれこれ魔剣って何回目だろう…おそらく3回目になるんですかね?
君よでも書きましたがね、舞台上に高低差が発生したの初めてなんですよ。
そんな舞台上で魔剣ですよ?しょっぱなから商人たむが魔剣を舞台の最上部で天に掲げるんですよ??なんだあの有無を言わさぬ荘厳さは……となるワケです。カッコヨ…
そしてぇ……なくちゃグサーーー! 

藍 月 な く る 、本 日 2 度 目 の 突 然 の 死

主役が死ぬライブなんてあるんですか??(デジャブ)
間近で見て驚いたんですが、刺されてから1ミリも動いてないんですよ、なくるさん。本当にピクリとも動いて見えない。すごい……

「なくちゃおはよ~、これで刺されたんだよ~」
「人の心とかないんか?」

草ァ!!



【Son macabre & Vacancy】

これは良いソロパート。macabreは棗いつき曲の中でも特に好きで、瞬間的な超高火力で""闇""のどん底を見せてくれるのは流石ですよね。
サビパートにある指揮者のような振りがかなり好き。思い返すとちょっとマネしたくなる()

そしてVacancy。大人しい(?)nayutaさんらしい、荒々しい音の中にも虚無・虚実を漂う曖昧な境界を見せてくれる、どこか虚しい曲。
実はnayutaさんのソロで歌ってるところ見るのが久々だったので、なかなか新鮮で楽しめましたね。

で、このお二人の曲をまとめて書いたのは意味がありまして。
ラプリ3人のそれぞれのバッドエンドの見せ方の違いが見えていいなと思った次第です。(バッドエンドは喩えっぽいので闇の見せ方?ですかね)

論理的かつ恣意的に心理を詰める『藍月なくる』
抗いようのないラスボスのような、力の『棗いつき』
日常や、身近な重くのしかかる心情を乗せてくる『nayuta』

三者三様、見せ方の違いが聴けて面白かったですね。
それと単純に、ゲストのソロパートが入るライブって思ったより好きかもなんですよね。
もちろんライブの主役は「藍月なくる」ですが、ライブに合った曲をゲストさんが添えてくれるのもありますし、『ステージを一時的に貸して、個人の曲を歌えることがゲスト出演のお礼』みたいでイイなぁ、と。
こちらからしても、"知らない曲と出会える可能性"もありますしね。
まあ「なくちゃが聴きたかったから!」が一番の理由なんだろうなぁ(

拗ねたむと、従順なゆたさんと、お茶会に行くなくちゃマスター茶番も面白かったですね。
アニメとかに居るギャグ要素込みな悪役3人組キャラ、滅茶苦茶好き。

なゆたむ双子人形のお二人もお疲れさまでした!

……ところで、その『双子人形さん』たちって……
なくるさんの理想──『鏡像』なのでしょうか…?



【ヘヴンリィ】

「毎回、屑みたいな世界だ」
キターー!!イェーーイ!フユウさん見てるー!?(アホなオタク)

(単純にダークなフユウさん曲&ヘヴンリィ推し勢なだけです、スミマセン)
いやでも凄いですねヘヴンリィ…!鏡像崇拝のコンセプトと相性がいいだけじゃなくて、ライブ映えするという点において、とても相性が良い。

\ヘヴンリィ!?/ \ヘヴンリィ!!/

ヘヴンリィのライブシーン思い返そうとするじゃないですか。
たまにライブ映像とかで「左右に思いっきり振り回してブレさせてる映像」あるじゃないですか?ハイテンションに
脳内記憶が勝手にアレに処理されてて、前の方に居たのにホール熱狂してる脳内映像が出力されてくるんですよね。確かにそれだけの熱量があった。
またライブで絶対に聴きたい…!頬に手当ててる「ヘヴンリィ?」好き

