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【日記】皿洗いはクリエイティブじゃないから
この言葉は以前Twitterで見かけたもので、元を辿れば『目玉焼きの黄身 いつつぶす』という漫画に出てきた「食器洗いはクリエイティブじゃないからさ・・・」という台詞に行き着くらしい。
私はこの漫画を読んだことがないので正しい文脈は分からないが、皿洗いが嫌いな人間から出てきた言い訳のような台詞だと想像している。
私も皿洗いが好きでないので、食器をスポンジでこすって洗剤の泡をすすぐだけの行為をクリエイティブでないと言い切り、皿洗いから逃げようとすることを正当化するようなこの台詞には共感を覚える。
皿洗い=非クリエイティブな営みとした時、その反対側にあるクリエイティブな営みは何かというと、それは「料理」であると考えられる。
食材・レシピ・味付け・調理法に無限の組み合わせがある中で、食べる人間の好みや気分、必要な栄養価や冷蔵庫の中身を考慮しながらメニューを決定し、実際に手を動かして頭の中で考えていた物を実現させる様は間違いなくクリエイティブと言えるだろう。
少なくとも皿洗いよりかはクリエイティブだ。皿洗いのクリエイティブ要素なんて、頑張って探したところで、全ての皿が水切りかごに収まるように上手く並べる部分くらいだろう。それだって、広いキッチンと大きなカゴさえあれば無造作に皿を並べても問題無いはずなので、無駄なクリエイティブ要素である。
とにかく「料理」はクリエイティブな営みなのだ。相対的に、そしてきっと絶対的に。
で、ここからは私個人の話になるが、今現在私は実家に居候していて、1月の初め頃から料理を私が担当している。
勘違いしてほしくないのだが、私はこれを良しとしている。そもそも料理をするのが好きだし、作った料理に対して自分が作ったという点だけで評価がプラスされる人間なので、基本的に全ての料理が美味しい。
他の人間が作った物に対して、量や味、調理法などで不満を抱くよりは確実にQOLが高い。
ただ問題なのが、毎日料理をすることで私の中のクリエイティブ欲が満たされてしまっているようなのだ。
私にクリエイティブ欲が多少はあるという事は、こうやってnoteを活用している事実から理解できると思う。何かしら生産的な事をしたい、頭の中にある物を形にしたいという欲望だ。
しかし残念なことにその欲はさほど強くはないみたいで、それこそ毎日料理をするだけで満足してしまう程度の欲求らしい。だから1月に入ってnoteの更新を空けることが増えたのだと思う。昨日の日記では、手がかじかむほど寒いからnoteを書かなかったと書いたけど、料理をして欲求不満が解消されたことも関係があると私は踏んでいる。
ここまでで、料理がクリエイティブな営みであることと、だから私は満足してしまってnoteを書かなくても平気な顔をしていられるんだという話をした。そしてそれが今日私が言いたかったことの全てで、このままではオチも結論も何もない。
しいて何かしら結論づけるとすれば、これらは私の欲望の弱さが原因であり、欲望が弱いおかげで欲で身を滅ぼさずに済んでいるけど、その一方で欲望が弱いせいで行動に繋がらず何かしらを達成出来ていないので、欲の弱さも諸刃の剣なのだと思う。
ちなみに、話題を皿洗いに戻すが、私がどれほど皿洗いを苦手としているかというと、一人暮らしをしていた時は、一般的な「料理→食事→皿洗い」が出来ず、「前の食事の皿洗い→料理→食事」というルーティーンに大体なっていたほどだ。
食事をした後に皿洗いをする気分になれる訳がなく、先延ばしにした結果、皿や調理器具が必要になる料理の前に、せざるを得ないから皿洗いをしていた。
ただしオーストラリアでルームシェアをしていた時や実家にいる現在は食事の後すぐに皿を洗っているので、外圧って大事だなと思う。
まあ皿洗いがクリエイティブじゃないのが一番悪い。
ではまた明日。