写真っていうのはよう
自粛期間中、良かったことがふたつある。
ひとつは料理をするようになったこと。
こんな時代だ、料理ぐらいできて当たり前。生きてくうえで「食」はもっとも重要なピース。そこをすべて他人任せとあってはサバイバル感があるとは到底言えまい。
料理始めて2ヶ月の奴がなにを偉そうに(笑)
もうひとつ良かったことは、時間ができたこともあって、ずっと懸案であったフィルムで撮影した過去写真のデータ化に着手できたこと。主に1990年代、写真を始めた頃のものである。まず取りかかったのはアメリカで撮影したもので、作業はまだ続いている。
懐かしい写真がごろごろ出てくる。
不思議とフィルムで撮影したものとデジタルで撮ったものに差がない。そこが俺の強み。
ただ写真は圧倒的に今のほうが上手い(笑)
場所やひとなど素材(被写体)が良いからなんとか成立しているが、勿体ない写真のなんと多いことか。今とは決定力がまったく違う。何本シュートしても外す、悪い時のサッカー日本代表の試合みたいな、ね。
昔は何気ない日常をアートにまで昇華できなかった。
ニューヨーク時代知り合った映画監督が言っていた。
「井賀をはじめ、カメラマンと付き合うことが多くなって気づいたことがある。映画監督の力量はデビュー作ですべて分かる。そいつがいかほどのものか。映画ってそういうもんなんだけど、写真て違うんだな。やればやるほどどんどん上手くなっていく。それが端から見ていて面白い。」
そうなのである。撮って確認、撮って確認しいの、トライアルアンドエラーを繰り返すことによってどんどん上手くなっていくメディア。それが写真。
時空を超えて20数年ぶりに立ち現れた写真群を見つめながら、しみじみとその言葉を思い出す今日この頃。
今の俺がニューヨーク在住だったなら、どれだけの傑作を残すことだろう、なんて思いながら。続く。
文中の言葉を発した山本政志監督(中央)。ご機嫌な一枚。1997@NY
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