そういえばヘヴンリィって……なくるさんがフユウさんに
「藍月なくるをイメージして作ってください」と依頼した結果
「ネットで担がれている『藍月なくるイメージ』」を表現して、作曲作詞され完成した曲だったはずなんですよね。

"鏡像崇拝"ですねー



【Fragile Utopia】

-BAD END 確 定 演 出-

なんか嬉しいですね…!Fragile Utopiaがセトリに入ってるの。
なんてたってバッドエンドに急転直下真っ逆さま一方通行救済ナシ曲ですから。マジでそのレベルなんですよ、これ。MVとかよく見るとわかりやすいと思います。

ライブで聴くFragile Utopia……いいね…毒々しいね…!
まず、この曲にペンラは必須です。色は紫か白がオススメです。
ラスサビにある「もう戻れない速度で うねり進む大行進」のところ、
あそこで次第にペンラを握る力を上げて、グッ…!グッ…!って沈みこむように振りたくなるんです。(もちろん周囲にはお気をつけて)

今回はバッドエンドをもたらす・演じるなくるさんだったので、Fragile Utopiaの被害者側に回ることはなかったですが。
あの曲って歌手や活動者、アイドルの方を相手にライブで聴くってね……罪深くてバッドエンドな気がしますね、大変。

煌々と燃える松明のシーンで、ペンラを真っ赤に変えても良かったか…?あ、次そうしよ。



【唾と蜜】

▂▅▇█▒░(’ω’)░▒█▇▅▂ うわ……あああ…ぁぁ…ッッ!!!

だいたいの歌をプラスの感情、もしくはフラットに聴ける私なのですが……
実は唾と蜜だけは大の苦手なんですよ。
聴き苦しいとかじゃないんです……なんならサビの歌いとかめっちゃ好きだったりしますし、曲の展開も好きなんです。
内容がね……!親子/育児に関係してそうな歌詞と、それを取り巻くドロッとした空気感がね…!?すっごい苦手なんですよ……

なので今回のライブで一番じっくりと【唾と蜜】を聴いたかもしれません。
それを演出するダンサーお二人の演劇ともいえる動きもね…なくるさんのロングトーンとともに魅了されて、世界観に没入していたかもしれません。だから少しフラットに聴けたのかも。

唾と蜜は親子/育児と上では書きましたが、今回の公演を観た後では
「ヒモ男と養う彼女」みたいな新たな観点も得られたかもしれません。
ダンサーお二人の動きから、親子という関係どころではない、どこか艶めかしい、生々しいものを感じたので。
オトナでビターで退廃的世界観がありましたね……やはりゾクッと来る、この曲は。



【ねぇ、ダーリン?】

ね、ダ?!!!!
リンカネーションから来ましたね。コレが聴きたかったはあります…!
「モニター越しのいろんな愛の形」から始まる曲を鏡像で歌われるなんて…いやはや、な方ですね。

ペンラを振るのが楽しかった曲。ノリノリなのでライブ映えするのは当然、ダンサーさんとの濃厚な絡み……それを煽るように持て囃すのが楽しいのなんの……振り付けというか…絡み凄かったな……

ね、ダ?は先行配信のショートverを聴いた時からお気に入りの曲かつ、考えるよりも感じるタイプの楽しめる曲だったので、ライブで聴いてる時はフラットに楽しめましたね。
いや、良い曲よね……この藍月なくる解釈、好きです。



【オッドアイ・リリィ】

き  た  わ  ね

これをライブで観れたのありがたかったですね…!そう、観れたの…!!
アルバム『ミシュメリア』の中でも、MVがない2曲の片方。なので視覚的情報がない分、考察がフワフワしていた一曲。いろんな解釈がありました。

……が!!遂に確定いたしました。
思い返してみればわかりやすいんですがね、やはり『人形視点の歌』だったのだな、と。
それを確定させてくれたのがダンサーさんの振りですね。つり人形が両手を斜めに上げて、足をカタカタとタップさせながら横に動く。
この身振りを見た瞬間に(人形だ…!!)となりました。コレがわかった途端に、【オッドアイ・リリィの世界】に没入して聴けたので、観れてよかった演目の一つです!
(最後に持ってる花を、テディベアにブスーッ!って刺すのかちょっと期待してました。サヨウナラ、って…)

