
『お味噌知る。』土井義晴、土井光著を読む
お味噌知る。
いいタイトルですよね。春らしいなと思ったのは季節のせいかな。私はお味噌汁が好き。
土井センセが好きです。なんか知らん感じがして好奇心が強くて知的で面白くて怖そうで遊びが多い。かっこいいなと感じる要素が揃ってる。
といっても土井センセを追っかけてるわけじゃなく、たまにTVとかSNSで見たり、新刊もあれーまた本出してる、程度のお付合い。でも心の距離が勝手にものすごく近い。親戚のおじさんみたいな気持ちでいる。
土井センセ。
この本はそんな土井センセと娘さんの共著で、一冊丸ごとお味噌汁(とそれに合う品々)の本。
ところで、レシピ本ってみんなどういうふうに読んでるんだろう。
いまどきのことで、レシピや作り方ならネットで充分、という考え方の人も多いと思う。知り合いに編集の仕事をやってた人がいて、有名な料理家さんのレシピ本を担当したりしたというのでそれとなく話を聞いたけれど、本から想像していたようなつくり方だったので、やっぱりそういうものかと思ったことがある。
その人は写真や企画やなんやかんや言っていたけれど、そしてそれはとっても大切なことなんだけど、やっぱりそういうの全部出ちゃうジャンルなんだなと思ってますますレシピ本が好きになった。
好きな本は?ときかれたら心の中で即答する本の中にはレシピ本も入ってるのは、レシピ本っていろんな空気感を内包できる懐の広さがあるからで、行間を楽しみたいならオススメのジャンルだ。
つくるという体験をすることもできるし、自分が手掛けたものが、著者がこの本を通じて伝えたかったものに近づいているのか、そうでもないのか、そもそもこの著者(編集者)はなにを目指してこの本をつくったんですかね?と出来上がったものを前にイメージしてみるのも面白い。
購入者の書評で「思ったほど惜しくできなかった」「材料が複雑すぎてつくれなかった」みたいな感想をみると、このコミュニケーションのズレは一体どこからきてどこへ行くのか、オチのない話だなとか思ったりするのも楽しい。
その点、土井センセが世の中に大量に押し出しているレシピ本(あれ?料理本ってジャンルになるのかな)の数々はそれぞれに趣が異なっていて、本の目的が分かりやすいのですーっと流れるようにその世界感に入っていけるのがいい。労なくてしてドアを開けることができる。
そしてそのドアの内側はたいていの場合、ワンダーランドだ。
『お味噌知る。』もそんな一冊だった。
調べ物の資料を大量に抱えて、あ、もう一冊いけると思ってカウンターの前の棚からさっと掴んだだけの一冊だったんだけど、面白かったので買った。
土井センセのファンの方、理解者、共感者はたくさんいらして私なんかよりもっとずっと深くて広い持論をお持ちだと思うから詳しくは書かないけれど、この本一冊でもけっこうしゃべれる。
っていうか、私のお味噌、私のお味噌汁、私のお味噌知る、について気軽におしゃべりしたくなる。
私はもうずっと前に汁物には出汁がいる、という概念を捨てているので、味噌とか塩とか醤油とかにどれだけ八面六臂の活躍をしてもらうか、に日常を預けている。
粉末出汁で穴埋めされたつるつるの味以外はみとめませーん、という人に会うと困ったなと感じたり、不必要な愛想笑いをしちゃったりするんだけど、土井センセ×2(善晴と光)はそこのところも満遍なく応じていく。鮮やか。
私がこの本を手元に置きたいと思ったのは、レシピやテキストの端々に『なぜ食べるか』『なぜ料理するのか』という問いと思いがあふれているから。
食材の扱い方やこの一品を通じてなにを体験するのか、できるのか、してほしいのかが浮かんできてとても嬉しくなる。
あと小さいけれどとっても有益な知恵をもらえるのも嬉しい。たとえば、お素麺は2種類の使い分けがあって、別茹でしたもの(昨日の残りとか)とそのまま使うもの。
茹でたお素麺の保存方法=できるだけ美味しさ=その食材の特徴を逃さないやりかたをちゃんと書いてくれている。
なんでもないことなんだけど、こういうところにくぅぅぅっとなったりする、これがレシピ本のたまらなさ。。。