【悲劇】大川小学校はなぜ津波被害に遭ったのか?映画『生きる』が抉る現実と国家賠償請求の虚しさ
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大川小学校での津波被害の真相究明を望む者たちを描く映画『生きる』が映し出す、学校側の酷い対応と国家賠償請求の虚しさ
映画を観た上での私の基本的なスタンスと、震災当時大川小学校で起こっていた出来事の整理
非常に難しい問題が描かれている作品だ。私にとって本作は、「感情的な判断」と「理性的な判断」が少し食い違う状況が扱われているドキュメンタリー映画であり、色々なことを考えさせられてしまった。
まずは、映画を観た上での私のスタンスに触れておこうと思う。
恐らく誰もが共通して感じることだとは思うが、「大川小学校や教育委員会の事故後の対応はあまりに酷い」という点は明らかだろう。もちろん、映画は「被害者家族側」から描いているため、学校・教育委員会側の主張が十分盛り込まれているとは言えないかもしれない。見方を変えればまた違った印象になる可能性もあるだろう。しかしそうだとしても、映像に記録されている様々な言動から判断するなら、学校・教育委員会側の事故後の対応はあまりにお粗末で、ちょっと許容できるものではないと感じるはずだ。
さて、今私は「事故後の対応」についてその酷さに触れた。では、「事故前の対応」についてはどう捉えているのか。この点については、「ちょっと何とも言い難い」という感覚の方が強い。映画ではもちろん「学校の対応がマズかったから被害が大きくなったのだ」と追及する人たちの姿が描かれるし、裁判においても「画期的判決」と評される結論が出ていた。確かに、一面ではその通りだと思う。
「何かもっと出来たはず」と思いたい気持ちも分かるつもりだ。ただ、どうしても私は、「大川小学校の事故前の対応」については、「明らかに悪かった」とは判断し難い。その理由については、少し後で触れることにしよう。
これが、映画を観た上での私のスタンスである。以下の文章は、この前提で読んでほしいと思う。
それでは、東日本大震災当時、大川小学校で一体何が起こっていたのかについても簡単に触れておこう。私は、「大川小学校」という名前を耳にした記憶はあるし、あるいは「どこかの小学校で津波による甚大な被害があった」というニュースも何となく覚えている。しかし映画を観るまで、何が起こっていたのかについて具体的なことは何も知らなかった。
大川小学校では、74人の児童と10人の教職員が亡くなり、死亡と判断された74人の内、4人は未だに行方不明のままだ。東日本大震災における被害の中でも、特に注目を浴びるほどその被害者数が多かった痛ましい事故である。
作中では、どのような経緯でこのような甚大な津波被害がもたらされたのかについての説明もあった。その説明に関して、私が理解した限りのことにも触れておこう。
地震発生直後、児童や教職員はグラウンドに避難した。その後しばらく、迎えに来る親の対応をしていたのだが、やがて「津波が来る」という情報が入る。大川小学校は海から3.7km離れた場所にあり、それまでの常識であれば津波を警戒しなければならない地域ではなかった。実際に、東日本大震災以前に作成されたハザードマップでは、「津波による影響はない」という判断だったのだ。
しかし東日本大震災の際は、そんな大川小学校にも津波が押し寄せる可能性があるという連絡が入っていた。大川小学校は海抜1m27cmに位置しており、グラウンドにそのまま居続ければ津波に飲み込まれることは明らかだ。そこで教職員は、「グラウンドからどこへ避難するか」をその場で考える必要に迫られたのである。学校の裏には斜面をコンクリートで固められた林があり、普段から子どもたちはその斜面を登って遊んでいた。つまり、子どもたちにも登れる斜面だと認識されていたし、津波に飲まれる心配もないはずだ。ただ教職員は、裏の林を避難先とは考えなかった。斜面に雪が積もっていたことや、がけ崩れなどの恐れがゼロとは言えないなどの要素が考慮されたためだ。実際に避難先に選ばれたのは、「三角地帯」と呼んでいた新北上大橋付近の高台だった。そして、子どもたちをその高台へ誘導している最中に津波に巻き込まれてしまったのである。
地震発生から学校に津波が到着するまで51分。早い段階で「学校にも津波がやってくる」という情報を得ていたのだから、時間的余裕は十分あったはずだ。それなのに、どうしてこれほどまでの被害が生まれてしまったのか。
映画『生きる』は、その真相を究明しようとする者たちによる奮闘の記録である。
学校側の対応が、あまりにも酷い
映画では、被害者遺族と学校側の闘いを記録した最初期の映像も使われているのだが、映画の制作陣はもちろんそんな初期から密着していたわけではない。最初期の映像は、被害者遺族の1人である只野氏から提供されたものだ。200時間にも及ぶ闘いの記録がそこには収められていた。
只野氏は津波で娘を喪ったことで、大川小学校と「被害者遺族」という形で対峙することになったわけが、同時に彼は、「津波に飲み込まれながらも奇跡的に助かった4人の児童の内の1人」の父親でもある。息子が「奇跡の生還」と大きく取り上げられたこともあり、彼は元々「この問題からは逃れられない」と覚悟していたという。そのため、最初から被害者遺族の中心人物として関わり、映像記録も残していたというわけだ。
只野氏から提供された映像には、大川小学校・教育委員会の事故後の対応が様々に記録されていた。それらは、あまりにも酷い。私が観た上映回は、上映後にプロデューサーによるトークイベントがあり、その中で彼は「映画では使わなかったが、実際にはもっと酷いシーンもたくさんあったようだ」と語っていた。伝聞の形になっているのは、プロデューサー自身が200時間の映像をすべてチェックしたわけではなく、監督からそのように聞いたからである。
確かに、東日本大震災という甚大な天災の直後だったわけで、学校も市も対応に苦慮した部分はあると思う。しかしそうだとしても看過できない対応が散見された。教育委員会は関係者から聞き取ったメモを廃棄していたし、校長も、津波に巻き込まれながら唯一生き残った教師から震災の4日後に受け取ったメールを削除していたりと、信じがたい対応が見られたのだ。「何か隠そうとしているのでは?」と疑われても仕方ない対応だったと言っていいだろう。
また、こんな場面もあった。学校が開いた、遺族への説明会でのことだ。ある遺族が情報公開請求によって、大川小学校の避難訓練計画の情報を得た。それを踏まえて校長に、「避難訓練を実施したのですか?」と問うのだが、校長は、「2年連続避難訓練を行わず、さらに教育委員会には『行った』と虚偽の報告をした」と認めたのだ。これだけでもかなりの問題だと感じるが、まだ「嘘を付かずに誠実に答えている」と受け取れもするかもしれない。しかしその後、「何故虚偽の報告をしたのですか?」と聞かれると、「理由は特にありません」と答えたのである。これはなかなかナメた発言に感じられた。仮に本心がそうだったとしても、自身が置かれている状況を理解した上で、もう少し適切な答え方があったはずだと思う。
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