ちなみにペンライトは青と赤で振ってました。(譲れないこだわり)
『オッドアイ』ですからね。



【3曲続けて】少し趣向を変えて

ここのオッドアイ・リリィ以降のセトリ──「Lucid ~ mirror」の3曲──についてなのですが、
「鏡像」という言葉と近しいながらも、三者三様で違う「鏡」を見せてくれる曲だと思っています。
なので一気に「3曲を聴いている時に感じた事」を書いていこうと思います。
(途中のMCの話は『ガラスアゲハ』と〈考察パート〉にて)


まずは『mirror』🪞
鏡そのものなので一番わかりやすいでしょう。その分、一番"鋭さ"を宿しています。
鏡というものは自分の姿を映します。そして、その鏡像は実像よりも優れて見えるらしいです。
ならそれは自分と言えるのでしょうか?
自分と近しい優れた誰か、なのではないでしょうか?
自分と似ているのに、自分に持ちえないものを持っている。
鏡像を覗くように、それを認識してしまった時……どれほどの優劣に苛まれるか……『鏡』の持つ恐ろしさ、人の心にある深い傷を、的確に浮かび上がらせてくる曲です。


次に『ガラスアゲハ』🦋
ガラスは透き通っていながらも、光を反射し鏡像を浮かび上がらせる、鏡の一種だと思っています。
不思議ですよね。透けて向こう側が見えているのに、目の前には自分自身が映りこんでいるんですから。なんだか、自分の内面を見透かされているようにも思えます。

さてここで、『ガラスアゲハ』の前にあったMCに『標本』の話がありました。この問答、みなさんはどのように考え、答えたでしょうか。
「標本にしてほしいから」「標本にされたくないから」手を挙げた、もしくは挙げなかったでしょうか?
「愛する人が標本にしたいならされる」と手を挙げたでしょうか?

でも、それは本当に自分の考えだったでしょうか。
その時、「あなたを標本にしようとしている誰か」の鏡像に、思考を操られていなかったでしょうか。

あなたを標本にしようとしている人は
『藍月なくるの姿』をしていませんでしたか?


最後に『Lucid Hullcination』💻
この曲についてはMVの個人的な考察を交えることになりますので、「どう見えたか」だけを簡潔に。

Lucid に出てくる鏡は『液晶モニター』であり、鏡像とは『Ai月なくる(MVの概念ちゃん)』を指していると考えております。
もっと言うと、「PCの画面という鏡面を覗き込んで、AIの女の子という鏡像を見ている」状況です。
今回【鏡像崇拝】という場で歌ってもらえたこと、KVの衣装という似た装いで歌ってもらえたことで、クルクル回るラスサビ前が見えたことで、自分の中でLucidの解像度が大幅に上がりました。
なにより好きすぎる一曲なので、本当に聴けて良かった一曲。
(ちなみに『液晶モニター』と表現したのは「黄色水仙(ナルシスの花))」になぞらえ、液という「水分のある言葉」を使いたかった、ささやかなこだわり。水面を覗き込むようにね)
(そのうちLucidの独自解釈な文章をネットの湖に流すかもしれません)


【Monodrate】

当ライブの『表のエンディング』と思っているコチラ。
ノベルゲームなどにおいて、ルートごとに違うエンディング曲が流れる演出があるじゃないですか?これはそれです。

と言いますのも、Monodrateは本来、Oxydlateに対する後悔と懺悔の歌(アンサーソング)と解釈しています。
しかし、鏡像崇拝のまとめにこの曲を聴かされることは、別の懺悔を含ませることになると思います。
それは……

