イツノヲバシリの話
今日お話ししたいのは、イツノヲバシリという人の話。
そうそう言い忘れた、私はホツマツタエをここで読んでます。元ソースはここです↓
https://gejirin.com/hotuma19-1.html
今回はこの中の1章「のりのりひとぬきまのあや」というところから抜粋します。
ヲバシリという人が、アマテラス(ホツマでは人であり男性であり、国王の地位にある)の治世に「ムマヤオサメ(馬屋治め)」という官職を与えられます。
そこで自らの祖父であるトヨケに、「馬屋治めは何をしたらいいのか」と問います。
トヨケはヲバシリに馬の乗り方を教えます。ヲバシリはそれを練習し、馬を乗りこなすようになり、やがてそれを他の人にも教えます。有名どころだとスサノヲにも教えたらしいです。その乗馬訓練が反乱軍鎮圧に功を奏したということで、「イツ」の名を賜り、「イツノヲバシリ」となりました。
さて、トヨケという人は誰なのかというと、こちらはヒタカミ(当時東北地方にあった国)の国王です。
そしてヲバシリは、トヨケの孫らしいです。で、古事記でもおなじみタケミカヅチの父らしいです。
タケミカヅチが祀られている神社の総本社は鹿島神宮、茨城県です。ヒタカミは東北の国、ということはヲバシリもこのへんに住んでいたのでしょうか?
鹿島神宮の南、香取神宮の近くにある側高神社というところには、こんな伝承があります。
「昔、側高神が香取神の命により陸奥の馬2,000疋を捕らえて霞ヶ浦の浮島まで帰ってきたところ、陸奥神が馬を惜しんで追いかけてきた。そこで側高神は霞ヶ浦を干潮にして馬を下総に渡らせ、次いで満潮にして陸奥神を渡れなくしたという。」
ホツマツタエより平和的ではありませんが、馬、陸奥守(東北地方の権力者)、香取の神(鹿島の神-タケミカヅチと同世代)、となんとなくヲバシリの逸話を思わせる部分があります。
側高神社の本祭神は秘密だそうで、こちらがヲバシリだとは言い切れないのですが、東北地方からの馬の輸入、同時に乗馬方法の教育があった、と推察することができます。
その後、関東地方は稲作に適さない土地が多かったこともあり、馬牧が多く設けられ、経済的にも軍事的にも重要なファクターになっていきました。