忘却〜女性であったこと
恋人と死ぬまで一緒に暮らし、海外旅行を楽しみたいという夢を持つ男性。
未婚の妻の裏切りに結婚に臆病になった人。
確かに、裏切りは心に傷を残す。
しかし、そのことに拘っていたら、前には進めない。
新しい風景を観ることは出来ない。
何故、私はこの人と出会ったのだろう?
歳の離れた年下の男性と。
年齢は関係ないという男性と数年前にも出会った事がある。
その時の年の差は29歳。
彼も奥さんに浮気われた一人、外国人。
私は、その時と同じのまま、今も亡くなった夫に執着している。
「もう旦那さんはいない」「幸せに生きる事を望んでいると思います」
その言葉に私は、涙が止まらない。
彼は、「前に進もう」と言ってくれてるだけ。それは十分にわかってる。
私に尽くしてくれた亡夫に申し訳ないという思いなのか。
亡夫以上に愛情をくれる人はいないだろうと思っているのか。
結局、今回も「さよなら」
私が彼の中に【悲しみ】を見たように、彼もまた、私の中に【悲しみ】を見たのだろうと思う。
一人よりも二人でいれば、喜びも増える。
判っているのに、住み慣れた処を離れられなかった。
彼が最後にくれたメール。
①女性をして生き、人生を楽しみましょう。
②毎日ゴルフをして、好きな服を買って、美味しいものを食べれば、そんなに悲しくはならないよ。
③一緒にいてくれる男性を見つければ、あなたの悩みはすべて消えると思います。
「そうだね」
その男性に、「幸せになって欲しいという私の願い」は、
同じ思いで、私の元に言葉になって返ってきた様に思う。
12年前に置き去りにした「幸せになる」という事の放棄。
英語の文章は翻訳を何度かかけて、その真意がわかる。
当初は、翻訳した日本語で来たので、不審に思え、英文で欲しいと願い出た。
余りにも条件のいい話に、私は恐れをなした。
直感は心地よさを感じたのに、まだ私は亡夫と共に生きている。
9月に13回忌を終えたら、新しい人生を始めようと思ってはいた。
タイミングよく、亡夫が残してくれた預金も底をつく。
これが、亡夫の初めからの計画なのか?
夫は亡くなる前に私に言った。
「やりたい事だけやって、今以上に、毎日笑顔で暮らしてね。」っと。
その時、私は夫に訊いた「預金なくなったら、私どうしたらいいの」。
返事は、「その時は、こっちの世界に来たらいいよ」
その言葉を信じてこれまで生きて来た。
女性であることも忘れ、亡夫と一つであるかの様に生きて来た12年間。
その終止符の答えを出すのは、自分自身。
もう、「この世界を十分に楽しめた」と思っている事も確か。
亡夫と共に生きた時のギフトを言葉にして小さな本にしたいと思ってる。
出来れば、彼がくれた最後のプレゼント「地球巡礼の旅」の写真も残したい。
ありがとう!前に進む事を決意させくれた繊細な声の○○さん。
日本語が下手だからとTV電話に応うじてはくれなかったけど、
フランス育ちの日本人のあなたは多くの学びを私にくれました。
人生の終わりの日は、いつか判らないけど、
生まれた時の可愛さでこの人生を終えられたらと思います。