ライブ開始と同時に倒れた、藍月なくるだった者に対してです。

歌詞の仔細は省きますが、Monodrateには懺悔や悼みという言葉と同時に、"成り代わった"片方の存在が描写されています。
ここまでのライブの展開に対して、私たちは
何を間違えてしまい、誰を恨めばよくて、つぶやく片方は何を思うのでしょうか。
「知らなきゃよかった」という言葉には
「知ラヌガ仏」という、なんとも素敵な言葉が付いて回るのでしょう。

そんな、ここまでの展開と流れを汲んで、座ったままに聴き入るMonodrateは、鎮魂歌のように浸透してくる、しっとりとした暗い海の空気がありました。
成り変わった存在が歌う鎮魂歌……まさにMonodrate……

なくぬい、オマエなんて歌を歌ってたんだ………



【テアトル・エンドロール】

さて、本当に最後の曲……真のエンディングですね。
【テアトル・エンドロール】そのものが終盤に来るのは予想していましたが、よもやアレンジが飛んでくるとは……しかも、なんと激しい曲調に発展して……

このアレンジ、グシミヤギさんの𝑫𝒂𝒓𝒌 𝑬𝒍𝒆𝒄𝒕𝒓𝒐 𝑴𝒖𝒔𝒊𝒄アレンジがめっちゃよい…!元の静けさは無くなりましたが、いっそ別の曲と考えるとかなり好きです。
そして、これを聴いた時に感じたのは「過去の藍月なくる」から「の藍月なくる」への遷移です。MCでも言っておられたので当然ではありますが。
原曲のテアトルは「辛い部分を削ぎ落そう、軽くしよう」と感じる曲なのですが、アレンジは「辛さも抱え込んだうえで、演じてみせる」ような曲に感じました。
ですがね?テアトル(アレンジ)のラストコーラスは「映るものも もうどこにも 存在しない」と歌ってるんですね。
ここ、かなーーりエグみを持っているな、と……

だって鏡像を見せられたライブで、最後に本音を語るようなテアトル・エンドロールで、やはり本心を語るような歌詞は多くを変えずに歌われた……のに!
最後の最後で『鏡』という存在を叩き割り、あまつさえラストシーンでは

【空の玉座】

恐ろしいわ、藍月なくるさん……!
(大丈夫です、誉め言葉です。凄い演出でした本当に)

……演出上では恐ろしいのですが、アンコール時のMCと、この歌をセトリに起用した、また歌詞の改変をそこまで行っていないことに、心情の対比が見えるんですよね。少々言葉で表しづらいのですが。

なにかこう……『原曲テアトル・エンドロールを歌う藍月なくる』と『アレンジ版テアトル・エンドロールを歌う藍月なくる』は、
心の中で同居している、本性と理想の二つある~!が顕著に見えてる箇所だと思うんです。でもきっと、どっちも本心──『藍月なくるを構成するもの』ではある、ということなのかと……難しい。


ともかく……ライブが終わり、私の中に残ったのはスッキリした気持ちと、得体のしれないワクワクした感情でした。(!?)
自分自身でもこれは意外だったのですがね
この鏡像崇拝って、歌のライブなのに考えさせられ、演劇でもないのに虚実や演技に曝され、カウンセリングでもないのに心を覗かれたような……
大規模な実験のようにも思えたんですよね。その被験者が私たちファン。
さしずめ【KP:藍月なくる】による大規模TRPG集会と言っても過言では…………いやさすがに過言か?
(でもちょっと鏡像を観た後に、ふっと記憶に出たシナリオがありまして、『君を土に埋める日』っていう、なくちゃ通過済み&SKP大活躍なものがあるんですが(ry

ともかく、ライブだけどライブを超えた静のアトラクションだったなと、ホックホクのお肌ツッヤツヤで会場を後にできました。

楽しかった~…また鏡像みたい……でもあれ一回きりだからこそなんだよなぁ……やはり鏡像崇拝はTRPG……?(卓狂い)

