日記 2024.8.29

出産日だよ。

9時前:
血液検査の結果細菌感染が起きつつあり、今日出産をキメないと明日帝王切開になるらしい。帝王切開も嫌だが陣痛がつらすぎるので正直今日帝王切開にしてもらおうかと思った。でもなんか言えなかった。

10時20分:
陣痛促進剤の点滴開始前に子宮口を確認したところちょっと大きくなった3cmになってた。もっと大きくなっていてほしかった。陣痛促進剤は何かよくわからなかったけどオキシトシンプラスアルファらしい。

12時頃:
けっこうつらかったがなんとかほぼ昼ごはんを完食。ここまできたからには今日中の出産をキメたい。

13時前:
子宮口が5cmまで開いたらしい。思ったよりいいペース

14時頃:
昨日の痛みどころではない。意識を落とすと陣痛に耐えられないので陣痛がくる直前から呼吸で痛みを逃さないととてもじゃないが耐えられない。昨日の晩に座った方が陣痛に耐えられることがわかったので木馬みたいな椅子を持ってきてもらい、これを全力で振りながら呼吸で耐える。やっててよかったシステマ。ただ呼吸だけでは限界で途中から絶叫するほかなかった。ゼルダの伝説ムジュラの仮面でリンクが仮面を付けるたびに絶叫するけど、ちょうどあんな感じの叫びを3時間くらい続けた。

16時30分過ぎ:
痛みに耐えた甲斐もあり子宮口はほぼ全開となり、当初22時と言われた出産が18時には終わると言われた。22時だったら無理だけど18時ならいける。

16時45分:
分娩室へ移動。ここでは寝て陣痛に耐えないといけないのでさっきよりも痛みが増した。助産師さんに尻を押さえてもらわないと100%のダメージを食らってしまう。いつ頃からか痛みを逃すのではなくいきみに変えても良いと指示された。そこからはずいぶんと楽になり、強めの排便感覚になった。さすがに出産直前は痛かったが。

18時25分頃:
助産師さんが小児科医を呼んでくるよう指示したあたりお世辞ではなく本当に生まれることを確信した。そしてそのときはきた。会陰切開の指示のあと何かが出たと思ったら産声が聞こえ、ついに出産に至ったことを知った。正直産声よりも体が急に楽になったことに出産の実感を得た。
安堵も束の間思ったより出血が多かったらしく現場は騒然としていたが実感はなく、ゆっくりしていた。この頃喉がめちゃくちゃ痛いことに気づいた。14時くらいから叫び続けていたので無理もない。しばらくすると赤ちゃんが連れて来られて触ったりいっしょに写真を撮った。温かかった。赤ちゃんは早産児のためすぐにNICUに連れて行かれてしまった。
地味に切られていた会陰の縫合に地味に時間がかかった。なお赤ちゃんは2480gであり、ギリギリ低体重児扱いとなってしまった。

20時頃:
食べ損ねた夕飯を分娩室まで持ってきてもらった。右腕が点滴でほぼ動かせないため左手で食べた。助産師さんは親切にもごはんをおむすびにしてくれた。意外にも左手でうまく食べることができほぼ完食した。産後だろうとメシを残すなんてあってはならない。

22時頃:
就寝の時間。思ったよりも元気で興奮してしばらく眠れなかった。24時頃に尿意で一度起き、しばらくスマホをいじってから寝た。

出産レポおわり。陣痛中は二度と出産しないと誓ったのに今はすでに第二子を産んでも良いと思っている。そういう風にできているんだろう。また早産児ゆえの病気とかわかったら書く。
赤ちゃんを取り上げてくれた助産師さんには食事や排泄まで大変お世話になった。夜勤だから会いにくいけど退院までに改めてお礼を言いたい。

あと入院用バッグと陣痛タクシーの準備、出産の予習をしておいたのが本当によかった。出産については常に最悪の状況を想定していたので34週、今の体重で生まれることがあってもそうひどいことにはならないとイメトレしていたためそれほど慌てることはなかった。ただ実際に起きるとかなりがっかりする。不本意といえば不本意な出産となった。ちなみに想定していた1番の最悪な状況は例の劇症型溶連菌にかかって母子共に死亡(あまりにもレアケース)。
前期破水の原因はわからない。先週の木曜日に軽い肉体労働をしたらおなかが張り病院に行くくらいだったので、あれがトリガーとなったかもしれないけど関係ないかもしれない。高齢出産なので何があってもおかしくはない。やっぱり若いときに産んだ方がリスクは下がると思う。あと産休直前の仕事はがんばらない方が良い。

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