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【日記】献血のトロ

    1ヶ月前に文フリ大阪で本を何冊か買ったが、そのうちの1冊を今日読み終わった。「献血へ行こう!」という小説で、著者は上村裕香さんという方である。どんな本かを簡潔に説明するのは難しいが、タイトル通り話の中心には献血があった。

    で、本当は今日の日記では、この小説に出てくる主人公の母親が私の1番嫌いな人間の種類だったってのを書こうとしたんだけど、わざわざ手間と時間をかけて嫌いな人間の話をするのもどうなんだと思い、献血のトロの話をすることにした。

    以前Twitterか何かで「バッティングセンターは野球のトロの部分を体験することが出来る」という主旨の投稿を見かけたことがあって、ストンと腑に落ちる上手い言い方だなあと感心したのだが、じゃあ献血のトロってなんだろうかという話である。

    読んだ小説の主人公は400ml献血での血が流れ出ていく感覚が気持ちがいいと言っていた。失血死の感覚がするのだと。つまり彼女にとっては赤い血が流れ出て行く部分が献血のトロらしい。
    なるほど分からない。400ml献血なんか針入れて15分経ったら勝手に終わって、その献血前後の感覚の変化など自分には実感できた記憶がない。そもそも全血は年に3回しかできず、成分献血に比べて行った回数も献血時間も少ないのであまり印象に残っていない。つまり私にとってのトロはここではないのだ。

    では、私にとってのトロを考えてみる。やはり血管に針を刺す瞬間だと思う。穴が認識できるほどの太い針を血管に刺すその瞬間だ。当然針を刺す時にも私は目を逸らさない。痛みはどちらでもいい。太い針を刺すのだから多少の痛みはあってもいい。痛みが無ければ無いでそれもいい。たまに針を刺したのに全く痛みがない時もある。そういう時は看護師を称賛するしかない。

    成分献血をしている時間もいい。成分献血は時間がかかり、1時間ほど針を刺してベッドに寝ていることになる。私はその間に本を読むことが多い。すると、献血という善行に読書という善行が加わるので、良いことしてる感が更に増す。これもまたトロと言える。


    というわけで、献血の話でした。読んだ小説の中でも言われてたけど、世のため人のために献血をする人だけじゃなく、自分の快のために献血をする人も多くいるんだってことです。
    せっかく献血の良さの話をしたので、また今度献血をする時の一連の流れを解説しようと思います。

ではまた明日。

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