そういえば、ライブお土産(ノベルティ)が鏡と気付いたのは家に帰ってからでした
今では、ウチのなくぬいちゃんに守護ってもらっております。


という感情面での感想はここまで。
ここからは考えすぎなほどに考察をしてますので、生温かい目で「アッハハハハッ!」と嗤いながらお読みください。




鏡像崇拝と謂うモノ

ここからは考察紛いの書き散らしになります。
主にライブの主題である【鏡像】や、MCでお話しされていた【蝶】について、個人的に感じたことを書いていきたいと思います。

『鏡像崇拝』面白いライブでしたね。
私としてはバッドエンドながらも、かなりスッキリとした結末が見れたと思っております。
歌もですが、ライブを通してのコンセプト?流れ?にすごく惹かれました。


🪞開始1曲で作り出された「鏡像崇拝」の世界

今回のライブで一番のキモになったのは、何と言ってもDefectiveで倒れた【藍月なくるだった者】でしょう。あのワンシーンだけで、このライブの半分を語れるといっても過言ではありません。


・"藍月なくるだった者"は誰だったのか
サビにさえ辿り着くことなく退場した"誰か"。メタ的に言えば、あれはきっと演者さんだったのでしょう。
しかし、ライブの世界においては、あれこそが『本当の藍月なくるであった』と私は思います。
みなさんが一番多く目にしている【藍月なくる】は一体どんな姿でしょうか?恐らくはこの姿↓、あるいは「旧概念」と呼ばれる姿でしょう。

公式サイト様よりお借りしております。

なればやはり、倒れたあの人こそが『藍月なくる』なのではないでしょうか。

でも現実は違いました。私たちはすぐさま、舞台の上部から降りてきた
『ゴシックドレスを着た人物』を「藍月なくるである」と讃え始めました。
無論それには確かな理由があります。
1つは「これがライブだから、そういう演出だ」と思い込んだから。
もう一つは、誰にも代え難い「歌声」を持っていたからです。これも大きな理由です。
でも…たったそれだけなんです。

ほんの数秒前まで「藍月なくるであった人」を『藍月なくるの姿をした誰か』だなんて挿げ替え、目の前に現れた「新たな誰か」を『藍月なくる』として崇め始めました。
恐らくはコレこそが、私たちがこのライブで犯した大きな罪でしょう。

Mirroring Mirageで聞いた笑い声は、私たち観客に向けられた悪魔の嘲笑に他ならないのです。
("悪魔"とは『失楽園』という題材に沿った比喩的表現であり、貶めるような意図はございません。前以てご了承ください。)



・悪魔が囁いた「共犯」について
話は進み、新たに降り立ったゴシックドレスの悪魔『藍月なくる』は、私たちに共犯になるようにそそのかしてきます。そしてココこそが、このライブにおいて最大の分岐点でした。
私たちは悪魔にそそのかされるまま、『藍月なくるだった者』を処理することを了承します。「いいよ~!」だなんて気楽に。

この「共犯」ですが、とあるものに少々"似通っている演出"であると思えます。
それは"パラレルショットの昼の部"のこと。
おわかりの方には分かるでしょう。(ネタバレになるので詳細は省きます。また、"パクリ"だと揶揄する意図はありません。)
パラショ昼の部のストーリーに対し、なくるさんは以前
「『夏の残り香』が来た時の(選択を間違えてしまった…)みたいなバッドエンド感めっちゃ好きー」
と、配信か何かでおっしゃっていたと思います。
まさにバッドエンドなんです。私たちはここで既に術中にはまっていたわけです。

かくして『藍月なくるだった者』は隠蔽され、
舞台上には『藍月なくるになった者』が居るだけです。
私たちは納得し、突如倒れた人が、怪しげな業者に運ばれていくのを、自然な表情で、いっそ笑いながら見送っていました。

これはライブです。そういうコンセプトの下で行われている確かな催しです。
たとえ推しが倒れようとも、藍月なくるという存在が目の前で挿げ替わろうとも、「そういうライブだ」「藍月なくるはそういうことをする/できる/こういうのが好きだ」と、簡単に異常な選択を取れてしまいました。

藍月なくるがMCで「TRPGやマダミス」を言葉に出していましたが、まさにこの『共犯』というのは「HO:ハンドアウト(役名)」だったのでしょう。
私たちは『共犯という役』を、自ら握りに行ったのです。
そしてHOを盾に、悪魔に加担し、凶行に及んだわけです。

バッドエンドを味わう点において何が重要か……
個人的な見解では、それは『当事者である』ということです。
「外側から見るバッドエンド」と「自らが経験するバッドエンド」では、苦みも重みも何十倍にも変わってきます。『選択』というものの重さを味わうか否かなのです。
ライブでの主な当事者は「アイドル/歌手」であることは当然です。ファン、観客はその場に居ながらにして、風景や背景と変わりません。
そんな場外に居るはずの観客を、失楽園の中まで引き摺り下ろし、
"自我を持たせる"このやり方は
『皆にとびっきりのバッドエンドを見せる』手段として、これ以上ないものだったのではないかと思います。



・結果、どうなった?
『藍月なくる』が退場し『藍月なくる』が舞台に降り立った。
何かが変わったでしょうか?いいえ、何も変わっていません。
それは、「目の前にいるのが本物かどうかわからない」ということも含めて、全く以て最初から、たったの1つたりとも事実は変わっていないのです。

そのままライブは進みます。
何事もなく。
友人であったなゆたむの二人も出てきます。
悪魔はゴシックドレスを脱ぎ捨て、天使のように真っ白な衣装で再度降り立ちます。
まるで「悪魔の方が天使面」をしているように

──悪魔「どうかしてる笑えるよな」なんて嗤いながら。

結局私たちは最後まで『藍月なくる』の掌の上で踊っていました。
最期にはライブという楽園は姿を失います。

たった一つの、『空の玉座』のみを遺して

『藍月なくるだった者』は私たちが葬り去りました。
『藍月なくるになった者』は軽やかに立ち去りました。
『藍月なくるの楽園』は主を失い幕を閉じました。
後に残ったのは
『記憶の中の鏡像だけです。
空の玉座にはきっと、鏡像が座るのでしょう。

あそこで誰が歌っていたのか、どれが本当だったのか、なにが本当の言葉だったのか、何を観たのか聴いたのか感じたのか突き付けられたのか……
眼球というガラスを通して映った鏡像も、いずれ記憶からも朽ち果てます。

今もキービジュアルの鏡の向こうで『藍月なくる』は儚く目を伏せ、倒れ、腕を力なく伸ばしています。
そして、鏡のこちら側で『悪魔』は目を輝かせリンゴを貪っています。

いずれにせよ、私たちに残ったものは
『選択を間違えた結果生まれた 至上のBAD END』
という記憶のみなのです。

それでもこれらは確かに起きた事実、
『一切の"FAKE"が含まれていない』ライブでした。



🪞悪魔が投げかけた言葉たち

かくして『何者か』に翻弄された私たちですが、結局あれらは全て、演じただけの言葉だったのでしょうか?
蝶の話も、「好きなように消費してね」という言葉も、藍月なくるの言葉であったことは確かでしょう。
そんな言葉への個人的な解釈と、自己満足の回答編です。


・標本に成るということ
なくるさんが──特に3Dモデルに関して──よく話していた内容に「老いることのない体が欲しかった」というものがあります。
蝶の標本の話はこれに通ずるものがあり、「不変となる」ことへの執着とも思える願望が見えます。
しかし私の解釈も含め、もう一つ思ったことがあります。

それは「誰かにとっての"最も美しいまま"を観測されて続けいたい」という願いがあるのではないか、ということです。これは本人も含めて。

以下は個人的な解釈を含めますが、
なくるさんが標本の喩え話をする時に「"愛する人"の元で」と言っていました。この"愛する人"とは異性愛/恋愛などではなく、『信頼できる人』と言い換えられるのではと思います。
「信頼している人が思う、最も美しい姿で永久に保存されるなら、それは私にとっての幸福だ」ということです。
しかしここには「責任をもってずっと見続けてね?」という願いが付随するとも思えます。
願い……?いえ、なくるさん風に言うなら『呪い』ですね。

・ちなみに私の答えは「標本にされたい」です。
例え歪な姿でぐしゃぐしゃにされ、失敗の果てに捨てられたとしても、「標本にしようとした」事実がどこかにあれば、私は満足するだろうからです。それこそ、私は"呪われる"ことには好意的ですが、誰かを"呪う側"には立てそうにないので、いっそ「失敗してほしい」とまで思っています。
仮にその失敗が後にどこかで生きれば、何も思い残すことはないでしょう。
・逆に蝶が飛んできた場合。何もせず数日を蝶と過ごし、それでもどこへも行かないなら「標本にする」のだと思います。ただ、その「美しい死に様」には、なかなかに嫉妬してしまうでしょうね。
徒花だろうと、死花……死した後の姿は美しくありたいですからね。

また蝶の「生まれ変わり」や「死」との関係については
「蛹で一度体がぐちゃぐちゃに混ざり、成体へと生まれ変わる」という生態(変態)からくる話と、
『プシューケー』という古代ギリシア語が関係しています。
もしよかったら調べてみてね。


・消費するということ
この『消費』という関係性、"ファンとアイドル"という関係性もあって苛烈に聞こえますが、とてもいい話だと思っているんですよね。

この『消費』というものは『鏡像(イメージ)の具現化』と思っています。

そも対人関係に置いて、一切の先入観を持たずに人と接することなんて不可能です。ましてや、素顔も普段の姿も知らない人なんかには、なおさら。
ならどうするか……表に出ている相手の容姿などの情報を拾い集め『理想の姿』を脳内に描き出すところから始まります。
この時、情報の拾い方次第では、話してみて(思ってたのと違う…?)とギャップを感じ、イメージが消費されます。
付き合い方次第ではイメージが壊されたり、むしろ補強されたりするでしょう。
これは通常の対人関係で起こりうることです。
そして、コミュニケーションを行う上で重要なことだと考えてます。

では『藍月なくる』の場合はどうなるか。
歌手であり、食べることが好きで、クール担当で、清楚な姿で、でも"ほよ"で、TRPGでは色々なRPをし、標本の様な珍しい話もし、なぐるさんとも呼ばれ、かわいい歌からFAKE IDOLのようなグロテスクとも言える表現もする……
でも、本性はどれ?
ファンやリスナーは各々の『理想の藍月なくる』を思い描き吸い寄せられます。そしてきっと、ギャップを感じます
今回のライブ感想で上がる数多の声も「ギャップ」からくるものが多いのではないでしょうか。
結果、離れていったり、むしろそこに惹かれ留まる人も多くいます
……が、

通常の対人関係と違い、アイドルや配信者には『理想の姿の押し付け』が発生します。
なら、それに対して藍月なくるは何と言ったか?
「それぞれの思うように消費して」と、受容しました。

はっきり言って異常事態です。たった一つの存在に、大量の理想を背負えるようにはできてないはずですから。
ここで思ったんです(藍月なくるの根源ってなんだ?)と。
いくら考えてもわかりませんが、どんなイメージを押し付けても『理想の姿』として消費させてくれそうな雰囲気を感じた時
(理想という鏡をのぞき込んでいる)とも思ってしまいました。

少々話がそれましたが、
藍月なくるは、消費されること──「理想を押し付けられること」を良しとすると言いました。
またこれは、私たちファンを『藍月なくるを構成するものとして利用する』とも思っています。これは『標本の呪い』にも通じていると。

消費し、消費され……押し付け合い、貪り合うような状況が望ましいというのも、少々グロテスクな話ですが
私はこれを聞いた時、「やさしさ」と「支配」というものを感じました。
理想を持つことへの赦しと、許容され優位に立たれたことによる被掌握。
でもこれは、どんな対人関係でも変わらないもの。

なかなか分かりやすく表現するのが難しい話ですね。
ただ、多くのファンが持つ理想を受け止めようとしている姿に、「誠実さ」さえを感じてしまった私は
やはり、藍月なくるという鏡像を崇拝しているのかもしれません。
でも少し気持ちが軽くなったのは確かな気持ちなのです。



🪞単純な感想

ここまでかなり強めな言葉で考察のようなものを書きましたが
この演目…もはや演劇と言っても良いほどの表現は、私の好みにとても刺さりました。考えさせられる事がとても多い。
ライブの形をとった心理テスト・思考実験・その疑似体験と言ってもいいと思います。

ライブ名の【鏡像崇拝】にもあるように、アイドルによるライブはある種の宗教のような「集団洗脳/集団幻覚」であると思う節があります。まさに熱狂ですね。同じ好みの人たちが集まり、たった一人の『素性の知らない誰か』を崇め奉るのですから。
それを逆手に取るような仕掛けの数々。こんなに攻めた内容の公演を普通のアイドルができるでしょうか。恐らく、やったところで失敗は目に見えています
ほとんど顔出しをせず、演じることを得意とし、あらゆる価値観を持ち合わせ、人間の内面の多くを歌い演じてきた『藍月なくる』という概念だからこそ、成り立った独創的なライブだったと言わざるを得ません。

バッドエンドを良しとするのも少し違うのかもしれませんが、私の中でこの『鏡像崇拝という強制バッドエンド』はとても心地よいものでした。

たった一回だけの楽しみ。名残惜しくも、また鏡像崇拝を通過したところで、あの体験は超えられないでしょう。
とても素晴らしいバッドエンドでした。


私は藍月なくるさんの持つ歌が好きですし、作品の世界観も、演技力も、トークやアドリブも、容姿も含めたデザインも、全創作者方の中で最も好きです。
そういう意味で、今回一番、理解/納得したことが
私は【『藍月なくる』というコンテンツ】が好きなんだろうな、と感じたことでした。
鏡像崇拝は、あまりにも深く『好意的な感情の部分』に刺さったんです。
バッドエンドなのに、オカシナ話ですね。





追記🪞鏡像というものの一端

余談かなと思い書くか迷ったのですが、書きたいなと思ったので少し。

ここで言う『鏡像』というのは、Monodrateの片割れの『悪魔なくるさん』のことです。
彼女は会場の思想によって成り立ち、実像と思われる『藍月なくる』から成り変わった『鏡像』でした。

ただ、考察の最後でも書いたように「このライブにFAKEは存在しない」と思っています。ゆえに、ライブ内で合った問答も、ダークな世界観も確かに『藍月なくるの本性の一端』だったということです。

ぶっちゃけ「だからなになにである」という内容はありません。
ただなんとなく、「全部が本当の藍月なくるで、それが全てではない」ということを書き記したかっただけです。いつもの姿も、今回の悪魔の嘯きも、やはりどちらも真なのかと。

ここが【テアトル・エンドロール】の感想で書きたかった、一番大きな部分かもしれません。

全ての理想を享受し体現するなら、いわゆる「解釈の一致と不一致」が交互に押し寄せることもあるわけです。
クラリムステラと鏡像崇拝にあった、澄んだ深海と歪な反射光の対比。
このギャップに打ちのめされることもあれば、その衝撃こそが魅力なのかと、無意識に納得させられることが多い。


書いてて思いましたが、ここの文はやはり蛇足かもしれません。
でも残しておこうと思います。

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